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第六話 ボリス再びの絶望

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 自然の風で濡れた髪が乾いたころ、ボリスは自分の教室へ向かって歩き始めた。

 一度考え始めると、次から次へと過去のことが思い出されてくる。
 四人が喫茶店で寄り道していたとき、リュドミーラとポリーナはいつもお茶だけでなく甘味も注文していた。
 青い瞳を輝かせて甘味を楽しむ彼女を見つめていたら、甘いものが好きなのかと聞かれてひと口もらったりもした。本当は甘いものは得意でないボリスだが、そのときの甘味はとても美味しく感じた。

 教室にはギリオチーナと“白薔薇”レナートの姿があった。
 入る前に気づき、ボリスは身を潜めた。
 リュドミーラが婚約解消を考えていると聞くまでの自分なら、王女が自分を待っていてくれたのだと舞い上がっていたことだろう。ふたりの会話を風が運んでくる。

『そろそろ王宮へ戻らなくてはなりません、王女殿下』
『やめて。学園では名前で呼べと命令したわよ』
『王宮へ戻りましょう、ギリオチーナ』
『王宮は人の目が多くて嫌だわ。早く隣国へ嫁ぎたい。ボリスも……最初は面白かったけれど飽きてきたわ。あの伯爵家の小娘が平気な顔をするようになったのだもの』
『学園にばら撒いた噂にもさほど傷ついてはいないようですね』

 ボリスは心臓を掴まれたような気持ちになった。
 リュドミーラが自分達を見ても平気な顔をしているという言葉のせいか、ほかの生徒が勝手にばら撒いているのだと思っていたリュドミーラを貶める噂の出所がギリオチーナだと知ったせいなのかはわからない。
 婚約者を大切にすると誓ったのだから、あんな悪意を満ちた噂にはボリスが対応しなくてはいけなかった。だがボリスは自分と王女を主人公にした恋物語のような噂に酔っていた。

 リュドミーラを放置してギリオチーナと一緒に行動していることを咎められて、身分の高い王女の命令だからと言い訳したことがある。
 呆れ顔のヴィークに、上が間違えていたら窘めるのが忠義というものだろう? と返されたのに、そのときのボリスは相手の言葉が理解できなかった。
 そう、間違っているのだ。婚約者のいる同士が、婚約者以外の人間とばかり仲良くしていることは。

『王家の血も引かない伯爵家風情の娘は図太いのね』
『私は王家の血どころか貴族としても半端ものでございますが』
『貴方はいいのよ、私の“白薔薇”なんだもの! 大公家の息子なんて王家の血を引くとはいえ紛い物のようなものよね。正当な王女である私が産む子なら、父親がだれであっても受け入れるべきだわ。……嫁いでも貴方はずっと私の側にいるのよ』
『御意』

(なにを言っているんだ?)

 ボリスは叫び出したくなるのを必死で抑えた。
 王家が尊いといっても、それはこの国の中でのことだ。
 他国の貴族、それもその国の王家の血を引く家を莫迦にするなど許されない。

 ボリスは教室に入らずに、そのまま王都のクズネツォフ侯爵邸へ帰った。
 ギリオチーナ達はボリスの鞄が教室に残っていることなど気づかないだろうし、会話を聞かれたとしてもなんの良心の呵責も覚えないだろう。
 王女にとってボリスは思い通りに動く下僕で、自分と関係のない場所で幸せになられては気に食わない捨てた玩具だ。だけど捨てたという事実は変わらなくて、新しい持ち主から奪い取っても大切にするつもりはない。

(飽きたら、また捨てるだけだ)

 ギリオチーナの本心、いや、それどころか今の状況──“白薔薇”レナートは論外にしてもほかに婚約者がいる男と恋人同士のように仲良くしていること──を隣国の大公家に知られたらどうなってしまうのだろうか。
 隣国の大公家と親戚関係にあるヴィークに聞くまでもなく、両国の関係が大切なことは知っている。
 自家の領地も国境に近いのだ。隣国の影響からは逃れられない。

 今さらながらに自分の罪に気づいたボリスは、自分がなにかをすべきだとわかっていた。
 わかっていたが、王女が自分の言葉など聞くはずがないこともわかっていた。
 不安を胸に帰宅したボリスは、焦燥した顔つきの両親にリュドミーラとの婚約解消を告げられて、再び絶望した。

 今度は立ち直れるとは思えなかった。
 一度目のとき、いつも側にいて力づけてくれた焦げ茶色の髪と青い瞳を持つ少女はもうボリスの隣にいないのだから──
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