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第四話 針の筵

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 夫の執務室の扉は、なぜか少しだけ開いていました。
 叩いて合図をするより早く、中から女性の甲高い声が響いてきました。

「ねえ、デズモンドお兄様はアタシのことを愛してる?」

 兄と呼んでいますが、実の妹ではありません。
 ペッカートル侯爵家の遠縁に当たるドゥス子爵家の令嬢だったペルブラン様です。私達よりひとつ年下の彼女も、もうすぐ学園を卒業します。
 少し間を置いて夫、侯爵家の今の当主デズモンド様の声が答えます。

「……ああ。大切な家族として愛しているよ、ペルブラン」
「ハンナお義姉様よりも?」
「……」
「そうよね、お兄様があの人と結婚したのは持参金のためだものね! 結婚して一年経っても子どもが出来ないのは、お兄様があの女を愛していないからでしょう?」

 夫はなにも答えませんでしたが、私はその場を立ち去りました。
 王都にある侯爵邸の中で、私に与えられた女主人の部屋へ向かっていると、メイド長のフラウダと出くわしました。
 亡くなった私のお母様やデズモンド様の母親であるリンダ小母様と同じ世代の女性です。

「フラウダ。……デズモンド様は私をお呼びではなかったようよ」
「なんのことでしょう?」

 そう答えたフラウダの唇の端は上がっていました。
 私は彼女に、夫が呼んでいると言われたから執務室へ行ったのです。
 怒りを覚えたものの、私は感情を飲み込みました。夫の母親で先代侯爵の正妻だったリンダ小母様の死後、この家を支配しているのは彼女なのです。使用人達もほとんどが彼女の味方です。昨日今日嫁いだばかりの年若い当主夫人の言葉を聞いてくれるものは極わずかでした。

「……なんでもないわ」

 フラウダは浮気者として知られていたデズモンド様の父親、先代侯爵の愛人で、リンダ小母様の親友の娘という理由で嫁いで来た私を嫌っています。
 結婚自体を邪魔しなかったのは、この家が私の持参金なしでは潰れてしまっていたからでしょう。
 持参金を手に入れた今は追い出すことしか考えていないから、さっきのような嫌がらせをしてくるのです。

 今さら離縁して帰っても実家に私の居場所はありません。リンダ小母様の親友だったお母様の死後、父は家に愛人とその息子、私と同い年の異母弟を連れ込んで暮らしているのです。
 私は実家の異物でした。
 お母様が亡くなった時点で、使用人達も愛人と異母弟を優先する人間に入れ替えられています。お母様が神殿に私のための遺産の管理を託していなかったら、持参金すら出してもらえなかったのではないでしょうか。

 侯爵家に問題があることを証明して離縁すれば持参金は戻って来ますが、それは理屈の上のことです。
 私の持参金はもう侯爵家の借金や生活費に注ぎ込まれています。領地からの税収が入っても侯爵領の運営が優先されます。
 私を追い出した後は、持参金を返す返すと言いながら、行く当てのない私が野垂れ死ぬのを待てば良い、フラウダはそう思って行動しているのでしょう。私に訴えられるようなあからさまな真似はしません。今回のように証拠が残らず、こちらの誤解だと言い張れるようなことばかりしてくるのです。

 さっきペルブラン様が言っていた通り、私とデズモンド様の間にはまだ子どもがいません。
 子どもどころか、同じ寝室で寝ていながら夫婦の営みはおこなっていないのです。
 きちんと理由があってのことですけれど、それでもときどき不安になります。

 デズモンド様が私を抱かないのは愛していないからではないか、本当は持参金目当てで娶ったからなのではないか……そんな考えで頭がいっぱいになるのです。

 大丈夫、大丈夫と私は自分に言い聞かせます。
 全身を針に刺されるような苦痛に苛まれるのも後少しのことです。
 ペルブラン様は学園卒業後どこかへ嫁ぎます。フラウダも彼女付きのメイドとしてペッカートル侯爵家から追い出す予定です。フラウダは不思議なほどにペルブラン様を溺愛しているのです。

 そうして、私とデズモンド様は幸せになるのです。

 もうすぐ冬が終わります。
 春になったら、またあの木に鳥が訪れます。
 今年はきっと久しぶりにデズモンド様とふたりきりで、鳥の歌声を聞けるに違いありません。……そう信じたいのです。
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