あなたが私を捨てた夏

豆狸

文字の大きさ
上 下
19 / 23

幕間 カバネル公爵家長男スタン

しおりを挟む
 スタンが初恋に落ちたのは五歳のときだった。
 初めから報われない恋だとわかっていた。そもそも報われてはいけない恋だった。
 カバネル公爵家長男の想い人は、従兄であり国王でもあるニコライの婚約者、隣国ボワイエ王国の王女ロメーヌ姫だったのだから。

「ロメーヌ姫ってどんな子だった?」

 その日、スタンは隣国から戻って来たニコライに尋ねた。

 国王である従兄は二年前、五歳のとき即位すると同時に婚約した少女に日帰りで会いに行ったところだった。ボワイエ王国の城で彼女の誕生パーティがあったのだ。
 ニコライが即位したとはいえ、ベルナール王国のすべてを掌握出来たわけではない。国王不在の時間は短ければ短いほど良かった。
 その後もずっと、ニコライが隣国に宿泊することはなかった。

「君と同い年なのに、すごく子どもっぽかったよ。いや、違うな。同じ五歳なのに君が大人びているだけだな」
「可愛げがないっていうんでしょ? よく言われるよ。でも僕がしっかりしないと、あの男がなにを仕出かすかわからないからね」

 父親のカバネル公爵が反乱を起こして処罰を受ければ、スタンと母親も巻き添えになる。家臣達や母の実家の侯爵家も連座させられるかもしれない。
 逆に父親の野望が成就して、従兄のニコライがいなくなるのも嫌だった。
 ニコライが笑う。

「私も七歳にしては可愛げがないと言われているよ」
「ニコライだって国王なんだから、しっかりしないといけないんじゃん。大人が勝手なことを言い過ぎなんだよ」
「ははは、そうだな」
「ロメーヌ姫が子どもっぽいって、どんなところが?」
「んー……私が生まれてすぐに母を亡くしたと聞いて、彼女は泣いてしまったんだ。それからずっと私の側にいて離れなかった。小さな手で私の手をギュッと握ってね……どうやら慰めてくれていたつもりらしい」
「ふうん……」

 くすんだ赤い髪は冬の暖炉で燃える炎のように温かく、暗い青色の瞳は夏の短い夜と長い昼の狭間の空の色、流れる涙は月光の雫のよう──従兄の話を聞いているうちに、ロメーヌ姫の姿が見えてきた。
 後にして思えば、ニコライがロメーヌ姫について熱く語ったのはこのときだけだった。
 以降は簡単な報告だけになる。

(恋をしたからだよね)

 ニコライ本人は気づいていなかったけれど、スタンは気づいていた。
 ふたつ年下の婚約者に恋をした従兄は、記憶の中の彼女を独り占めしたかったのだ。彼が体を鍛えたのは、護衛なしで隣国へ行く許可を重臣達から得るためだろう。
 ときどきニコライは、おとなしいロメーヌ姫に王妃の役目が務まるのだろうか、彼女はボワイエ王国で家族に愛されて生きていくほうが良いのではないか、などと口にした。しかしスタンが、

「そうだね。生まれ育った国で家臣に降嫁したほうが幸せかもね」

 とからかえば、彼はすぐに黙りこくった。
 いつもの眉間の皺が深くなり、明らかに不機嫌になった。
 彼女が自分以外を選ぶなんてあり得ない、あるはずがないと思っていた証拠だ。

 恋に落ちたばかりの従兄から彼の心の中の煌めく少女を語られたときから、スタンの心には彼女が住み着いてしまった。
 ニコライの簡素な報告を聞いただけで、その場面が蘇るほど、スタンの中のロメーヌ姫は鮮やかだった。
 もちろん、だれにも打ち明ける気のない想いだ。従兄の話を聞くだけで勝ち目がないと悟っていた。ロメーヌ姫は婚約者のニコライに恋をしていた。だからこそ、彼の瞳に映る彼女は輝いているのだ。

(ロメーヌ姫が嫁いで来たらどうしよう)

 実際の彼女を見たとき、自分がどんな反応を示すのかが不安だった。
 膨らませ過ぎた幻が破裂してがっかりするのだろうか。あるいは幻以上に愛しく感じて、自分を抑えられなくなってしまうのか……スタンは、父親のようにはなりたくなかった。
 従兄のニコライは知らないけれど、カバネル公爵夫人マノン、スタンの母親は先代国王の婚約者だったのだ。

 と言っても、父親が兄からマノンを奪ったわけではない。
 先代国王が身分の低い女性、ニコライの母后と恋に落ちてマノンとの婚約を破棄した後、彼女の実家である侯爵家とのつながりを失いたくない王家と重臣が弟王子との縁談をねじ込んだのだ。
 弟王子と婚約破棄された侯爵令嬢の婚約成立後、兄王子の言動に悩まされていた先々代の国王夫妻は早くにこの世を去った。

 両親が政略結婚なのは間違いないけれど、スタンは父親が妻を愛していることを知っていた。
 繰り返される浮気は、マノンの苦しむ姿を見て愛されていることを確認するためだ。
 スタンには多くの異母弟妹がいるが、年の離れた同母弟もいた。

 先代国王の婚約破棄は父親の陰謀だったのではないかと、スタンは疑っている。
 父親が王位を求めているのは、妻の心が元婚約者にあるのだと思い込んでいるからではないだろうか。亡兄と同じ国王にならなければ、完全に妻を手に入れられないと信じているのではないのかと、スタンは考えていた。
 なにしろ父親は、生まれたときは別の名前だった長男を妻が愛し気に呼ぶのに嫉妬して、自分と同じ名前に変えさせたほど彼女への恋に狂っているのだから。

(あんな風にはなりたくないな)

 息子の目から見れば、母親のマノンが夫を愛しているのは明らかだった。
 少し壁があるとすれば、彼女もスタンと同じように先代国王との婚約破棄が夫となった弟王子の陰謀だったのではないかと疑っているからだろう。
 婚約破棄後の先代国王とニコライの母后が幸せそうだったという話は聞かない。だれもがニコライの耳にだけは入れないよう気を付けている昔話だ。最後の瞬間の先代国王が、マノンの名前を呼んだことも従兄には秘密だった。

 スタンは嫁いできた彼女への恋心が抑えられないようなら、なんらかの強硬手段を取ってでも父親を排除して同母弟にカバネル公爵家を譲って出奔するつもりだった。
 ロメーヌ姫はニコライを愛している。会ったこともない男の想いなど邪魔なだけだ。
 だけど──

「……そうだったんだ」

 隣国からロメーヌ姫の葬儀の知らせが届き、ニコライにモーヴェとの浮気を告白されたとき、スタンはほかに言葉を出せなかった。
 従兄が自分自身の気持ちロメーヌ姫への恋心に気づいていないことは知っていた。それとなく言っても、彼は認めず不機嫌になった。
 物語のような恋に憧れていたニコライは、周囲にお膳立てされた政略結婚の相手に恋したことを受け入れられなかったのだろう。

 それでも結婚すれば、表に穏やかな愛情が出ているだけで、確かにロメーヌ姫に恋しているのだとニコライ自身が気づく日が来るのだろうと思っていたのに。
 モーヴェとの不実の恋は黙っていたけれど、ニコライは従兄弟として仕事仲間としてスタンを信頼してくれている。友達だとも思っていてくれているかもしれない。
 スタンは、葬儀を済ませたロメーヌ姫が隣国の聖獣の世話係になったことを教えられた。

(ただの婚約破棄なら、クソ親父のときみたいに僕との縁談を持ち込めたかもしれないけど、ロメーヌ姫ってば自分が死んだことにしてまで陛下への想いを貫き通すんだもんなあ)

 少し残念で、それでいて一途に従兄を想う彼女を眩しく感じた。
 ニコライとモーヴェの結婚から一年弱、従兄の命が危うくなるまで、スタンはロメーヌ姫と会うことはなかった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「わー、ロメーヌ姫だ!」

 聖獣の住まう迷いの森で彼女と出会った瞬間、十五歳で成人してから従兄ニコライとふたりのとき以外は隠していた素の自分が溢れ出た。口元が緩むのがわかる。
 嬉しくてたまらないのに胸が痛い。呼吸ができない。
 スタンの心の中だけの幻のような恋は、その瞬間鮮やかに煌めいて実体を得た。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あの子を好きな旦那様

はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」  目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。 ※小説家になろうサイト様に掲載してあります。

この恋に終止符(ピリオド)を

キムラましゅろう
恋愛
好きだから終わりにする。 好きだからサヨナラだ。 彼の心に彼女がいるのを知っていても、どうしても側にいたくて見て見ぬふりをしてきた。 だけど……そろそろ潮時かな。 彼の大切なあの人がフリーになったのを知り、 わたしはこの恋に終止符(ピリオド)をうつ事を決めた。 重度の誤字脱字病患者の書くお話です。 誤字脱字にぶつかる度にご自身で「こうかな?」と脳内変換して頂く恐れがあります。予めご了承くださいませ。 完全ご都合主義、ノーリアリティノークオリティのお話です。 菩薩の如く広いお心でお読みくださいませ。 そして作者はモトサヤハピエン主義です。 そこのところもご理解頂き、合わないなと思われましたら回れ右をお勧めいたします。 小説家になろうさんでも投稿します。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

相手不在で進んでいく婚約解消物語

キムラましゅろう
恋愛
自分の目で確かめるなんて言わなければよかった。 噂が真実かなんて、そんなこと他の誰かに確認して貰えばよかった。 今、わたしの目の前にある光景が、それが単なる噂では無かったと物語る……。 王都で近衛騎士として働く婚約者に恋人が出来たという噂を確かめるべく単身王都へ乗り込んだリリーが見たものは、婚約者のグレインが恋人と噂される女性の肩を抱いて歩く姿だった……。 噂が真実と確信したリリーは領地に戻り、居候先の家族を巻き込んで婚約解消へと向けて動き出す。   婚約者は遠く離れている為に不在だけど……☆ これは婚約者の心変わりを知った直後から、幸せになれる道を模索して突き進むリリーの数日間の物語である。 果たしてリリーは幸せになれるのか。 5〜7話くらいで完結を予定しているど短編です。 完全ご都合主義、完全ノーリアリティでラストまで作者も突き進みます。 作中に現代的な言葉が出て来ても気にしてはいけません。 全て大らかな心で受け止めて下さい。 小説家になろうサンでも投稿します。 R15は念のため……。

好きな人が幸せならそれでいいと、そう思っていました。

はるきりょう
恋愛
オリビアは自分にできる一番の笑顔をジェイムズに見せる。それは本当の気持ちだった。強がりと言われればそうかもしれないけれど。でもオリビアは心から思うのだ。 好きな人が幸せであることが一番幸せだと。 「……そう。…君はこれからどうするの?」 「お伝えし忘れておりました。私、婚約者候補となりましたの。皇太子殿下の」 大好きな婚約者の幸せを願い、身を引いたオリビアが皇太子殿下の婚約者候補となり、新たな恋をする話。

【完結】私の婚約者は、いつも誰かの想い人

キムラましゅろう
恋愛
私の婚約者はとても素敵な人。 だから彼に想いを寄せる女性は沢山いるけど、私はべつに気にしない。 だって婚約者は私なのだから。 いつも通りのご都合主義、ノーリアリティなお話です。 不知の誤字脱字病に罹患しております。ごめんあそばせ。(泣) 小説家になろうさんにも時差投稿します。

もう一度あなたと?

キムラましゅろう
恋愛
アデリオール王国魔法省で魔法書士として 働くわたしに、ある日王命が下った。 かつて魅了に囚われ、婚約破棄を言い渡してきた相手、 ワルター=ブライスと再び婚約を結ぶようにと。 「え?もう一度あなたと?」 国王は王太子に巻き込まれる形で魅了に掛けられた者達への 救済措置のつもりだろうけど、はっきり言って迷惑だ。 だって魅了に掛けられなくても、 あの人はわたしになんて興味はなかったもの。 しかもわたしは聞いてしまった。 とりあえずは王命に従って、頃合いを見て再び婚約解消をすればいいと、彼が仲間と話している所を……。 OK、そう言う事ならこちらにも考えがある。 どうせ再びフラれるとわかっているなら、この状況、利用させてもらいましょう。 完全ご都合主義、ノーリアリティ展開で進行します。 生暖かい目で見ていただけると幸いです。 小説家になろうさんの方でも投稿しています。

あの約束を覚えていますか

キムラましゅろう
恋愛
少女時代に口約束で交わした結婚の約束。 本気で叶うなんて、もちろん思ってなんかいなかった。 ただ、あなたより心を揺さぶられる人が現れなかっただけ。 そしてあなたは約束通り戻ってきた。 ただ隣には、わたしでない他の女性を伴って。 作者はモトサヤハピエン至上主義者でございます。 あ、合わないな、と思われた方は回れ右をお願い申し上げます。 いつもながらの完全ご都合主義、ノーリアリティ、ノークオリティなお話です。 当作品は作者の慢性的な悪癖により大変誤字脱字の多いお話になると予想されます。 「こうかな?」とご自身で脳内変換しながらお読み頂く危険性があります。ご了承くださいませ。 小説家になろうさんでも投稿します。

処理中です...