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同居って恐ろしい

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 ランティス様との茶会を終えたわたくしは、自室の机に座っていた。

 部屋にはわたくし一人だけ。

 机の上には、まだ1ページも使っていない新品のノートが広がっている。わたくしはそのノートに、12歳から17歳の婚約破棄までの出来事を思い出せる限り書き始めた。

 わたくしは頭の中を整理しようと思ったのだ。

 5年間の記憶なので曖昧な部分も多いし、時期もずれているだろう。ただ、書いていくうちに思い出すこともたくさんあった。

 しかし、12歳の時にランティス様と過ごした記憶は出てこなかった。

「う~ん。やっぱり今の時期の記憶が薄いですわね……。この時期にランティス様と過ごした記憶がないですわ」

 わたくし、失礼すぎでは……?

 気を取り直し、今度はやり直したい事柄を書いていく。

「まずは、お母様に長生きしてもらう。それからグラード様と婚約しない。……友達を作る」

 お母様は馬車の事故に遭うのだけど、正確な時期がいまいちわからなかった。記憶が曖昧なのは、お母様を亡くしたことで精神的に混乱していたからなのかも知れない。
 確か、馬車の整備不良だと、お父様は言っていたような気がする。

「わたくしが対処出来ることかしら、これ。とりあえず両親に馬車の整備を提案してみましょう」

 グラード様との婚約はお父様が話を持ってきたはずだ。政略的なものだし、回避するのは難しそうだ。

「ひと目見て初恋のあの方だと思ったから、当時はとても嬉しくてはしゃいでましたわね。もうそんなこともないですけど」

 婚約破棄のあの時までグラード様を信じていたが、流石にもう無理だ。50年だか100年だかの恋も冷めるというもの。わたくしの恋心はすでに氷点下である。

「と、いいますか、恋愛自体がもうしんどいかも知れないですわ……」

 ああでも、誰かと婚約を結んでおかないとダメかしら。グラード様と婚約したくないし、したらもれなくメロディナ様がついてきそうで怖い。

 その時、ランティス様の顔がフッと浮かんだ。

 確かランティス様には婚約者が居なかったはずだ。ご令嬢たちがランティス様に取り巻いていたのも、顔を覚えてもらって婚約者候補になろうとしていたんだろう。

 今ちょうど屋敷にいるし、婚約者のフリを受けてくれるかも。

 なんたって、愛しいひとめぼれ……ですものね。

『……嫌いだ』

 突然、ランティス様の言葉が蘇った。わたくしの背筋は一瞬で凍りついた。

 今はまだ嫌われていないから良いものの、わたくしは未来でやらかしているのだ。しかも、嫌われた原因がよくわかっていない。

 そして何より、わたくしの中でランティス様の印象が良くないのだ。

 本来は優しい人だし、嫌われなければ良いということは頭ではわかっているのだが、どうしても心が拒否をする。

 そんな状態なのに、婚約者のフリなんて頼める? ムリムリ、無理だ。

 それにランティス様との距離をはかりかねている状態なのだ。運命だとか、ツガイだとかなんだかグイグイ来られたが、今の所わたくしから積極的に交流をするつもりはなかった。

 なんだかわからないうちに同居人になっているランティス様だが、同じ敷地内にいるだけで、過ごす屋敷は別々なのだから、そう会うこともないはずだ。

「それに人の好意を利用するのは良くないですわ。わたくしがされる立場なら悲しいし傷つくもの」

 ランティス様に頼むのは却下ね。でも、そうなると回避手段はどうすればいいの?

「えええ……。留学でもしないとダメかしら?」

 とりあえず婚約云々は一旦置いておこう。友達作りも学園に入学してからのほうが効率が良いだろうし、今急ぐことと言えば……。

「お母様を救うこと、ですわね」

 今日の夕食時に早速お願いしてみよう。しかしこれだけで事故を回避できるかしら? 

 お父様にお願いするのはいいけれど、他に出来ることは無い? お母様に『馬車に乗らないで』って言ってみる? 『どうして?』って聞かれたら?

「馬車事故に遭うからなんて言えないものね。お母様も未来を知っていたら……」

 そこでわたくしはふと、自分自身に起こっている現象が気になった。

 わたくしは未来を知っている。

 知っているじゃない。体験したのだ。長い夢を見ていたわけでもない。

 わたくしは手元のノートに視線を落とす。白紙だったページには文字がぎっしりと書き込まれている。

 あやふやな部分も多いが、12歳から17歳までのわたくしの時間は確かに存在しているのだ。

「そもそも夢ならばここまで覚えていないわ」

 何が現実なのかわからない。ただ、心の痛みは確実に残っている。

 わたくしはため息をついてノートを閉じた。



◇◇◇



 夕方。

 わたくしは食堂へ向かうため、廊下を歩いていた。わたくしの斜め後ろには、呼びに来てくれた侍女がしずしずと歩いている。

 12歳に戻ってから家族と食事を共にするのは初めてだ。3日間寝込んでいたということもあって、今までは部屋で食べていた。

 自分でも緊張しているのがわかる。

 お母様は何度か部屋まで顔を見に来てくれていたが、お父様はわたくしが倒れる前に出張にでかけていたらしく、今日初めて会うのだ。

 お母様が亡くなる前のお父様は優しくて穏やかだった。だから、そんなに緊張することもないのだが、思い浮かぶのは厳しい表情のお父様ばかり。

 そもそもお父様は屋敷にいることが少なかった。

 生粋の貴族ながら商売上手なお父様。いくつもの事業を成功させているし、商人たちからの信頼も厚い。その御蔭でわたくしも裕福な貴族で居られるのだが、忙しい人だった。

 お母様が亡くなってからはその忙しさがさらにひどくなった。

 仕事を詰め込んでいたのかもしれない。お父様も寂しかったのかな。しかし、それが原因でわたくしの幼い弟たちは領地で育てられることになり、離れ離れになってしまった。

 弟たちに会いたいと何回か願い出たけど、結局5年間会えずじまいだったのよね。

 その弟たちにも今から会えるのだ。これは純粋に嬉しかった。

 色々思い出しているうちに食堂へとたどり着く。後ろに居た侍女がわたくしの前に進み出て扉を開けようと、ドアノブに手をかけたその時だった。

「リシュア、体調はもう良いの?」
「ラ、ランティス様?!」

 背後から声をかけられたので誰かと思い振り向いたわたくしは、ランティス様の姿を認めて動揺してしまった。

 どうしてここにいますの?

「頭痛は治った? ごめんね。僕のワガママで無理をさせてしまって」

 離れにいるはずのランティス様が、なぜ本邸にいるのか。何かあったのだろうか。

「どうか……なさいましたか?」
「夫人のご厚意で、食事は皆様と一緒に頂いているんだ。今日からは君も一緒だって聞いていたから楽しみで仕方なかったよ」

 お、お母様~!!!

 そう何回も会うはずないと思っていたのに、こうも簡単に会ってしまうとは同居って恐ろしい。お母様の社交性も恐ろしい。

 わたくしが呆然としていると侍女が困ったように尋ねてきた。

「お嬢様。ドアを開けてもよろしいでしょうか?」

 わたくしたちが会話を始めてしまったせいでタイミングに困ったのだろう。「開けてちょうだい」と言おうとしたら、ランティス様から止められてしまった。

「待って。ねぇ、リシュア。僕にお姫様をエスコートする権利をくれないかな?」

 そう言いながら、ランティス様はわたくしの右手を取る。

 お姫様って誰? エスコートって何? いや、家族との毎回の食事にエスコートってどういうこと?

 そう思いながら断ろうとランティス様を見返すと、美麗な顔面がわたくしの目に飛び込んできた。

 それはもう、期待に満ちていると言うか、いつにも増してキラキラしていると言うか、憎いほどに男前である。

 ああ、そういえば憧れていたわね。グラード様と婚約してからは、グラード様がいつかやってくれないだろうかと何回も妄想していたけど、そんな現実は一度もこなかった。

 そのせいだろうか。長年、夢に見たシチュエーションにわたくしはうっかりうなずいてしまったのだ。

 すると、目の前の男前が嬉しそうに破顔する。それからわたくしの手の甲にキスを落とした。「ちゅ」とリップ音がする。非常にいやらしい。

 心臓がドキンドキンと音を立てる。わたくしは恥ずかしくて、一歩も動けなくなってしまった。

 しかし、顔を上げたランティス様はおかまいなしに微笑んできた。

「光栄です。姫様」

 ギュンわー!!! そうです、わたくしが姫様です、って違う!!! わたくしは伯爵令嬢です!

 全身が火照る。羞恥心でどうにかなりそうで身体も頭も停止してしまった。

 ランティス様はわたくしの右手を持ち直すと、侍女に声をかけた。

「君。扉を開けてくれるかい」
「は、はひっ!」

 わたくしの後ろを、あんなにしずしずと歩いていた侍女が顔を真っ赤にさせている。なんなら声も裏返っている。

 その侍女を見たわたくしは、ギリギリ保っていた意識を遥か彼方へ飛ばしてしまったのだった。


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