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第二話 変わりゆく日々
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「ごめん、ハンナ。ペルブランはまだご両親を喪った悲しみから立ち直れていないんだ。今日は僕達と一緒に過ごしてもいいよね?」
「ごめんなさい、ハンナお義姉様」
私とデズモンド様が十五歳になり、この国の貴族子女が通う学園へ入学した年に、ペッカートル侯爵家へペルブランという少女がやって来ました。
私達よりもひとつ年下の彼女は侯爵家の遠縁に当たるドゥス子爵家の令嬢で、事故でご両親を亡くされたのだといいます。
侯爵家では彼女を成人まで育てて、しかるべきところへ嫁がせるそうです。
「……わかりましたわ」
本当の気持ちを飲み込んで私はふたりに微笑みました。
かつてお母様とリンダ小母様がお茶会をしていた中庭に、メイド長のフラウダがお茶の用意を始めます。
数年前にリンダ小母様が階段から落ちてお亡くなりになった後、彼女はメイド長になったのです。今ではまるで女主人かのようにこの家を仕切っています。おそらく今も侯爵の愛人なのでしょう。
ふと顔を上げると、主を失ったペッカートル侯爵邸の女主人の部屋の窓が開いているのが見えました。
中から侯爵がこちらを見ています。あの部屋からはこの中庭と、少し離れた場所にある裏庭の木が見えるのです。
リンダ小母様がお元気だったころ、あの部屋に招待されて教えていただきました。いつかは貴女がこの部屋を使うのだから、とおっしゃって。
だれにでも良い顔をなさる侯爵はフラウダの言いなりですが、あの女主人の部屋を使うことだけは許していないそうです。
リンダ小母様がお亡くなりになってから、ペッカートル侯爵家の経済状況は大きく落ち込みました。だれにでも良い顔をなさる侯爵は、リンダ小母様に止められなければ言われるまま愛人達に貢いでしまうからです。
学園卒業後に私がお母様に用意していただいている持参金とともに嫁いで来なければ、この家は潰れてしまうかもしれません。
「お代わりはいかがですか、ハンナ様」
「ありがとう、いただくわ」
侯爵家の経済状況がわかっているからか、フラウダが私に嫌がらせをしてくるようなことはありません。
リンダ小母様がお元気だったときは、憎い恋敵の味方をするものも憎いとばかりに、訪問した私とお母様のことも睨みつけていました。憎い恋敵の息子であるデズモンド様に対しても使用人とは思えない態度で接していたようです。
女主人として使用人を管理していたリンダ小母様がそれを理由にフラウダを辞めさせようとしても、侯爵は彼女に泣きつかれると許してしまっていたのだと聞いています。
「……ねえデズモンドお兄様、この前ねえ」
「……あはは、そうだったね」
デズモンド様とペルブラン様は、同じ家で暮らしているもの同士にしかわからない会話に興じています。
ひとつ年下の彼女が学園に入学してからは、学園でもずっとこの調子です。さすがに学年が違うので授業中はべつですが、昼食は毎日一緒に摂っています。
私達はもうすぐ卒業します。ペルブラン様がペッカートル侯爵家へやって来て三年近く経つのに、彼女の悲しみはまだ癒えないのでしょうか?
私のお母様だって、つい先日亡くなっているのに!
お母様の死因は過労でした。
愛人の家へ入り浸りだった父の代わりにアウィス伯爵家をひとりで運営していたのだから、疲れ切ってしまうのも当然でしょう。
お母様がいなくなった途端戻ってきた父は愛人と異母弟を伯爵邸へ引き入れて、私を離れに追いやりました。学園を卒業してデズモンド様に嫁ぐ日を待つ日々です。
でも……
ペルブラン様の嫁ぎ先はまだ決まっていませんし、決まったとしても私が嫁いでから彼女が学園を卒業するまでは一年あるのです。
今はおとなしいフラウダだって、私がこの家へ嫁いで侯爵家に持参金を渡した後ではどうなるかわかりません。
一度嫁いだら二度と実家には帰れないでしょう。お母様が亡くなったあの家は、もう私の居場所ではありません。
「……ハンナ」
「デズモンド様?」
「君にわからない話ばかりしてごめんね。……鳥の声、聞こえる?」
「ええ」
「この前本で読んだんだけど、あの鳥は遠い海の向こうから来ているらしいよ」
「そうなのですね」
私は微笑みました。
大丈夫だと、自分に言い聞かせます。ご両親を見て育ったデズモンド様は、侯爵や私の父とは違います。
そうです、今度彼が読んだという鳥の本を貸してもらいましょう。
「なんのこと? ふたりにしかわからない話はやめてよ!」
これまでずっと私にはわからない話をしていたくせに、自分にわからない話になったら膨れ出したペルブラン様を宥めているのは、ご両親を喪った彼女を哀れに思っているからです。フラウダのことだって、デズモンド様が侯爵家を継いだらどうにかすると前からおっしゃっていました。
私は今年もあの木にやって来た鳥達の声に耳を傾けました。
そろそろ冬が終わって春が始まります。
そして春が終わる前に、私達は学園を卒業するのです。
──冬と春の狭間は気温が安定しません。
酷く寒さがぶり返した日に、デズモンド様の父親であるペッカートル侯爵がお亡くなりになりました。閉め切った女主人の部屋で暖炉を焚いて、室内に充満した悪い空気のせいで意識が朦朧となり倒れて頭を打ったのです。
デズモンド様が跡を継いでペッカートル侯爵となったのは、私達が学園を卒業する少し前のことでした。
「ごめんなさい、ハンナお義姉様」
私とデズモンド様が十五歳になり、この国の貴族子女が通う学園へ入学した年に、ペッカートル侯爵家へペルブランという少女がやって来ました。
私達よりもひとつ年下の彼女は侯爵家の遠縁に当たるドゥス子爵家の令嬢で、事故でご両親を亡くされたのだといいます。
侯爵家では彼女を成人まで育てて、しかるべきところへ嫁がせるそうです。
「……わかりましたわ」
本当の気持ちを飲み込んで私はふたりに微笑みました。
かつてお母様とリンダ小母様がお茶会をしていた中庭に、メイド長のフラウダがお茶の用意を始めます。
数年前にリンダ小母様が階段から落ちてお亡くなりになった後、彼女はメイド長になったのです。今ではまるで女主人かのようにこの家を仕切っています。おそらく今も侯爵の愛人なのでしょう。
ふと顔を上げると、主を失ったペッカートル侯爵邸の女主人の部屋の窓が開いているのが見えました。
中から侯爵がこちらを見ています。あの部屋からはこの中庭と、少し離れた場所にある裏庭の木が見えるのです。
リンダ小母様がお元気だったころ、あの部屋に招待されて教えていただきました。いつかは貴女がこの部屋を使うのだから、とおっしゃって。
だれにでも良い顔をなさる侯爵はフラウダの言いなりですが、あの女主人の部屋を使うことだけは許していないそうです。
リンダ小母様がお亡くなりになってから、ペッカートル侯爵家の経済状況は大きく落ち込みました。だれにでも良い顔をなさる侯爵は、リンダ小母様に止められなければ言われるまま愛人達に貢いでしまうからです。
学園卒業後に私がお母様に用意していただいている持参金とともに嫁いで来なければ、この家は潰れてしまうかもしれません。
「お代わりはいかがですか、ハンナ様」
「ありがとう、いただくわ」
侯爵家の経済状況がわかっているからか、フラウダが私に嫌がらせをしてくるようなことはありません。
リンダ小母様がお元気だったときは、憎い恋敵の味方をするものも憎いとばかりに、訪問した私とお母様のことも睨みつけていました。憎い恋敵の息子であるデズモンド様に対しても使用人とは思えない態度で接していたようです。
女主人として使用人を管理していたリンダ小母様がそれを理由にフラウダを辞めさせようとしても、侯爵は彼女に泣きつかれると許してしまっていたのだと聞いています。
「……ねえデズモンドお兄様、この前ねえ」
「……あはは、そうだったね」
デズモンド様とペルブラン様は、同じ家で暮らしているもの同士にしかわからない会話に興じています。
ひとつ年下の彼女が学園に入学してからは、学園でもずっとこの調子です。さすがに学年が違うので授業中はべつですが、昼食は毎日一緒に摂っています。
私達はもうすぐ卒業します。ペルブラン様がペッカートル侯爵家へやって来て三年近く経つのに、彼女の悲しみはまだ癒えないのでしょうか?
私のお母様だって、つい先日亡くなっているのに!
お母様の死因は過労でした。
愛人の家へ入り浸りだった父の代わりにアウィス伯爵家をひとりで運営していたのだから、疲れ切ってしまうのも当然でしょう。
お母様がいなくなった途端戻ってきた父は愛人と異母弟を伯爵邸へ引き入れて、私を離れに追いやりました。学園を卒業してデズモンド様に嫁ぐ日を待つ日々です。
でも……
ペルブラン様の嫁ぎ先はまだ決まっていませんし、決まったとしても私が嫁いでから彼女が学園を卒業するまでは一年あるのです。
今はおとなしいフラウダだって、私がこの家へ嫁いで侯爵家に持参金を渡した後ではどうなるかわかりません。
一度嫁いだら二度と実家には帰れないでしょう。お母様が亡くなったあの家は、もう私の居場所ではありません。
「……ハンナ」
「デズモンド様?」
「君にわからない話ばかりしてごめんね。……鳥の声、聞こえる?」
「ええ」
「この前本で読んだんだけど、あの鳥は遠い海の向こうから来ているらしいよ」
「そうなのですね」
私は微笑みました。
大丈夫だと、自分に言い聞かせます。ご両親を見て育ったデズモンド様は、侯爵や私の父とは違います。
そうです、今度彼が読んだという鳥の本を貸してもらいましょう。
「なんのこと? ふたりにしかわからない話はやめてよ!」
これまでずっと私にはわからない話をしていたくせに、自分にわからない話になったら膨れ出したペルブラン様を宥めているのは、ご両親を喪った彼女を哀れに思っているからです。フラウダのことだって、デズモンド様が侯爵家を継いだらどうにかすると前からおっしゃっていました。
私は今年もあの木にやって来た鳥達の声に耳を傾けました。
そろそろ冬が終わって春が始まります。
そして春が終わる前に、私達は学園を卒業するのです。
──冬と春の狭間は気温が安定しません。
酷く寒さがぶり返した日に、デズモンド様の父親であるペッカートル侯爵がお亡くなりになりました。閉め切った女主人の部屋で暖炉を焚いて、室内に充満した悪い空気のせいで意識が朦朧となり倒れて頭を打ったのです。
デズモンド様が跡を継いでペッカートル侯爵となったのは、私達が学園を卒業する少し前のことでした。
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