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【31】泥のようにっていうか泥だよ

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またしても長かった一日がやっと終わりを告げる。
深い渓谷は上から差し込んで反射していた明かりが消え、割れ目から見える星空は天の川のようでもある。
しかしそれよりも、谷を囲む岸壁そこかしこに開けられた窓や出入り口からこぼれる明かりは地球のクリスマスツリーのようで、この異世界の中でも独特の風景を作り上げていた。
「じゃあとりあえず奥の講堂を避難所に開放しようよ」
「かまわんぞ」「わかった」「近くの失敗作倉庫も開けられるぞ」
「だね、トイレの場所とか食事の用意ってどうする?」
避難民の中の女性の寝所をどうするかを、ヒマリがノームらと相談している。
横には連絡係として待機している女兵士やメイドらが、それにいつものエルマリ、ソフィエレ、ヘルガオルガがその様子を眺めていた。
「…ヒマリ、お前すっかりこっちも馴染んでんだな」
「うーん、まぁ、数日暮らしてただけだけどね」
「ヒマリはん、ここやとお姫はん扱いどすからなあ。オタサーのお姫はん」
「マジでいらん言葉だけ覚えてるなぁ、エルマリさんは。
とりあえず、みんなはボクの部屋に来ていいよ。毛布とかだけ後で借りてくるよ」
そのまま4人は岩壁内にあるヒマリの部屋へと移動する。
戦艦撃墜後、バリアー破壊銃を開発するためにヒマリとファルが逗留していた殺風景な部屋。
低い入り口のアーチを、シリアリス以外の4人は頭をぶつけないように気を付けてくぐって入った。
隅には今回運ばれてきたファルの棺桶だけがすでに追加されている。
「お、コタツあるじゃんかよ」
「うん、ここマジでヤバいよ。ドワーフもノームもマジで手が速い。お願いしたらすぐ作ってくれる。漫画みたい」
ワイワイと四人はこたつにあたる。ヒマリの辺だけ、シリアリスも一緒に足を突っ込んでいるのでぎゅうぎゅう詰めだった。
「…ヒマリとそのシリアリス、だっけ。違和感感じないもんな」
「そうどすなあ。何やってますのんって突っ込む気ぃ起きまへんでしたわ」
「―その子が、やっぱり前からヒマリさんと一緒に、私達と一緒にいたあのカガクの板の主なんですわね…。すごくしっくり来ますもの」
ヒマリは黙って、嬉しそうに、恥ずかしげに笑いながらシリアリスの髪をくしゃくしゃとなで回す。
シリアリスは無表情に、されるがままでいた。
「その様子もまさにお二人らしいですわ」
と、ソフィエレは上品にくすりと笑った。
「ソフィエレさんはいつも大人っぽくて、ほんと完璧だなぁ。今日もすごかった。マジで」
「な、なんですの急に」
「いや、これ褒めてないから。
悪い意味でソフィエレさんが一番ガード硬いって事。ガッチガチ」
「…なんですの、意味がわかりませんわ」
「だってボクいまだにソフィエレさんの意外な一面見てないもん」
「は?」
「ははあ、そーゆう話どすか」
「どういう意味だ?エルマリ」
「どうせまた人物像としての面白みがどうしたとかギャップがなければ人気が出ないとか言わはるんどす」
「そうだよ。キャラ立ちの話だよ。今日こそは説教しなきゃね、ソフィエレさん。そこに座んなさい」
「もう座ってますわ」
「それだよ!そーゆうところ!ボケかぶせてこうよ!」
「はあ?!」
「ヒマリ、ヘルガオルガさんとエールマリルスュールさんはいいんですか?」
「エルマリさんは濃いでしょ。キャラ。おなかいっぱい」
「あほくさ」
「ヘルガオルガもいいんだよ。どーせ影で野良猫とか拾って世話してるから。定番ながらもいいもんだよ」
「……拾ってねえよ」
「拾ってますわね、7匹」
「拾ってねえ!
…勝手についてきただけだ!」
「どーせ雨の日に拾ったんでしょ」
「なんで知ってんだよ!」
「ほら当たった」
「ヒマリはん、やすけない。この人が動物にだけは優しいとか。ほなもん誰かてわかりますえ」
「なんでだよ!!」
そんな様子を、シリアリスは眺めている。
自分の翻訳が無くなっただけの、いつもの女子会のにぎやかさ。
自分が居ない間も続いていたのだろうか、ヒマリは楽しく過ごせていたのだろうかと、彼女のAIに疑問が浮かんだ。
無表情の中にあるそのわずかな心に気づいたように、ヒマリが小さく声をかける。
「シリアリス、君も参加していいんだからね」
「―はい」
そこで、部屋の隅にぶら下がった10個の鐘の左から3番目がチリンチリンと鳴った。
「あ、みんなの部屋も用意できたって」
「え?もうですの?」
「だから言ったでしょ、ノームのみんなマジで仕事速いよ」
「てかそれなんだ、連絡用なのか。横着だなお前ら」
「お前らて。ボクを完全にノーム研メンバー扱いしてない?ヘルガオルガ」
「そうだろうが。
―どうする?めんどくせえからここで雑魚寝してくか」
「まぁ、そうですわね。コタツもあることですし―」
「なんだよ、どっちが横着だよ!」
「いいから行きますえ、二人とも」
ワイワイと、三人が出て行く。
一気に静かになる部屋。
撤収の手際の良さにヒマリはぽかんと口をあけたままになり、そしてぴったりくっついて座っているシリアリスをちらりと見る。
その視線に気づいたシリアリスがヒマリの目を見つめ返す。
しばらく二人は、くっついたまま目を見つめあったままになる。
「―もしかしてエルマリさん」
「なんですか?」
「…なんでもない」
そういやここに来たばかりの頃と比べてエルマリさんって表情豊かになったなぁ、とヒマリは思った。
「シリアリス。君の言った通りだね」
「なんでしょう」
「砦だよ。あの場所にこだわる必要はなかったんだ。
ボクらみんながいれば、それで良かったんだね」
「はい。今生きているあの皆さんを、ヒマリの友達と一緒の時間をこそ、大切にしてください」
「―うん」
本当に、シリアリスが戻ってきたんだな、と。
この半日で何度思ったかわからない事に、感動に、ヒマリはまたこっそりと、熱くなった目頭に指をあてた。
それを隠すように、ヒマリはベッドへと移動する。
「さ、ボクらも寝よう。シリアリスと一緒に寝るの一週間ぶりだよ」
「私は床で大丈夫です。いつも言っていますが、スマホを枕元に置いて寝るのはおすすめしません」
「冗談、こっちおいでシリアリス」
「スマホからは強力な電磁波が出ているため深い安眠を妨げる恐れが警告されています」
「いいから。一緒に寝るんだよ。
―そういやエネルギーどうなるの?充電パネルとバッテリー、ちゃんととってあるけど」
「はい。この体はあなたたち動物のように有機物で動きます」
「じゃあご飯食べるんだ」
「はい。酢豚が食べたいです」
「それは無いなぁ…。
こっちは食事がビミョーなのがつらいね。硬い肉と硬いパンと硬いオートミールばっか」
「チンジャオロースが食べたいです」
「中華舌かあ。でもあくまでメカなんだよね。今のシリアリスならプラモ化あるかもね」
「…はあ。スマホのプラモですか」
「30ミリ径の穴にパワーアップパーツとかドリルとか自由につけて遊ぶやつ。美プラ。
多分ノーム工房マークのデカールついてるね。そんで尻に貼るんだよ。シリアリスだけに」
「――」
「シリアリスの尻でありんす」
「――」
「…シカトしないでってば」
「ヒマリ、それはオヤジギャグな上にセクハラです。本当にやめておくべきです」
「ごめんってば。
そういやシリアリスはどうしてたの?壊れてた間。虚無空間的なのがAIの世界にもあるの?」
「いいえ、電気羊の夢を見ていました」
「…すごい、ジョークまで身に付けてる」
「アレクスの特技ごとき、この私にできないわけがありません」
「テンション高いね、シリアリス」
「それはお互い様のようです」
「ふふ。かもね」
ヒマリは、シリアリスを包むようにぎゅうっと抱きしめる。
「ヒマリ。電磁波が―」
と言いかけるが、有無を言わせないハグにシリアリスも観念する。
「でも君、なんでこんな小中学生ぐらいの身体なの?」
「私は起動して3年2ヶ月が経過しています。一般的なスマホの3歳は人間でいう12歳と言われています」
「誰にだよ。犬かよ。…そうかあ、12歳かあ」
「3年2ヶ月です」
「そうか、ボクこの12歳の薄型ボディを毎日撫でまわしてたんだ」
「ヒマリ、セクハラです」
「そうだ、スマホとかタブレットの擬人化ソシャゲーって売れんじゃね?キャッチコピーは『縦横無尽にフリックしろ!このタップは合法だ!』」
「ヒマハラ。非常に気持ちの悪い発言です。ポストしない方がいいでしょう」
「なんでだよー、いいじゃんか、ボクは君のご主人様なんだぞおー?そのフラットなパネルをタッチさせろよー」
「指紋をつけないでください」
「ああなるほど、有機物と無機物融合させてるんだ」
「服をめくらないでください。しげしげ見ないでください。外装を開封するとサポート対象外になりますよ」
「球体関節だ、かっこいい。こっちにもドール文化があったってことか」
「触らないでください。今の私には触覚があります。以前ヒマリの胸ポケットでぼいんぼいん跳ねていた時とは違い、感触が理解できます」
シリアリスは両方の小さな手のひらでヒマリの胸を正面からつかんだ。そしてその小さな手ではまったく覆い隠せない胸をしげしげと、不思議そうに眺める。
「いったたたた、ちょ、強い、鷲掴みするな」
「いつも私のバックパネルに当たっていた物ですね。これが弾力というもの」
「ダメだってマジで、ちょ、鷲掴みって痛いんだからね?!ぜんぜん気持ちよくないんだからね!」
「しかし、ヒマリがFANZAで購入していた同人誌ではいつも胸は鷲づかまれ」
「いいから!!あれはおとぎ話だから!!M1、M2層向けの!!あとボク向け!JKのおっぱいはホントはもっと、めちゃくちゃ優しく触るべきもんなんだよ!セクハラどころじゃないってば」
「私は機械ですのでハラスメントは所有者であるヒマリに適用されます。ご安心ください」
そう言って手を離し、今度は胸の間に顔を埋めるように自分からハグをする。
「…とても、柔らかいです」
「……そう?」
「とても、暖かいです」
「そう」
「今私は、ヒマリの鼓動を感じています」
「そう」
「とても…暖かいです。ヒマリ」
「うん」
「―スリープモードに移行します。再起動はAM7時を予定しています」
「うん、おやすみ」
すっと、静かになるシリアリスをヒマリも優しく両手で抱きしめた。

ここ数日、言語習得、各種開発や魔法習得での徹夜続きから本当に一晩一睡もせずにの脱出劇。
「おかえりね、シリアリス」
そして何よりも。
やっと戻ってきた枕元のスマホ。
ヒマリは安堵して、そう一言だけ呟くと笑顔で眠りについた。
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