運命の恋は一度だけ

豆狸

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最終話 いつか運命の恋に<二度目の侯爵令嬢>

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 マルクス殿下の十歳の誕生パーティで、私はなぜか青くなって俯いていました。
 殿下の存在が近くにあるだけで体が冷たくなっていくのです。
 恐怖で逃げ出したくなるのです。殿下とお会いするのは初めてで、これまでなにか悪いことをされたわけでもないのに、です。

「……初めまして、僕はグスマン公爵家のミゲルです。体調が悪いのでしたら、少し唇を潤してみてはいかがでしょう」

 不意に優しい声がして、顔を上げると見知った人の姿がありました。
 グスマン公爵令息のミゲル様です。
 いえいえ、違います。彼と会うのも初めてです。それに、私の記憶の底にある印象よりも幼い気がします。

 銀の髪に灰色の瞳、マルクス殿下が太陽ならミゲル様は月です。
 頭が良過ぎて無表情無感情だと噂されている彼が、少し冷たく見える美貌を歪めてぎこちなく微笑んでいます。
 その手には飲み物の杯がありました。私のために持ってきてくださったのでしょうか。

「ありがとうございます」

 私は受け取って口をつけました。
 飲み物が喉を潤していくのと同時に、朝目覚めたときから感じていた恐怖が溶けていくような気がします。
 渡された杯を飲み干して、私は彼に笑みを返しました。

 ミゲル様は、先ほどのぎこちない笑みとは違う優しい笑顔になりました。
 なんだか胸の鼓動が速まります。
 それから彼はパーティが終わるまでずっと私と一緒にいて、いろいろなお話を聞かせてくださったのです。あ、彼に手を握ってもらって、ちゃんとマルクス殿下にご挨拶もしましたよ。

 パーティが終わって王都のガレアーノ侯爵邸へ帰った私は、父にマルクス殿下との婚約の話を聞かされましたが、その場でお断りいたしました。
 ミゲル様と話したことで弱まっていた、どろり、とした重たい恐怖が完全に心の中から姿を消します。
 ──それからしばらくして、グスマン侯爵家から嫡男のミゲル様との婚約の打診がありました。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「ミゲル様」

 この国の貴族子女が通う学園の入学式が終わり、講堂を出た私は先に講堂を出ていたミゲル様に呼びかけました。
 彼が振り返って微笑んでくれます。
 私達は婚約者同士なのです。

 差し伸ばされた手に自分の手を重ね、おしゃべりをしながら歩き出します。

「うちの馬車か君の馬車で、おしゃべりしながら帰ろうか」
「はい」

 ミゲル様はいつも、だれよりも私のことを気遣ってくれます。
 今日は馬車の中、今この王国で流行しているジュリアナ商会の木工細工の宝石箱を手渡してくださいました。
 宝石箱と銘打っていますが、筆記用具などを入れて学園でも使えそうです。

 宝石箱の蓋に彫られた月と花は特別に頼んだもので、月はミゲル様、花はミゲル様が私に捧げてくれている愛情を表しているそうです。離れているときも、これを見て僕を思い出して欲しい、とミゲル様はおっしゃいました。
 それでいて彼は、僕の運命の恋の相手は君だけれど、君の運命の恋の相手は僕ではない、なんてことを続けて口になさるのです。
 私が浮気者だと思っていらっしゃるわけではないようなのですが、それでもなんだか複雑な気分になります。

「でもね、ロゼット」
「はい、ミゲル様」
「君の運命の恋の相手が現れても、僕は君を譲る気はないんだ。君は僕の大事な……本当に大事な人なんだ。だから、これからも一緒にいて欲しい。僕達の恋が運命になるまで」
「運命の恋になったらお別れなのですか?」
「酷いな、違うよ」

 ミゲル様が笑います。
 マルクス殿下の十歳の誕生パーティでお会いしたときのぎこちない笑みとは違う、優しくて温かい微笑みです。
 グスマン公爵ご夫妻には、息子を笑顔にしてくれてありがとう、とよく言われます。私の力ではないと思うのですが。

「でも僕の言い方も悪かったね。僕達の恋が運命になるまでも、運命になってからもずっと、一緒にいてくれないか?」
「はい」

 ミゲル様と一緒にいると、私はいつも笑顔になってしまいます。彼はそんな私の笑顔を光り輝いているように眩しいと言って、とても愛しそうに見つめてくださるのです。

 この想いがいつか運命の恋になりますように。
 ミゲル様への想いがたった一度の運命の恋になりますように。
 そして、運命の恋になってからも、ずっとずっとミゲル様と一緒にいられますように──
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