きっと彼女は側妃にならない。

豆狸

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第二話 遠い記憶

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 パブロがのちに王妃となった男爵令嬢エスタトゥアと体を重ねたのは、今から三年前のことだった。
 まだふたりとも学園に通っていたころの話だ。
 当時のパブロはエスタトゥアとの関係に思い悩んでいた。

 自分と王国の未来を考えれば、公爵令嬢であるスサナと結婚したほうが良い。
 そう考えてエスタトゥアと別れようとした。
 愛する彼女を側妃や愛妾にするなんて考えられなかったのだ。

 別れるのならその前に、一度だけで良いからと縋られて、パブロはエスタトゥアを抱いた。
 それによって決意した。
 エスタトゥアと別れることは出来ない。愛しているのは優しく穏やかな彼女で、政略的な婚約者に過ぎない公爵令嬢のスサナではない。

 だからスサナとの婚約を解消して、正式にエスタトゥアを妃にした。
 病弱だった父王は一年前の寒波で亡くなってしまったが、その前に孫の顔も見せることが出来た。
 心配していた公爵は王国を思ってか、スサナが婚約者だったときほどではないものの、公爵家として王家を支援してくれている。結婚に当たって伯爵家に陞爵させたエスタトゥアの実家も、もと男爵家だったとは思えないほどの支援をしてくれていた。

(これで良かったのだ……)

 そう思うパブロなのだが、ときおり胸に風が吹くような気持ちを覚えることがある。
 幼いころのスサナとの想い出が、不意に蘇った後だ。
 パブロはスサナに恋してはいなかった。

 婚約したての幼いころは恋していたかもしれないけれど、それは恋に恋していたようなもので、学園に入学してエスタトゥアと出会って本当の恋を知った時点で終わってしまった。
 妃教育の重責に押し潰されて、心と態度に冷たい鎧を纏うようになったスサナに胸がときめくことはなくなってしまったのだ。
 でも婚約者として互いを思いやり尊重して過ごしていた間に、仄かな愛情は芽生えていたのだろう。

(最近やけにスサナのことを思い出すのは、もうすぐ二歳になる息子がイタズラ盛りで、エスタトゥアを取られているからかもしれないな)

 どれだけ自分はエスタトゥアを好きなのだろうと苦笑したパブロのもとに、青白い顔をした側近が現れた。
 父王が亡くなって一年が経つ。
 この側近には病弱だった父王が暮らしていた離れを片付け、ついでにほかの幾つかの離れの確認をするように命じていた。可愛い息子が大きくなったら、旅行気分で離れに泊まるのも良いと思ったのだ。

(そう言えば泊まりがけではなかったが、スサナと離れで遊んだこともあったな)

 どの離れの周りにも季節と異国を表現した美しい独特の庭園があり、ちょっとした旅行気分が楽しめるようになっている。
 自分パブロが離れの花々で作った花冠を被って、微笑むスサナの姿が心をぎった。
 遠い記憶だ、とパブロは切り捨てる。

「……陛下」
「うむ、ご苦労だったな。どうした、青い顔をして。蜘蛛でも出たか?」

 側近は青白い顔のまま、ふるふると頭を横に振る。

「ご遺体が……側妃スサナ様のご遺体がございました」
「はあ?」

 一瞬スサナが自分パブロ恋しさに無断で離れに忍び込んだのかと思ったけれど、そんなことはない。
 側近だってきちんと側妃と言った。
 パブロは一年と少し前、スサナを側妃として王宮に迎え入れたのだ。それを思い出す。

(エスタトゥアが王子を産んだばかりのころだ。公爵に無理強いされたのではない。私から話を出したのだ。……初夜は済ませた。それから?)

 スサナの側妃入りを知ったエスタトゥアに泣きつかれて、ともに夜を過ごすようになったことで、いつの間にか公爵令嬢の存在はパブロの頭の中から消えていた。

「遺体……遺体だけか? スサナが体調を崩していたのなら、どうしてだれも私に報告に来なかったのだ?」
「スサナ様がお亡くなりになったのは一年ほど前、先王陛下が崩御なさった寒波と同じころだと思われます。報告がなかったのは、スサナ様の周囲にはだれもいらっしゃらなかったからです」
「なぜ!」
「陛下が! 公爵家からの使用人の同行を禁じたからです。王妃様に害をなすかもしれないからとおっしゃって」
「王宮で侍女と護衛をつけなかったのか?」
「そういったことは王妃様が担当なさっています。あのころは公務を休んでいらっしゃいましたから後回しにされて、気づいたときに握り潰したのでしょう。公爵家から使用人を連れてきていると思われていたでしょうしね」

 側近は自分の腹を両手で覆った。

「どうした?」

 パブロの問いに震える声で答える彼の目には、涙が盛り上がっていた。
 この側近はエスタトゥアを王妃にすることにも、その後スサナを側妃にすることにも反対していた。
 それでも側に置いているのは、彼が優秀で公平な人間だからだった。

「スサナ様がお亡くなりになっていたときのお姿です。たった一夜とはいえ陛下と初夜を済まされていましたから、お腹にお子がいるかもしれないと思われたのでしょう。最後までお子を守ろうとご自身のお腹を両手で抱えて……」

 側近の言葉に責めるような色はなかったが、さまざまな想いが心の中を渦巻いて、パブロはその場に膝をついた。
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