上 下
6 / 30

ランティス殿下とお茶を飲む

しおりを挟む



 翌日。

 わたくしは、本邸のテラスに居た。

 本日も快晴で、サンサンと太陽の光が降り注いでいる。テラスからは立派な中庭が見渡せた。

 大きめのガーデンパラソルの下には、クロスの掛けられたテーブルと、クッションが敷かれた椅子が2脚置かれていた。
 テーブルの上には皿が三段のせられるスタンドと紅茶が用意されていて、皿の上にはケーキやスコーンが並び、陽の光を受けてキラキラと輝いている。

 わたくしは椅子に座り、ぼんやりとしていた。

 ああ、穏やかだわ。

 婚約破棄されて階段から突き落とされたことが、すべて夢だったのではと疑うほど、のんびりとした時間が流れていた。

 あれから鐘の音がすることもなく、すでに1日が過ぎている。1度眠って朝起きたときには17歳に戻っているのではと期待したが、そんなことはなかった。

 そもそもわたくし、帰りたいかしら?

 帰れたところで、婚約破棄された傷物令嬢だし、グラード様やメロディナ様と会いたくない。

 2人は捕まっていたけれど、現実なのかどうか疑わしかった。実はわたくしの願望が見せた夢かもしれないものね。

 そう考えれば、17歳に戻るよりも12歳からやり直せばいいのでは……?

 いや、そもそもやり直せるものなの?

 わたくしは恋愛物語が好きで、よく読んでいた。その中には時間を遡る話もあって、主人公たちは悲惨な未来をやり直そうと突き進んでいく。

 だったらわたくしも、グラード様と婚約しない方向に持っていきたいわ。お母様だって死なせたくない。そういえば、お母様っていつ、馬車の事故に遭うんだったかしら?

「リシュア嬢」
「……はっ、はい!」

 わたくしが色々考えていると背後から声を掛けられた。驚いたわたくしは慌てて椅子から立ち上がる。

 振り向くと、花束を持った黒髪の少年が立っていた。

「隣国レインフォレストから来ました、ランティス・テオ・レインフォレストと申します。どうぞ、気軽にランと呼んでください。今日は僕のわがままを叶えてくれてありがとう」

 そう言ってランティス殿下は微笑んだ。髪は5年後よりも短めだが一つにくくっている。白いシャツは一番上だけボタンを外し、ベストとズボンは紺色で揃えていた。

 対するわたくしは、リボンタイがついた白いブラウスに赤いスカートをはいていた。そのスカートをつまみ上げ、カーテシーをする。

「ロンメル伯爵家の長子、リシュア・ロンメルと申します。先日はありがとうございました」

 ランティス殿下から花束を受け取り、椅子へと促す。受け取った花束はどの花もわたくしの好きなものだった。

 なぜ知っている。

 疑問に思いランティス殿下を見やると目があった。

「花束は気に入ってもらえたかな? 君の母君から好みを聞いたんだけど」
「そ、そうなのですね。ありがとうございます」

 人の好みを事前に調べて用意する。そういえば、そんな気遣いのできる人だったわね。

 嫌われてからのイメージが強すぎて戸惑ってしまうが、本来の彼は物腰の柔らかい方で、女性への接し方も文句のつけようがない完璧な男性だった。

 獣人だけど学園では女性からの人気がすごくて、常に囲まれていたわね。言葉は悪いが、わたくしには侍らせているようにも見えていた。

 そんな方が、わたくしとグラード様の交際にグチグチ言ってきたものだから、複雑な気分だったわ。

 ぼんやりと思い出していたら、きょとんとしたランティス殿下と目があった。

 ハッとしたわたくしは侍女に花束を渡し、自分も着席する。とりあえず何を話そうかと思っていたところ、ランティス殿下から尋ねられた。

「体調はどう? 熱がひかないと聞いて心配していたんだ」
「ご心配をおかけいたしました。3日間程寝込んでいたらしいのですが、実は全く覚えていないのです。今はこの通り、元気になりましたわ」

 だから、安心して寝てください。

 そう思いながらニコリと笑ってみせる。

「先日は助けていただいて本当にありがとうございました」
「ううん。たいして何も出来なかったよ」
「そんなことはありませんわ。あの時とても苦しかったのです。今日のお茶会はお礼の印です。どうぞ召し上がってくださいませ」

 よしよし。これで今日の茶会の目的は達成できただろう。

 するとランティス殿下から盛大なため息が漏れた。

「……それにしても本当に良かった。健康の神に祈って良かったよ」

 健康の神って何です?

 レインフォレストは自然崇拝の国ではなかったか。健康の神とやらは一体何に分類されるの。そんな疑問は浮かんだものの、聞き始めたら茶会が長引きそうな気がして、湧き上がる好奇心を抑え込む。

 実を言えばわたくしは、いくばくか緊張していた。

 ランティス殿下との会話にあまり良い思い出がないのだ。

 穏やかに話せていた期間もあるにはあるが、短すぎるせいか記憶が薄い。確か、最初に様子がおかしいと思ったのは、グラード様の話をしたときだった。

 グラード様の話題を出すたびに、ランティス殿下の瞳の光がなくなっていくような感覚がしていた。そして不機嫌を隠さなくなって、最終的には「嫌い」と言われたのだ。

 グラード様と不仲だったという話は聞いたことがないが、グラード様のことが嫌いだったのかも知れない。

 現時点でグラード様の話をすることはないだろうが、自分が思っていたより不安が強いようだ。わたくしは茶会を早く終わらせたかった。

 こんな考えはやはり失礼だろうか。

 そう思い、ランティス殿下をよく見ると、目は潤み、目の下にはうっすらとクマが出来ていた。唇も少し荒れていて、顔色も悪い。

 わたくしとお茶を飲むよりお休みになったほうが良いんじゃないかしら。

 やっぱり茶会を早々に切り上げよう。わたくしは口を開いた。

「ランティス殿下、その……」

 するとランティス殿下は、安堵の表情から悲しそうな表情に変わり、わたくしは困惑した。

「ラン、と呼んでほしいな」
「え? いえ、その、婚約者でもないですし」

 するとランティス殿下はあからさまにシュンとうなだれた。

 なぜそんな残念そうにするの。いくらなんでも段階をすっ飛ばしているし、愛称呼びのハードルって高いのよ。

 ランティス殿下の行動に戸惑い何も言えなくなっていると、ランティス殿下が顔を上げた。

「では、ランティスで構わないよ。殿下は不要だ」
「わ、わかりましたわ。では、わたくしのこともリシュアとお呼びください」
「敬語もいらない。気軽に話そう」
「わたくし、普段からこの話し方なのですが……」
「そ、そうなんだね。ごめん」

 なんだろう。ものすごく残念がっている気がする。心の声で話せば良いのだろうか。

「ええと、ランティス、様。ひとつお聞きした……聞きたいのです……聞きたい、んだけど」
「……無理しないで。僕が悪かった」

 割と難しいわ。心の声はもっと砕けて話せるのに。

「聞きたいことってなにかな?」

 わたくしが首をひねっていると、ランティス様が尋ねてくれた。わたくしはもう一度尋ねる。

「あの、ランティス様は、なぜそんなにわたくしのことを気にかけてくださるのですか?」

 ランティス様は出会ったときから優しかった。困っている人を見過ごせないだけかもしれないし、わたくしが苦しそうにうずくまっていたから、その後どうなったか気になったということもあるだろう。

 5年後の、嫌われる前だってとても優しかった。嫌われた後の印象がわたくしの中で強すぎるだけで。

 ただ、心配しすぎて眠れないのはひどすぎない? 普通のことなの?

 茶会を切り上げようとしていたはずなのに、ランティス様の一喜一憂する姿に尋ねずにはいられなかった。

 するとランティス様はフワッと微笑んだ。

「それはね。君は僕の大事な番だからなんだ」
「……はい?」

 ツガイ? なんですか、それ?

「番なんて言われてもわからないよね? 番というのは獣人族特有のもので、なんて言えばいいかな。……運命の相手……と言えばわかるかな?」

 運命の相手??!

 なんですか、そのパワーワード。恋愛物語好きなわたくしからしたら、たまらなく興奮するワードだわ。
 ん? でも、待って。要するにどういう事?

「運命の相手? え? わたくしが? ……誰の?」
「僕の」

 わたくしはランティス様を凝視しながら、静かに混乱していた。その様子を楽しむかのように、ランティス様はニコニコとわたくしを見つめてくる。

「君を離れの庭で見かけた時、ものすごい衝撃を受けたんだ。ひと目見て番だと理解したよ。その時から君のことが愛しくてたまらないんだ。……変なことを言ってごめんね」

 い・と・し・い?
 い、いい、愛しいって言いました?! 今??!

 顔に熱が集まる感覚がする。

 絶対、今、真っ赤だわ。スカートも真っ赤だから白いブラウスを挟んで逆サンドイッチ状態。いや、今はそんなこと言っている場合じゃないのよ。どうしましょう。ランティス様も照れているし、テラスの端で待機している侍女たちも、みんな床を見てない?

 何、この雰囲気。いたたまれないのだけどっ?!

 わたくしが口をパクパクとさせていると、ランティス様が頬をポリポリと掻いた。

「……一目惚れした、そういう理解で構わないよ」

 ひ・と・め・ぼ・れ。

 もう、やめてほしい。恥ずかしすぎる。わたくしが持たない。誰か彼を止めて。

 侍女たちが一心不乱に床を見つめている。顔色を変えないのはさすがだわ。わたくしも見習いたい。

 しかし、わたくしの中で疑問が生じた。5年後のランティス様は、わたくしのことを愛しいだとか微塵も感じていなかったはずなのだ。

 混乱していた上に、なにか話さねばと思ったわたくしは、うっかり声に出してしまった。

「ランティス様はわたくしのことが嫌いなはずでは?」



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

(完結)だって貴方は浮気をしているのでしょう?

青空一夏
恋愛
同棲して3年目の日向は、裕太の携帯を思わず見てしまう。 酔った時に開きっぱなしにしていたラインには女性との親密な内容が書かれていた。 今まで幸せだと思っていた生活が崩れ去っていく。 浮気を知っても追求せず愛を取り戻そうとする健気な日向に鬼畜な裕太の化けの皮がはがれる。 それを知った日向がとった行動は・・・・・・・逆玉の輿に乗ろうとする裕太を阻止するために浮気調査ゲームがはじめるが・・・・・・コメディ調ですが悲しい恋愛物語。 日向は不動産会社勤務の営業で不動産を売りまくるトップセールスウーマン、裕太は大病院勤務の医者。

【完結】後妻に入ったら、夫のむすめが……でした

仲村 嘉高
恋愛
「むすめの世話をして欲しい」  夫からの求婚の言葉は、愛の言葉では無かったけれど、幼い娘を大切にする誠実な人だと思い、受け入れる事にした。  結婚前の顔合わせを「疲れて出かけたくないと言われた」や「今日はベッドから起きられないようだ」と、何度も反故にされた。  それでも、本当に申し訳なさそうに謝るので、「体が弱いならしょうがないわよ」と許してしまった。  結婚式は、お互いの親戚のみ。  なぜならお互い再婚だから。  そして、結婚式が終わり、新居へ……?  一緒に馬車に乗ったその方は誰ですか?

追放された悪役令嬢は辺境にて隠し子を養育する

3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)
恋愛
 婚約者である王太子からの突然の断罪!  それは自分の婚約者を奪おうとする義妹に嫉妬してイジメをしていたエステルを糾弾するものだった。  しかしこれは義妹に仕組まれた罠であったのだ。  味方のいないエステルは理不尽にも王城の敷地の端にある粗末な離れへと幽閉される。 「あぁ……。私は一生涯ここから出ることは叶わず、この場所で独り朽ち果ててしまうのね」  エステルは絶望の中で高い塀からのぞく狭い空を見上げた。  そこでの生活も数ヵ月が経って落ち着いてきた頃に突然の来訪者が。 「お姉様。ここから出してさし上げましょうか? そのかわり……」  義妹はエステルに悪魔の様な契約を押し付けようとしてくるのであった。

幼女からスタートした侯爵令嬢は騎士団参謀に溺愛される~神獣は私を選んだようです~

桜もふ
恋愛
家族を事故で亡くしたルルナ・エメルロ侯爵令嬢は男爵家である叔父家族に引き取られたが、何をするにも平手打ちやムチ打ち、物を投げつけられる暴力・暴言の【虐待】だ。衣服も与えて貰えず、食事は食べ残しの少ないスープと一欠片のパンだけだった。私の味方はお兄様の従魔であった女神様の眷属の【マロン】だけだが、そのマロンは私の従魔に。 そして5歳になり、スキル鑑定でゴミ以下のスキルだと判断された私は王宮の広間で大勢の貴族連中に笑われ罵倒の嵐の中、男爵家の叔父夫婦に【侯爵家】を乗っ取られ私は、縁切りされ平民へと堕とされた。 頭空っぽアホ第2王子には婚約破棄された挙句に、国王に【無一文】で国外追放を命じられ、放り出された後、頭を打った衝撃で前世(地球)の記憶が蘇り【賢者】【草集め】【特殊想像生成】のスキルを使い国境を目指すが、ある日たどり着いた街で、優しい人達に出会い。ギルマスの養女になり、私が3人組に誘拐された時に神獣のスオウに再開することに! そして、今日も周りのみんなから溺愛されながら、日銭を稼ぐ為に頑張ります! エメルロ一族には重大な秘密があり……。 そして、隣国の騎士団参謀(元ローバル国の第1王子)との甘々な恋愛は至福のひとときなのです。ギルマス(パパ)に邪魔されながら楽しい日々を過ごします。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

我儘令嬢なんて無理だったので小心者令嬢になったらみんなに甘やかされました。

たぬきち25番
恋愛
「ここはどこですか?私はだれですか?」目を覚ましたら全く知らない場所にいました。 しかも以前の私は、かなり我儘令嬢だったそうです。 そんなマイナスからのスタートですが、文句はいえません。 ずっと冷たかった周りの目が、なんだか最近優しい気がします。 というか、甘やかされてません? これって、どういうことでしょう? ※後日談は激甘です。  激甘が苦手な方は後日談以外をお楽しみ下さい。 ※小説家になろう様にも公開させて頂いております。  ただあちらは、マルチエンディングではございませんので、その関係でこちらとは、内容が大幅に異なります。ご了承下さい。  タイトルも違います。タイトル:異世界、訳アリ令嬢の恋の行方は?!~あの時、もしあなたを選ばなければ~

お父様、お母様、わたくしが妖精姫だとお忘れですか?

サイコちゃん
恋愛
リジューレ伯爵家のリリウムは養女を理由に家を追い出されることになった。姉リリウムの婚約者は妹ロサへ譲り、家督もロサが継ぐらしい。 「お父様も、お母様も、わたくしが妖精姫だとすっかりお忘れなのですね? 今まで莫大な幸運を与えてきたことに気づいていなかったのですね? それなら、もういいです。わたくしはわたくしで自由に生きますから」 リリウムは家を出て、新たな人生を歩む。一方、リジューレ伯爵家は幸運を失い、急速に傾いていった。

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

処理中です...