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【26】店じまい

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「なんちゅうでっつい…」
はるか地平線の山峰あたりがほんのりと明るくなりはじめた。
そんなまだまだ薄暗い夜空を虹色に照らす物体を見上げ、エルマリはつぶやいた。
まだ遠いはずなのに、細かい部分が見えないのに、それでも空を覆うそれは距離感を掴ませない。
夜明け前の砦は、混乱状態だった。この数日でなまじ人員が増えた事は、脱出の編成や馬車の支度を整える手間が増え、さらに違う問題も産んでしまっていた。
「全軍撤退?!本気か!まだ何もやってないだろうが!」
「何かやられる前に脱出だと言ってるんだ!」
砦のそこかしこで、脱出指揮をする小隊長と新参の兵士らの間での衝突が起こっていた。
「ヴァンデルベルト様、増兵組ほど逃げませんわ!」
扉をあけはなした作戦室に入ってきたソフィエレがヴァンデルベルトに報告する。
「彼らにしてみたら、ここでは宇宙人を倒しているという噂を聞いて集まってきたわけだからか…」
「実際にはサイコロの出目が続いただけ同然なんですが…」
「それよりもヘルガオルガ。至急クリスの所へ行ってください。勇者とクリスを乗せてべウストレムですぐに脱出してください。何かあったらクリスの転移魔法で逃げのびてください」
「え、でも先輩、言っちゃなんだけどアタシらこそ最後まで残ってた方がいいんじゃないスか?」
不安げなヘルガオルガを無視してヴァンデルベルトは中佐に声をかける。
「中佐、先陣の指揮を。ノーム渓谷へ向けての移動をお願いします。今ファルリエットの棺桶も荷馬車に運ばせてます。ヒマリさんにも先に脱出するよう呼びに行かせてます。先陣、お願いします。僕は後続の指揮をします」
「わかった。ヴァンデルベルト、1時間も猶予はない、全て捨ててすぐに出ろよ」
「ええ、勿論です。
―ヘルガオルガ。順番の問題だ。全軍撤退だ、ただの順番だ。先に行きなさい」
反論を許さない口調で騎士団団長は部下に命令を下す。
こんな所で万が一にも消耗を許されない貴重な駒から、将棋と違い自分という王将は取られても替えが効く事を理解した上で、ヴァンデルベルトは指示を出す。この戦局で最も頼もしい部下が唇をかみしめている事に気づきながら、気づかない振りをしてそのまま彼はソフィエレを連れて部屋を出ていく。
二人は相談しながら、小走りで砦の壁上を移動し、外階段を下りる。
夜空に光るマザーシップに、いくつもの影が見える。
「ドローンタイプのUFOが降りてきている。もうすぐ攻撃が始まるだろう。ヤツら、我々を一人でも逃がしたくないらしいですね」
「荷馬車に乗った状態で攻撃されたら一たまりもありませんわ。そもそも馬や馬車の台数も限られてます。
…やっぱり時間稼ぎは必要ですわ…」
「ああ。覚悟を決めないとな」
中庭や砦周囲からは馬車の用意、兵士に整列させる声、非戦闘員の悲鳴で収拾がつかない様子だ。
急ぎ階段を下りて二人はその中へと入っていく。
「この時間でも松明がいらないのはありがたいな」
と、わざと笑顔を作って余裕を見せるヴァンデルベルト。
「団長、敵機来ました!」
「ああ、見えている」
「団長さん、逃げるなんて俺たちは出来ない!反撃しよう!」
さっそく、増兵組のリーダーの一人、エッカルト国の虎獣人の男が吠える。
彼ら獣人を中心としたエッカルト国騎士団は突撃力・突破力では大陸随一とすら謳われる存在だが、宇宙人相手の拠点防衛で活躍が出来るとは思えなかった。
にもかかわらず彼らは、ますます気色ばんで反撃を叫ぶ。ヴァンデルベルトを囲み見つめる彼らのらんらんと燃える目は、ヴァンデルベルトに全てを伝える。
故郷を焼かれ、それでも逃げるではなく、彼らは戦うためにこの砦へと集まった。一人残らずがそんな無比の勇士らだ。彼らが反撃を叫び続けたのはただの蛮勇ではなかった。この状況では脱出するしかない事、その為の時間稼ぎの必要性も理解した上での志願だった。彼らと共に逃げてきたサイクロプスらにも脱出の手段など無い事を知っていたからだった。
彼らの騎士の誇りを目の当たりにしたヴァンデルベルトは、とうとう覚悟を決める。
「―残り、カタパルト2機、バリスタ5機。配置はお任せします。サイクロプスの投擲にも使えるだけ、バリスタの矢はまだ余裕があります。お願いします」
虎の獣人は、その仲間たちは、三叉の豪槍を掲げてウオオと吠える。彼らの雄たけびが、砦の壁を揺さぶる。
「―また勇敢な者から死んでいく。だから僕は戦争が嫌いなんだ」
ヴァンデルベルトが漏らした滅多にない愚痴は、この騒然とした場では間違っても誰にも聞こえるはずはない。
彼の考える騎士道として、王国最前線の防衛拠点の騎士団長として―。
自分を捨て駒にする事以上の覚悟と苦痛。それは、自分以外から捨て駒を選ばなければいけない覚悟だった。

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