あなたが私を捨てた夏

豆狸

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第二十話 私の婚約者だった方の話~終幕~

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 衛兵達に運ばれていくカバネル公爵 叔父 王妃モーヴェを見送り、ニコライは思った。

(不実をおこなったものは、遅かれ早かれ罰を受けるんだ。私も……)

 断罪の準備が整ったのと前後して、ロメーヌは隣国へ戻っていた。
 モーヴェの処遇についてのボワイエ国王からの手紙を運んできた女性の騎士が、そのままロメーヌを連れて馬で帰っていったのである。
 死せる王女を新しい王妃に迎えることは出来ない。隣国に住まう聖獣の世話係を呼び寄せることも出来ない。モーヴェの死を隠し、彼女として生きてもらうだなんてもってのほかだ。

 スタンは知らないと思っているようだが、ニコライは両親の過去を知っていた。
 古い書類を確認していたら、父である先代国王が王太子だったときの婚約者として侯爵令嬢マノンの名前が記されているのだから、気づかないでいるほうが難しい。
 父が死の間際にマノンの名前を呼んだことも、母が自分の誕生と引き換えに亡くなったのではなく父と同じ黒髪の息子を見て毒を仰いだことも知っていた。彼女はモーヴェと同じように、カバネル公爵に操られて王妃となったのかもしれない。母の命日は、カバネル公爵と後の公爵夫人の婚約が成立した日でもあった。

 ニコライは、カバネル公爵の日記に書かれていた一文を思い出す。

婚約者本命と同じ色の髪と瞳で、婚約者よりも性に奔放な都合の良い娘浮気相手……か)

 浮気する男の多くは、本命に似た相手を対象とするらしい。
 愛しい本命にはとても出来ないような穢れた行為をして、歪んだ欲望を果たすために。
 どんなに自分を誤魔化していても、本当のニコライはロメーヌを愛していた。心から彼女との結婚を待ち望んでいた。愚かな青年は一年間のお預けが耐えられなかっただけだったのだ。

(あれは、本当に恋だったのだろうか。いや、私は『だれ』に恋したのか)

 あの瞬間ニコライが本当に恋をしたのは、モーヴェと同じ色の髪と瞳を持つ、ずっとずっと前から愛していた少女の幻だったのかもしれない。
 今ごろ気づいてもすべては遅いのだが──

★ ★ ★ ★ ★

 断罪が終わって父を失ったスタンは、カバネル公爵となった。
 幼い同母弟の世話に忙しい母親は夫の死に落ち込んでいる暇はないようだ。
 実際は喜んでいるのかもしれない。彼女はもう、愛する男の浮気に悩まされることはないのだから。どんなに愛しても自分の愛情を信じられないでいる男の姿を見続けることもなくなったのだから。

 スタンは公爵領に戻り、しばらくは引き継ぎと領地運営に追われることになる。
 代官に任せて領地を出られるようになったとしても、ベルナール王国の王都ならともかく、隣国のボワイエ王国へ行くことはないだろう。
 今日はニコライの執務室で、最後の仕事を進めていた。ロメーヌがいなくなったので、従兄弟ふたりがくだけた口調で会話している。

「早く帰ってきてくれよ、スタン。君がいないと仕事が進まない」
「カバネル公爵領の運営だけで手いっぱいだっていうのに、前と同じようにこき使うつもり? 酷いな、ニコライ陛下」
「ははは、すまない。しかし私にはもう……」

 ニコライの瞳が、鍵のかかった引き出しを映す。
 夏の花の香りがする少女の思い出が詰まった宝箱だ。
 いずれ──ニコライが新しい王妃を迎えるときは処分するということで話は決まっている。新しい王妃は国内の貴族から選ばれることだろう。

「信じられる人間がほかにいないとでも言うつもり? 即位のころから支えてくれている重臣達に失礼なんじゃない?」
「そうだな。君も公爵領の家臣達と上手く行くよう祈ってるよ」
「……あー。あのクソ親父は『魅力的な邪悪』だったからね。娘や妻に手を出されても狂信してる莫迦な家臣もいるんだよなー」

 スタンは溜息をついた。

(僕はあの男に似てる。そっくりだ。だから……)

 スタンはロメーヌを追いかけなかった。
 なんの罪も犯していない彼女は、やがて心が癒えたら新しい恋をするだろう。その相手になれるのならすべてを捨てても良いと思っていたけれど、追いかけたくて追いかけたくてたまらなかったけれど、スタンは彼女を諦めた。
 自分は間違いなく父のようになる。ロメーヌに愛されたとしても信じられず、彼女を傷つけて愛を確認する愚かな男になる。

(だって僕は知っているんだ、彼女がどんなに陛下を愛していたか。陛下を愛している彼女に、僕は恋したんだから)

 ──それでも、とスタンは思う。

 それでも王として結婚し跡継ぎを作らなくてはいけない従兄ニコライよりも、同母弟やその子どもにカバネル公爵家を譲れば自由になれる自分のほうが幸せだ、と。
 生涯独身を貫くスタンがロメーヌを想い続けていても、それは罪にはならないはずだ。ならないでほしいと、スタンは思った。
 あの日、聖獣の住まう森でロメーヌの手の甲に唇を落とした瞬間のときめきは、スタンの胸の中で永遠に輝き続けることだろう。
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