今夜で忘れる。

豆狸

文字の大きさ
上 下
2 / 3

中編 忘れられない

しおりを挟む
 ジョアキン殿下との一夜からひと月後、私はアゼヴェード帝国に嫁ぎました。

 帝国での一ヶ月に渡る婚礼の祝典を終えて、私とティアゴ殿下は大陸の国々を巡る新婚旅行に旅立ちました。表向きはどの国とも友好関係なのです。
 私とティアゴ殿下の婚礼に遅れること半月ほどして、ジョアキン殿下とリーショ様も結婚なさいました。
 祖国ソアレス王国と縁を結んだエアネス王国はまたぞろ調子に乗って、帝国との国境線にちょっかいを出して小競り合いを引き起こしているようですが、それはみな見ない振りをしています。帝国の反撃も、です。

 復讐を始めた私の心は穢れ切っていますが、体は清らかなままです。
 同じ寝室で眠っていてもティアゴ殿下は私に手を触れることはありません。
 やはり利用するために泳がせているのでしょう。ジョアキン殿下とリーショ様はともかく、ソアレス王国の民だけは巻き込まないよう気をつけなくては。

 ひと月前、ジョアキン殿下も私を抱きませんでした。
 リーショ様への罪悪感から?
 いえいえ違います。私が持ち込んだお酒に溶かしていた睡眠薬が良い仕事をしてくれたのです。ティアゴ殿下のことを思い出して怖いから一緒に飲んでほしいと頼んだら、快く飲酒に付き合ってくださったのですよ。

 あの一夜のことを私は忘れません。ちゃんと紙に記しました。

「ねえダニエラ、行きたいところがあるんだけどいい?」

 アゼヴェード帝国の現役将軍とは思えないほど、ティアゴ殿下は親しみやすい方です。愛嬌のあるその言動で人の心に入り込み、必要な情報を得るのでしょう。
 かといって武芸に劣るわけではありません。
 大学の剣術の授業ではいつも演技だと気づかれぬよう上手く負けていました。本当の実力がなければ、格下相手に合わせて力を調節することは出来ません。

 ここはエアネス王国の端にある大公領です。
 領都は海に面していて、港には船が並び、砂浜には多くの魚が水揚げされていました。
 潮風がティアゴ殿下の黒髪を揺らしています。活気に満ちた市場で焼き立ての貝に舌鼓を打った後、私とティアゴ殿下は大通りを外れました。

 ソアレスからついて来てくれたエヴァとティアゴ殿下の部下が後に続きます。
 公式行事以外ではのんびりしたいという殿下のお考えで、観光のときの私達は裕福な商家の若夫婦とその護衛といった格好をしています。

 私達は裏通りに入りました。
 裏通りと言っても治安が悪い雰囲気はありません。むしろソアレスの大学周辺にある書店街のような印象です。
 ティアゴ殿下は娯楽書専門と思われる店舗の前で足を止めました。

「読書好きなダニエラになにかプレゼントするね。この店は販売だけじゃなくて出版もおこなっていて、ソアレスの大手書店に弾かれた通好みの書籍を発行してたりするんだよ。お亡くなりになった大公家のご令息が支援してた店なんだ」

 ……ええ、知っています。
 どんなに口調が軽くても、やはりティアゴ殿下は油断のならない方です。
 大陸の神殿を統べるアゼヴェード帝国の大聖殿の主、先帝の第二皇子にして現皇帝の弟君、ティアゴ殿下の兄君でもある聖王猊下が婚礼のときに冗談めかして言っていました。人は私のことを海千山千の怪物だとか言うけれど、ティアゴに比べたら善良なものなのですよ、と。

 ティアゴ殿下は店員に声をかけて、一冊の書物を用意させました。
 可愛らしい包装がされています。最初から注文していたのでしょう。
 お礼を言って受け取って、私はふと思い出しました。

「そういえば大学時代、書店街で見つけた古書を譲ってくださったことがありましたね」
「あの後、勉強に必要ならどうぞって貸してくれたよね」
「私は趣味で読みたかっただけでしたので」
「あのときはありがとう」

 ティアゴ殿下は微笑みました。
 少し胸が痛みます。
 復讐など考えず、この縁談を素直に受け入れて彼を愛する努力をしていたら、愛されることが出来たのでしょうか。……いいえ。ティアゴ殿下は、最初から私が復讐をするような人間だと予想して縁談を申し込んできたのでした。

 ──大学時代、ずっと裏切られてたことは気づいてるんでしょ?
 ジョアキン王子とリーショ姫に復讐するなら力を貸すよ?
 たとえ僕との縁談を断られたとしても、ね?

 ご協力はお断りしましたし、はっきり復讐を宣言したりはしませんでしたが、あのときの彼の言葉が私に復讐を決意させたのは間違いありません。
 むしろ縁談を受けたこと自体が自分自身への決意表明のようなものです。ソアレスの侯爵である父の考えはまた別ですけれど。
 そんな形だけの縁談でしたのに──

 昼間ティアゴ殿下と一緒に過ごしていると、本好きという共通の趣味のせいか、口下手のはずの私がおしゃべりになります。彼の隣にいれば、ほかの人との会話も弾みました。
 その反面、夫婦でありながら抱き合うこともなく眠る夜が寂しくてなりません。
 愛し合うふたりに復讐しようと企んでいる私には、新しく誰かを好きになる資格などないのですけれどね。

 キスしたこともない夫がくださった書物は、今エアネス王国で人気の恋愛小説でした。
 お互いに別の婚約者のいる高い身分の恋人同士の女性が男性に送った手紙という形式です。なんの伏線もなく女性の婚約者が亡くなったことで、ふたりは幸せになります。
 男性の婚約者は健在なのですが、読み終わった読者の頭の中からも作中のふたりの視界からも彼女の存在は忘れ去られていることでしょう。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 お世話になっている大公邸での夕食の後、私とティアゴ殿下は用意されていた寝室に案内されました。ここで数日過ごして、次はエアネスの王都、それからソアレスの王都へ向かいます。新婚旅行が終わるのは、出発から半年ほど経ったころでしょうか。
 エヴァと護衛達がそれぞれの控えの間に移ると、殿下はベッドに飛び込みました。
 敷布の上を転がりながら、いたずらっ子のような顔でおっしゃいます。

「ちょっと気まずかったね」
「……申し訳ありません」

 大公家の跡取りは、お亡くなりになったご長男の弟君です。
 彼は私とジョアキン殿下の婚約が解消された後、私に釣り書きと贈り物を送って来てくださいました。
 とても素晴らしい贈り物でしたが、私と侯爵家はティアゴ殿下との縁談を選んだのです。私の考え復讐の決意表明はともかくとして、父である侯爵は祖国ソアレス隣国エアネスの関係を深め過ぎて、帝国の怒りを買ったときのことを案じたのでしょう。

「まあ仕方ないよね。……ダニエラが僕を選んでくれて嬉しいな」
「喜んでいただけたなら私も嬉しいです」
「さっき書店で贈った本、夕食前に読み終わってたみたいだから僕も読んでいい?」
「……はい」

 私がジョアキン殿下の別荘で、彼が睡眠薬で眠っている間に家探しをして見つけたリーショ様からの手紙を参考にして書いた恋愛小説を読んで、ティアゴ殿下はどうお思いになるでしょうか。
 この程度の復讐しか出来ない女か、とがっかりされてしまうかもしれませんね。
 ティアゴ殿下は本をお読みになるとき、あまり時間をおかけになりません。速読がお出来になるのです。記憶力もとんでもなく子どものころのことで今でもからかわれるのだと、皇帝陛下が溜息をついていらっしゃいました。

 ……大学時代私がお貸しした本はなかなか戻してもらえず、その代わりにと何度かお茶に誘われたのですが、あれは勉強に使う本だから長い間必要だったのでしょうか。
 お譲りしましょうかとも申し上げても、そうじゃないんだと苦笑されましたっけ。

 復讐の種は撒き終わりました。

 エアネス王国ではリーショ様の手紙を元にした恋愛小説、祖国ソアレス王国では大公家の跡取りに釣り書きと一緒にいただいた亡き兄君の日記を元にした小説──友人の突然の死に疑問を抱いた主人公が友人の日記を読むと、そこには婚約者の裏切りに悩む日々が綴られていた、という内容です──が人気を博しています。
 固有名称は架空のものですが、読む人が読めばだれのことかわかるでしょう。
 ソアレス王国第二王子ジョアキン殿下への手紙はエアネス王国で、エアネス王国大公家のご令息の日記はソアレス王国でと、あえてずらして販売してみました。すぐに気づかれて不敬罪で発禁処分になったらつまりませんもの。

 祖国ソアレス王国とエアネス王国は、形だけでなく友好国です。多くのものと情報が行き来しています。大陸の言語は共通ですし、学術都市と名高いソアレスの王都には時間がかかってもすべての本が集まってきます。
 いつかだれかがふたつの小説の共通点に気づくでしょう。
 女性の婚約者の突然の死にモヤモヤとした疑惑を抱いて忘れられなくなるでしょう。

 これが、私のささやかな復讐です。

 リーショ様の婚約者、大公家のご長男の死因はもちろん自然死ですよ?
 でもだからこそ腹が立つではありませんか。
 ……まるで運命がおふたりを祝福しているかのようで。十数年に渡る私の想いが無意味だったと言われたようで。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

旦那様は私より幼馴染みを溺愛しています。

香取鞠里
恋愛
旦那様はいつも幼馴染みばかり優遇している。 疑いの目では見ていたが、違うと思い込んでいた。 そんな時、二人きりで激しく愛し合っているところを目にしてしまった!?

【完結】生贄になった婚約者と間に合わなかった王子

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
フィーは第二王子レイフの婚約者である。 しかし、仲が良かったのも今は昔。 レイフはフィーとのお茶会をすっぽかすようになり、夜会にエスコートしてくれたのはデビューの時だけだった。 いつしか、レイフはフィーに嫌われていると噂がながれるようになった。 それでも、フィーは信じていた。 レイフは魔法の研究に熱心なだけだと。 しかし、ある夜会で研究室の同僚をエスコートしている姿を見てこころが折れてしまう。 そして、フィーは国守樹の乙女になることを決意する。 国守樹の乙女、それは樹に喰らわれる生贄だった。

麗しのラシェール

真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」 わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。 ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる? これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。 ………………………………………………………………………………………… 短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。

【完結】愛されない令嬢は全てを諦めた

ツカノ
恋愛
繰り返し夢を見る。それは男爵令嬢と真実の愛を見つけた婚約者に婚約破棄された挙げ句に処刑される夢。 夢を見る度に、婚約者との顔合わせの当日に巻き戻ってしまう。 令嬢が諦めの境地に至った時、いつもとは違う展開になったのだった。 三話完結予定。

【完結】愛していないと王子が言った

miniko
恋愛
王子の婚約者であるリリアナは、大好きな彼が「リリアナの事など愛していない」と言っているのを、偶然立ち聞きしてしまう。 「こんな気持ちになるならば、恋など知りたくはなかったのに・・・」 ショックを受けたリリアナは、王子と距離を置こうとするのだが、なかなか上手くいかず・・・。 ※合わない場合はそっ閉じお願いします。 ※感想欄、ネタバレ有りの振り分けをしていないので、本編未読の方は自己責任で閲覧お願いします。

せっかくですもの、特別な一日を過ごしましょう。いっそ愛を失ってしまえば、女性は誰よりも優しくなれるのですよ。ご存知ありませんでしたか、閣下?

石河 翠
恋愛
夫と折り合いが悪く、嫁ぎ先で冷遇されたあげく離婚することになったイヴ。 彼女はせっかくだからと、屋敷で夫と過ごす最後の日を特別な一日にすることに決める。何かにつけてぶつかりあっていたが、最後くらいは夫の望み通りに振る舞ってみることにしたのだ。 夫の愛人のことを軽蔑していたが、男の操縦方法については学ぶところがあったのだと気がつく彼女。 一方、突然彼女を好ましく感じ始めた夫は、離婚届の提出を取り止めるよう提案するが……。 愛することを止めたがゆえに、夫のわがままにも優しく接することができるようになった妻と、そんな妻の気持ちを最後まで理解できなかった愚かな夫のお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID25290252)をお借りしております。

【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」 そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。 彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・ 産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。 ---- 初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。 終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。 お読みいただきありがとうございます。

【完結】どうかその想いが実りますように

おもち。
恋愛
婚約者が私ではない別の女性を愛しているのは知っている。お互い恋愛感情はないけど信頼関係は築けていると思っていたのは私の独りよがりだったみたい。 学園では『愛し合う恋人の仲を引き裂くお飾りの婚約者』と陰で言われているのは分かってる。 いつまでも貴方を私に縛り付けていては可哀想だわ、だから私から貴方を解放します。 貴方のその想いが実りますように…… もう私には願う事しかできないから。 ※ざまぁは薄味となっております。(当社比)もしかしたらざまぁですらないかもしれません。汗 お読みいただく際ご注意くださいませ。 ※完結保証。全10話+番外編1話です。 ※番外編2話追加しました。 ※こちらの作品は「小説家になろう」、「カクヨム」にも掲載しています。

処理中です...