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一刻を争う。
振り返らずに、涙をぽろぽろとこぼしながら、ヒマリは必死に走る。
「シリアリス、シリアリス…!
ヤだよ、もうこんな!なんでこんな、みんな…!
がんばってるのに!」
「―その道をまっすぐです。突き当たった場所を左に曲がってください。
―ヒマリ。私には、応援することしかできません、ヒマリ」
「…愚痴ってる場合じゃないけどさ!でもさ…!」
「大丈夫です、ヒマリ。帰りましょう。日本へ」
「うん…」
いつもの、聞き取りやすいハキハキとした音声でシリアリスはヒマリを励ます。
だが無論。その中にもヒマリは彼女の感情を確かに感じ取っていた。
「ヒマリ、そのゲートを潜ってください。構造および振動音から、この周辺に動力部が予測されます」
「…すごい、シリアリスすごい!アレでしょ!」
よくわからない道具が散乱した広間。
もしかしたらツヴァイが倒れた事をモニターか何かで見ていたのかもしれない。脱出艇にでも逃げ出したのだろうか。
誰もいないその広間の奥には5メートルほどもある巨大な筒のような構造体が鎮座していた。
宇宙人の機械にしては珍しく、うなりをあげて駆動し、何本かあるスリットから虹色の光がこぼれていた。
「これだよね、ゲーミングエンジンだよ」
「ヒマリ、ゲーミングとは…」
「いいから。よし、シリアリス!びっくりファイアー1号!」
「はい」
キュルキュルキュル、と早送りが再生される。突き出したヒマリの手が光り、加速するスパイラルアローが発射される。ねじ込むように溶かすように、光るパラソルがエンジンの外壁に正円の穴をあけた。
「よし!あの穴の中にバラ肉セール300グラム!」
「しかしヒマリ、もう魔法力がありません」
「使えるだけ!出せるだけでもいいから!こいつ壊せなきゃダメなんだ、こいつ壊さなきゃボクらに未来はないから!」
「はい、わかりました。再生します」
もう一度、途切れる事なく別の高速詠唱が再生された。同じ詠唱が繰り返し再生され続けた。
ヒマリのオリジナル複合魔術である小型火球10発を発射する魔術が30回分繰り返されていた。
連続詠唱での魔力消費でヒマリは頭痛がしていたが、気にせずに両手を前に突き出し、火球を撃ち続ける。
260発発射された所で、手のひらの魔法陣が消える。
「…やったよね?シリアリス」
「はい。エンジンと推測される部位の沈黙を確認しました。床下からも強い衝撃を感知。
おめでとうございます、ヒマリ。任務達成です」
「うん、爆発してる」
こうも見事にやり遂げておきながら、ヒマリは浮かない顔のままだった。
ここから引き返す道を考えただけでも気が重いのだ。それは、仲間たちの血に染まった道だから。
「ソフィエレさん達大丈夫かな…」
「彼女は本職の軍人です。あちらには勇者ザウムが一緒です。転移魔術師のクリスが一緒です。確実に行動し、確実に脱出するでしょう。
むしろヒマリこそ気を付けてください。あなたは一人だけです」
「違うよ、ボクらは二人だよ。それにもう後は脱出するだけ…」
暗い顔のまま、ヒマリが入ってきたゲートへと振り返った時。そこに一つの影が差す。
「…ガードロボット!シリアリス、びっくりファ…魔力だ!」
慌てて回りを見回すが、武器になりそうな物は何もなかった。
棒切れ状の何らかの道具ぐらいなら落ちているが、それでなんとかなると思えるほどヒマリは自分の運動神経を過信していない。
「ヒマリ、最後の魔法行きます!」
シリアリスの声にとっさにエイリアンロボに手を突き出すヒマリ、スマホから流れる高速詠唱。
ヒマリの手からさっきの10連撃小型火球の、たった一発だけが発射された。
ガードロボットのセンサーを狙うが、その薄いバリアーで簡単にはじけ飛んだ。
「ヒマリ、今です」
「うん!」
目隠しになったその隙に、ヒマリはガードロボットのわきをすり抜けるように転び逃げる。
「ヒマリかがんでください!」
ブンッ、と、下げたヒマリの頭上をアームがまさに間一髪通り過ぎる。
「うおお…こわ!」
「右です」
チュンっ、と、熱がヒマリの耳を掠めた。
「わわわ、ちょ、ちょ、」
光線だ。見てからは当然避けられない。見えたという事はすでに当たっているからだ。
エイリアンロボのわずかな動きから、シリアリスが予測する言葉を信じるしかなかった。
「逃げてください、ヒマリ」
「はいい!!ああもう、シールドがあれば…!」
シリアリスに言われるまでもなく、ヒマリはそのままダッシュで逃げる。
「この通路を直進し、3メートル先を左です。そのまま道なりに進んでください。脱出合流ポイントへ誘導します」
「ヒトナビ!」
「次の交差点を右です」
「わわ、追ってる追ってる…!」
エイリアンロボの走行速度は速くはないが、遅くもなかった。
逆関節の長い足は、直線は速いが、曲がり角では速度を減速する。
シリアリスはそれを踏まえて道を選んでいるようだ。
ヒマリは引き離す事はできないが、追いつかれる事も無かった。
「あとどれぐらい?!合流時間!エルマリさんとの!」
「3分14秒後です。直進してください」
チュン、と、光線がヒマリの右頬を掠める。
「…ヤバいんだけど!!」
「今は後ろが見えません。避ける指示はできません。祈りましょう。
通路突き当たりの扉は自動で開きます。くぐってください」
「ほいよ!」
「ふざけないでください、ヒマリ」
「ガチのガチだよ!」
運動音痴のヒマリは必死に走りぬき、ようやく解放された空間へと出た。
二人が行き着いたのは、甲板から入った場所。
その甲板が吹き飛んだのか、穴というよりは天井の無い行き止まりの通路になっているが、ヒマリだけでは絶対に登れない。
爆発を続ける戦艦。
傾いた戦艦。
ヒマリは夜明けの空に手を伸ばしたい気持ちだった。
「目的地に到着しました。ナビを終了します」
すううう、と、ヒマリは胸いっぱいに大きく空気を吸い込む。
それを胸の内に3秒溜め、その全てを肺から吐き出した。
それは運動音痴な彼女なりにこの半月で身に付けた、呼吸を、そして心を落ち着かせる方法であり儀式だ。
じわりじわりと高度を下げ続ける戦艦。
そのゆるやかな墜落は上空からの風景だけではわからないが、傾斜した床や常に続く振動、艦内で断続的に起こる爆発で感じとれる。
「はぁ…。シリアリス、朝日が見えるよ。異世界の風景って奇麗だよね。ぼんやりと見える二つの月。とがった形の山脈。ぜんぶが薄紫の朝焼けに染まってる」
「日本の山脈の夜明けでも同じ色が出ます。
だから絶対に日本に帰りましょう、ヒマリ。登山をしましょう、ヒマリ。その風景を私の2000万画素カメラで撮影してください」
「うん!」
壊れたハッチに、ガシャガシャと機械の歩く音が響く。ぬっと、その無機質な姿を見せる。
「…ヘイシリアリス、あと何分?」
「1分23秒です。ヒマリ、右です」
チュン、と、ヒマリは見事に光線を避けてみせた。
「オッケー、やったろうじゃん!見せてやるよ!引きこもりの本気ってヤツをさ!」
「それは駄目でしょう。しゃがんでください」
「ほい!」
エイリアンロボは光線を撃ちながら間合いを詰めてきた。
「わわわわ、場所、にげ、場所…!」
「大丈夫ですヒマリ。あれには掴む能力はありません。左です。避け続けてください」
「わか、わかった!」
「ジャンプしてください。右です」
「はや、はやい!」
「がんばりましょう。右です左です」
シリアリスの言う通りだった。
エイリアンの技術で作られた安価な量産型戦闘ロボットのAIには、戦闘時に予測回避を続ける対象は想定されていなかった。
一個体との戦闘は数秒の間に倒すか倒されるか、といった設計思想の元で動く戦闘ロボットは、近接用の回転ブレードと光線銃を組み合わせて攻撃を続ける。しかしそのどちらも、ヒマリの体に触れれば簡単に死傷を与えるものだ。
そのブレードアームを振り回し、光線を撃ち、限られた攻撃をランダムに、疲れる事なく飽きる事なく繰り返す。間断なく、終わらない攻撃。
避ける、避ける、避ける―
ヒマリはひたすらに、その全てをセンチ単位でギリギリにかわし続けた。
運動音痴だと知っていた自分の事を、彼女は生まれて初めて誇らしく思えた。
その分心臓はバクバクと跳ねあがりつづけ、やがて息を吸うタイミングと吐くタイミングがわからなくなってきた。
「―よけっ、よけたよ!!シリアリスっ!これ、あと何秒?」
「1分11秒です。左です、しゃがんでください」
「…まだ10秒?!」
ヒマリの顔色が一瞬で蒼白になった。
表情が消えた。
彼女は視界全てが真っ黒になったように感じた―
―それは、あまりにも絶望的な数字だった。
ダンスゲームでの踊りを1分プレイし続ける事よりも街角でチンピラに脅される10秒ははるかに気力を消耗する。そのチンピラが空手道場に連れ込まれ組手をさせられたら10秒ともたない。その空手家にとって道場の試合と本番の全国大会では体力の消耗は全くケタが違う。それでもなお、それは試合に過ぎない。
ヒマリの味わったこの10秒は、一瞬遅れれば死ぬ、本当の戦いの時間だった。本当の生死をかけた動きだった。
それが、彼女を守っていてくれていた異世界の仲間たちが生きる世界だった。
スポーツの試合すら未知のものであるヒマリが生まれて初めて味わった生死の10秒。そのたった10秒は無情にも彼女の体力を、その全てを奪いつくした。
―にわかに、ヒマリの両手が震えだした。
涙があふれた。
一瞬で膝の力が抜け、崩れ落ちそうになった。
「ヒマリ!左です」
が、シリアリスの声に叩かれるようにギリギリで力を籠めるヒマリ。
「一歩下がってください!ジャンプしてください、右です右です左です右…」
「やだやだ……!!ウソ、これ、違う…違うよシリアリス!」
どんどん速くなるシリアリスの声と同時に動くヒマリ。本当に操縦されているかのようなレベルでの動きだった。
冷汗が止まらない。
ぎゅっと強くつむった両目から涙が止まらない。
がくがくと笑う足を必死に動かし、ぼろぼろと泣きながら、彼女はシリアリスの指示の為だけに全神経を耳に、動きに集中していた。
思考停止。いや、思考の全てをシリアリスに預けていた。
砕けた甲板に囲まれた行き止まりの空間で、二人は必死に攻撃を避け続ける。
「やだ、やだよ…!あと何秒?!」
「しゃがみ、右、左、右、下がる…53秒です右…」
(無理だ…)
その呟きは、持てる性能の全てを演算処理に回しているシリアリスには聞こえなかった。
ヒマリの胸ポケットがどんどん熱を持つ。尋常ではない発熱をするスマートフォン。その熱は持ち主を、ヒマリを守る為の必死の計算だった。シリアリスが出来得る全てだった。
「ごめんねシリアリス…、ボク、シールド、覚え、なきゃだった…」
「右、だまって、下がる、左です…あと44秒です」
「や、だぁ…」
シリアリスにはスマートウォッチのような心拍計や体温センサーはついていなかった。
もしあればヒマリが革ジャケットごしでも胸の熱を感じるようにシリアリスもヒマリの異常な発熱と滝のような汗を感じていただろうか。
いや、センサーはいらなかった。今のシリアリスにはヒマリの全てが嫌というほど感じとれていた。
「ヒマリ動いて!あたま右、しゃがむ…!」
シリアリスが叫ぶ。
シリアリスの発熱がヒマリの胸を焼く。CPUがそんなに発熱していいはずがないのに、とヒマリは思った。
「ママ、ママ…!ごめっ、ごめんなさいい…ずっと、ごめ…!」
ヒマリは、もうただ泣きじゃくっていた。ぐしゃぐしゃに泣きじゃくっていた。
「ごめ、もう、探さないでぇ…」
「しゃがむ!ヒマリ!顔左に!」
シリアリスが、必死に叫ぶ。
シリアリスの液晶画面を、密着するヒマリの胸の鼓動が叩き続ける。もはや脈拍センサーは無くてもわかるほどの激しい振動だった。
1分230回の心臓の鼓動は人間の限界以上だという事をシリアリスは知っていた。
ハッハッハッハッと、一瞬の途切れもない激しく続く呼吸。それは自分の指示を信じて動くための物だとわかっていた。
「ヒマリ左っ!!」
シリアリスの悲痛な叫び声。
それでも叫ぶ事しかシリアリスにはできないからだ。
はっ、と、吐いて、ヒマリの呼吸が止まる。
あれほど激しかった呼吸が、止まった。
ヒマリは、無理やりに、泣き顔を笑顔で上書きした。
どうにか、せいいっぱい肺の底から言葉を絞り出した。
「無理、
…ありがとうねシリアリス」
「ヒマリっ!右!!半歩っ!!」
バヅンッ!!
目が眩む光、そして熱。
ヒマリの胸に光線が直撃した。
スマホのそれとは違う熱が胸に刺さった。
やられた…。
ヒマリは膝から崩れ落ちる。
膝を曲げたまま天を仰ぐように、あおむけに倒れる。
「0秒です」
割れた音声。
ノイズ混じりだが上品で聞き取りやすいデフォルトのサンプリング音声がスマートフォンから流れ、止まった。
直後、もう一度閃光が走る。
魔法の矢を受けたエイリアンロボがドン、と音を立てて崩れ落ちるが、ヒマリは見ていない。仰向けに倒れたままだ。
「い……っ」
ゆっくりと、ヒマリが力なく腕を持ち上げる。
胸に手を当てる。
熱い。
じゅう、と右手のひらに激しい火傷の痛みが走ったが、ヒマリは手を離さなかった。
「ヘイ、シリアリス…」
スマホからの応答は無かった。
ヒマリには、グリフォンから飛び降りて走り寄ってくる仲間の姿も声も届かなかった。
だが、意識がある。
自分の心がある。
ボク、死んだはずなのに。
「ヘイ、シリアリス…」
返事は無い。
重いまぶたをなんとか持ち上げ、薄目で外界を見た。
―エルマリさんに抱えられてる。時間ぴったりだ。
でもなんでボク生きてるんだ―
シリアリスの最後の指示。半歩だけ右によろけた事で、その半歩差でヒマリは光線の直撃から免れていた。
胸に入れていたスマートフォンが盾となり、一命をとりとめていた。
「―ヘイ、シリアリスぅ…」
もしシリアリスにセンサーがあったら、ぼろぼろとこぼれ落ちるヒマリの涙の熱さに驚いていたことだろう。
だが返事は―
無い。
振り返らずに、涙をぽろぽろとこぼしながら、ヒマリは必死に走る。
「シリアリス、シリアリス…!
ヤだよ、もうこんな!なんでこんな、みんな…!
がんばってるのに!」
「―その道をまっすぐです。突き当たった場所を左に曲がってください。
―ヒマリ。私には、応援することしかできません、ヒマリ」
「…愚痴ってる場合じゃないけどさ!でもさ…!」
「大丈夫です、ヒマリ。帰りましょう。日本へ」
「うん…」
いつもの、聞き取りやすいハキハキとした音声でシリアリスはヒマリを励ます。
だが無論。その中にもヒマリは彼女の感情を確かに感じ取っていた。
「ヒマリ、そのゲートを潜ってください。構造および振動音から、この周辺に動力部が予測されます」
「…すごい、シリアリスすごい!アレでしょ!」
よくわからない道具が散乱した広間。
もしかしたらツヴァイが倒れた事をモニターか何かで見ていたのかもしれない。脱出艇にでも逃げ出したのだろうか。
誰もいないその広間の奥には5メートルほどもある巨大な筒のような構造体が鎮座していた。
宇宙人の機械にしては珍しく、うなりをあげて駆動し、何本かあるスリットから虹色の光がこぼれていた。
「これだよね、ゲーミングエンジンだよ」
「ヒマリ、ゲーミングとは…」
「いいから。よし、シリアリス!びっくりファイアー1号!」
「はい」
キュルキュルキュル、と早送りが再生される。突き出したヒマリの手が光り、加速するスパイラルアローが発射される。ねじ込むように溶かすように、光るパラソルがエンジンの外壁に正円の穴をあけた。
「よし!あの穴の中にバラ肉セール300グラム!」
「しかしヒマリ、もう魔法力がありません」
「使えるだけ!出せるだけでもいいから!こいつ壊せなきゃダメなんだ、こいつ壊さなきゃボクらに未来はないから!」
「はい、わかりました。再生します」
もう一度、途切れる事なく別の高速詠唱が再生された。同じ詠唱が繰り返し再生され続けた。
ヒマリのオリジナル複合魔術である小型火球10発を発射する魔術が30回分繰り返されていた。
連続詠唱での魔力消費でヒマリは頭痛がしていたが、気にせずに両手を前に突き出し、火球を撃ち続ける。
260発発射された所で、手のひらの魔法陣が消える。
「…やったよね?シリアリス」
「はい。エンジンと推測される部位の沈黙を確認しました。床下からも強い衝撃を感知。
おめでとうございます、ヒマリ。任務達成です」
「うん、爆発してる」
こうも見事にやり遂げておきながら、ヒマリは浮かない顔のままだった。
ここから引き返す道を考えただけでも気が重いのだ。それは、仲間たちの血に染まった道だから。
「ソフィエレさん達大丈夫かな…」
「彼女は本職の軍人です。あちらには勇者ザウムが一緒です。転移魔術師のクリスが一緒です。確実に行動し、確実に脱出するでしょう。
むしろヒマリこそ気を付けてください。あなたは一人だけです」
「違うよ、ボクらは二人だよ。それにもう後は脱出するだけ…」
暗い顔のまま、ヒマリが入ってきたゲートへと振り返った時。そこに一つの影が差す。
「…ガードロボット!シリアリス、びっくりファ…魔力だ!」
慌てて回りを見回すが、武器になりそうな物は何もなかった。
棒切れ状の何らかの道具ぐらいなら落ちているが、それでなんとかなると思えるほどヒマリは自分の運動神経を過信していない。
「ヒマリ、最後の魔法行きます!」
シリアリスの声にとっさにエイリアンロボに手を突き出すヒマリ、スマホから流れる高速詠唱。
ヒマリの手からさっきの10連撃小型火球の、たった一発だけが発射された。
ガードロボットのセンサーを狙うが、その薄いバリアーで簡単にはじけ飛んだ。
「ヒマリ、今です」
「うん!」
目隠しになったその隙に、ヒマリはガードロボットのわきをすり抜けるように転び逃げる。
「ヒマリかがんでください!」
ブンッ、と、下げたヒマリの頭上をアームがまさに間一髪通り過ぎる。
「うおお…こわ!」
「右です」
チュンっ、と、熱がヒマリの耳を掠めた。
「わわわ、ちょ、ちょ、」
光線だ。見てからは当然避けられない。見えたという事はすでに当たっているからだ。
エイリアンロボのわずかな動きから、シリアリスが予測する言葉を信じるしかなかった。
「逃げてください、ヒマリ」
「はいい!!ああもう、シールドがあれば…!」
シリアリスに言われるまでもなく、ヒマリはそのままダッシュで逃げる。
「この通路を直進し、3メートル先を左です。そのまま道なりに進んでください。脱出合流ポイントへ誘導します」
「ヒトナビ!」
「次の交差点を右です」
「わわ、追ってる追ってる…!」
エイリアンロボの走行速度は速くはないが、遅くもなかった。
逆関節の長い足は、直線は速いが、曲がり角では速度を減速する。
シリアリスはそれを踏まえて道を選んでいるようだ。
ヒマリは引き離す事はできないが、追いつかれる事も無かった。
「あとどれぐらい?!合流時間!エルマリさんとの!」
「3分14秒後です。直進してください」
チュン、と、光線がヒマリの右頬を掠める。
「…ヤバいんだけど!!」
「今は後ろが見えません。避ける指示はできません。祈りましょう。
通路突き当たりの扉は自動で開きます。くぐってください」
「ほいよ!」
「ふざけないでください、ヒマリ」
「ガチのガチだよ!」
運動音痴のヒマリは必死に走りぬき、ようやく解放された空間へと出た。
二人が行き着いたのは、甲板から入った場所。
その甲板が吹き飛んだのか、穴というよりは天井の無い行き止まりの通路になっているが、ヒマリだけでは絶対に登れない。
爆発を続ける戦艦。
傾いた戦艦。
ヒマリは夜明けの空に手を伸ばしたい気持ちだった。
「目的地に到着しました。ナビを終了します」
すううう、と、ヒマリは胸いっぱいに大きく空気を吸い込む。
それを胸の内に3秒溜め、その全てを肺から吐き出した。
それは運動音痴な彼女なりにこの半月で身に付けた、呼吸を、そして心を落ち着かせる方法であり儀式だ。
じわりじわりと高度を下げ続ける戦艦。
そのゆるやかな墜落は上空からの風景だけではわからないが、傾斜した床や常に続く振動、艦内で断続的に起こる爆発で感じとれる。
「はぁ…。シリアリス、朝日が見えるよ。異世界の風景って奇麗だよね。ぼんやりと見える二つの月。とがった形の山脈。ぜんぶが薄紫の朝焼けに染まってる」
「日本の山脈の夜明けでも同じ色が出ます。
だから絶対に日本に帰りましょう、ヒマリ。登山をしましょう、ヒマリ。その風景を私の2000万画素カメラで撮影してください」
「うん!」
壊れたハッチに、ガシャガシャと機械の歩く音が響く。ぬっと、その無機質な姿を見せる。
「…ヘイシリアリス、あと何分?」
「1分23秒です。ヒマリ、右です」
チュン、と、ヒマリは見事に光線を避けてみせた。
「オッケー、やったろうじゃん!見せてやるよ!引きこもりの本気ってヤツをさ!」
「それは駄目でしょう。しゃがんでください」
「ほい!」
エイリアンロボは光線を撃ちながら間合いを詰めてきた。
「わわわわ、場所、にげ、場所…!」
「大丈夫ですヒマリ。あれには掴む能力はありません。左です。避け続けてください」
「わか、わかった!」
「ジャンプしてください。右です」
「はや、はやい!」
「がんばりましょう。右です左です」
シリアリスの言う通りだった。
エイリアンの技術で作られた安価な量産型戦闘ロボットのAIには、戦闘時に予測回避を続ける対象は想定されていなかった。
一個体との戦闘は数秒の間に倒すか倒されるか、といった設計思想の元で動く戦闘ロボットは、近接用の回転ブレードと光線銃を組み合わせて攻撃を続ける。しかしそのどちらも、ヒマリの体に触れれば簡単に死傷を与えるものだ。
そのブレードアームを振り回し、光線を撃ち、限られた攻撃をランダムに、疲れる事なく飽きる事なく繰り返す。間断なく、終わらない攻撃。
避ける、避ける、避ける―
ヒマリはひたすらに、その全てをセンチ単位でギリギリにかわし続けた。
運動音痴だと知っていた自分の事を、彼女は生まれて初めて誇らしく思えた。
その分心臓はバクバクと跳ねあがりつづけ、やがて息を吸うタイミングと吐くタイミングがわからなくなってきた。
「―よけっ、よけたよ!!シリアリスっ!これ、あと何秒?」
「1分11秒です。左です、しゃがんでください」
「…まだ10秒?!」
ヒマリの顔色が一瞬で蒼白になった。
表情が消えた。
彼女は視界全てが真っ黒になったように感じた―
―それは、あまりにも絶望的な数字だった。
ダンスゲームでの踊りを1分プレイし続ける事よりも街角でチンピラに脅される10秒ははるかに気力を消耗する。そのチンピラが空手道場に連れ込まれ組手をさせられたら10秒ともたない。その空手家にとって道場の試合と本番の全国大会では体力の消耗は全くケタが違う。それでもなお、それは試合に過ぎない。
ヒマリの味わったこの10秒は、一瞬遅れれば死ぬ、本当の戦いの時間だった。本当の生死をかけた動きだった。
それが、彼女を守っていてくれていた異世界の仲間たちが生きる世界だった。
スポーツの試合すら未知のものであるヒマリが生まれて初めて味わった生死の10秒。そのたった10秒は無情にも彼女の体力を、その全てを奪いつくした。
―にわかに、ヒマリの両手が震えだした。
涙があふれた。
一瞬で膝の力が抜け、崩れ落ちそうになった。
「ヒマリ!左です」
が、シリアリスの声に叩かれるようにギリギリで力を籠めるヒマリ。
「一歩下がってください!ジャンプしてください、右です右です左です右…」
「やだやだ……!!ウソ、これ、違う…違うよシリアリス!」
どんどん速くなるシリアリスの声と同時に動くヒマリ。本当に操縦されているかのようなレベルでの動きだった。
冷汗が止まらない。
ぎゅっと強くつむった両目から涙が止まらない。
がくがくと笑う足を必死に動かし、ぼろぼろと泣きながら、彼女はシリアリスの指示の為だけに全神経を耳に、動きに集中していた。
思考停止。いや、思考の全てをシリアリスに預けていた。
砕けた甲板に囲まれた行き止まりの空間で、二人は必死に攻撃を避け続ける。
「やだ、やだよ…!あと何秒?!」
「しゃがみ、右、左、右、下がる…53秒です右…」
(無理だ…)
その呟きは、持てる性能の全てを演算処理に回しているシリアリスには聞こえなかった。
ヒマリの胸ポケットがどんどん熱を持つ。尋常ではない発熱をするスマートフォン。その熱は持ち主を、ヒマリを守る為の必死の計算だった。シリアリスが出来得る全てだった。
「ごめんねシリアリス…、ボク、シールド、覚え、なきゃだった…」
「右、だまって、下がる、左です…あと44秒です」
「や、だぁ…」
シリアリスにはスマートウォッチのような心拍計や体温センサーはついていなかった。
もしあればヒマリが革ジャケットごしでも胸の熱を感じるようにシリアリスもヒマリの異常な発熱と滝のような汗を感じていただろうか。
いや、センサーはいらなかった。今のシリアリスにはヒマリの全てが嫌というほど感じとれていた。
「ヒマリ動いて!あたま右、しゃがむ…!」
シリアリスが叫ぶ。
シリアリスの発熱がヒマリの胸を焼く。CPUがそんなに発熱していいはずがないのに、とヒマリは思った。
「ママ、ママ…!ごめっ、ごめんなさいい…ずっと、ごめ…!」
ヒマリは、もうただ泣きじゃくっていた。ぐしゃぐしゃに泣きじゃくっていた。
「ごめ、もう、探さないでぇ…」
「しゃがむ!ヒマリ!顔左に!」
シリアリスが、必死に叫ぶ。
シリアリスの液晶画面を、密着するヒマリの胸の鼓動が叩き続ける。もはや脈拍センサーは無くてもわかるほどの激しい振動だった。
1分230回の心臓の鼓動は人間の限界以上だという事をシリアリスは知っていた。
ハッハッハッハッと、一瞬の途切れもない激しく続く呼吸。それは自分の指示を信じて動くための物だとわかっていた。
「ヒマリ左っ!!」
シリアリスの悲痛な叫び声。
それでも叫ぶ事しかシリアリスにはできないからだ。
はっ、と、吐いて、ヒマリの呼吸が止まる。
あれほど激しかった呼吸が、止まった。
ヒマリは、無理やりに、泣き顔を笑顔で上書きした。
どうにか、せいいっぱい肺の底から言葉を絞り出した。
「無理、
…ありがとうねシリアリス」
「ヒマリっ!右!!半歩っ!!」
バヅンッ!!
目が眩む光、そして熱。
ヒマリの胸に光線が直撃した。
スマホのそれとは違う熱が胸に刺さった。
やられた…。
ヒマリは膝から崩れ落ちる。
膝を曲げたまま天を仰ぐように、あおむけに倒れる。
「0秒です」
割れた音声。
ノイズ混じりだが上品で聞き取りやすいデフォルトのサンプリング音声がスマートフォンから流れ、止まった。
直後、もう一度閃光が走る。
魔法の矢を受けたエイリアンロボがドン、と音を立てて崩れ落ちるが、ヒマリは見ていない。仰向けに倒れたままだ。
「い……っ」
ゆっくりと、ヒマリが力なく腕を持ち上げる。
胸に手を当てる。
熱い。
じゅう、と右手のひらに激しい火傷の痛みが走ったが、ヒマリは手を離さなかった。
「ヘイ、シリアリス…」
スマホからの応答は無かった。
ヒマリには、グリフォンから飛び降りて走り寄ってくる仲間の姿も声も届かなかった。
だが、意識がある。
自分の心がある。
ボク、死んだはずなのに。
「ヘイ、シリアリス…」
返事は無い。
重いまぶたをなんとか持ち上げ、薄目で外界を見た。
―エルマリさんに抱えられてる。時間ぴったりだ。
でもなんでボク生きてるんだ―
シリアリスの最後の指示。半歩だけ右によろけた事で、その半歩差でヒマリは光線の直撃から免れていた。
胸に入れていたスマートフォンが盾となり、一命をとりとめていた。
「―ヘイ、シリアリスぅ…」
もしシリアリスにセンサーがあったら、ぼろぼろとこぼれ落ちるヒマリの涙の熱さに驚いていたことだろう。
だが返事は―
無い。
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日本帝国陸海軍 混成異世界根拠地隊
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太平洋戦争も終盤に近付いた1944(昭和19)年末、日本海軍が特攻作戦のため終結させた南方の小規模な空母機動部隊、北方の輸送兼対潜掃討部隊、小笠原増援輸送部隊が突如として消失し、異世界へ転移した。米軍相手には苦戦続きの彼らが、航空戦力と火力、機動力を生かして他を圧倒し、図らずも異世界最強の軍隊となってしまい、その情勢に大きく関わって引っ掻き回すことになる。
俺のスキル『性行為』がセクハラ扱いで追放されたけど、実は最強の魔王対策でした
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「アレン、あなたのスキル『性行為』について、少し話したいことがあるの」
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「……どうしたんだ、イリス?」
アレンのスキル『性行為』は、女性の愛の力を取り込み、戦闘中の力として変えることができるものだった。
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そんなアレンが周りから違和感を抱かれることは、本人も薄々感じてはいた。
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※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
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