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第十七話 私は、だけど、と繰り返さずにはいられないのです。
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モーヴェ様が陛下を殺そうとして毒を飲ませたことは、まず間違いありません。
厨房の下働きの子が、陛下のお食事に混ぜるようにと大公家の毒薬を渡されていたことも確認が取れています。
その子は念のため毒薬をネズミに飲ませてみたそうですが、大きな変化が見られなかったので、インチキ媚薬の類いだと思って実行したと言います。
ネズミのことですから弱っていても、いいえ、弱ったからこそ素早く動いて逃げていったのではないかと思われます。
結婚後、陛下とモーヴェ様の仲が悪化していたことは、王宮のだれもが気づいていたようです。騙された下働きの子が重い罪を受けなければ良いのですけれど。
モーヴェ様だけならニコライ陛下の記憶が戻らなくても罰することが出来ます。
陛下は彼女の存在自体忘れていますし、ボワイエ国王のお兄様も結婚の時点で縁を切っています。
厨房の子を騙して国王に毒を飲ませようとしただけで極刑は間違いありません。
ただ国内に混乱を起こさないよう、モーヴェ様の後ろにいる黒幕に気取られないよう、今は彼女が塔に軟禁されていることは秘密にされています。ニコライ陛下が寝込んでいたのも夏風邪のせいになっています。
厨房の下働きの子にもなにがあったか確認しただけで、渡されたものが毒薬だったことは教えていません。
塔の中のモーヴェ様は陛下の状態も私が来ていることも、そもそも私が生きていることも知りません。
陛下の記憶が戻る前に処刑しておいたら話が早いかもしれない、と嘯きながらもスタン様がそれを実行しないのは、モーヴェ様とカバネル公爵──ご自分の父君との関係を探っているからです。
どうしてカバネル公爵の名前が? などと私は思うのですが、スタン様は前からふたりの仲を疑っていたそうです。
私もお義姉様の手紙で知ったのですけれど、カバネル公爵が陛下の結婚に反対し始めた一年前、大公領ではモーヴェ様がどこかの妻子持ちの男と付き合っているという噂が流れて騒ぎになっていたといいます。お義姉様はそれで彼女を嫌っていたのです。
スタン様は、陛下を誘惑する道具にしようとしてカバネル公爵がモーヴェ様に近づいたのではないかとお考えのようです。
もしかしたら大公邸の火事もカバネル公爵が彼女に命じて起こしたのではないかと言っていました。
そんな恐ろしいことがあるのでしょうか。亡くなった大公家の方々は彼女の肉親です。
ですが、大公家の毒を密かに飲まされていて衰弱して眠っている状態で火事が起こったのなら、気づいても逃げられなかったことに説明がつきます。
最近は聖獣様のおかげで大氾濫の前兆があっても毒を撒いてはいませんでした。
いざというときのために備蓄されていた毒薬は大量にあったことでしょう。
「……ロメーヌ?」
「あ、陛下申し訳ありません。あの……聖獣様のお怒りが心配で考え込んでいました」
「港町の漁師に命じて活きのいい魚を集めさせるから安心しなさい」
ニコライ陛下の中では聖獣様がお怒りなのは、お気に入りの私が遠い隣国に嫁いだからだということになっているようです。……それほど遠くはないのですけれどね。
陛下に真実を話すことは、王宮の医師に止められています。
聖珠のせいでなく自分の意思で記憶を捻じ曲げたのだとしたら、外から力を加えることでさらに心の中が歪んでしまうかもしれないと言うのです。陛下が苦しむようなことは、私は嫌です。
「おっと、君が焼いてくれたお菓子が最後の一枚になってしまったぞ。ほら、スタンに取られる前に食べなさい」
ニコライ陛下がお皿に残っていた最後の焼き菓子を手にして近づけてきます。
少し恥ずかしいのですけれど、手で受け取ろうとしても許してくださいません。昨日もそうでした。
私は陛下の手の中の焼き菓子に齧りつきました。
スタン様は温かな表情で見守ってくださっています。
彼はニコライ陛下の記憶が戻っても戻らなくても、このままベルナール王国にとどまれば良いと言ってくださっています。
ご本人が気づいていないだけで、陛下は私を愛しているのだとおっしゃってくださいました。我がボワイエとのつながりを失いたくなくての嘘だとしても嬉しかったです。
「ごちそう様。それじゃ仕事に戻りましょう」
「そうだな」
「私は茶器とお皿を厨房に返してきますね」
「ああ。……早く帰って来てくれ。待っているよ、ロメーヌ」
心臓が止まりそうなほど嬉しいお言葉です。
毎夏の誕生パーティで、いつもニコライ陛下のご訪問を待ち侘びていたのは私のほうでした。
だけど──
廊下へ出て、立っている衛兵達に軽くお辞儀をして厨房へ向かいます。
私はいつもヴェールをかぶって顔を隠しているのです。スタン様が選んだ信頼できる方々以外は、私をモーヴェ様だと思っています。風でヴェールがめくれても、髪と瞳の色が同じなので一瞬なら誤魔化せるでしょう。
だけど──
私は王妃の寝室では寝泊まりしていません。
ましてやニコライ陛下の寝室になど、初日以外は入ってもいません。
異常な状況ではありますが、陛下と共に過ごせること、妻として扱われていることが嬉しくて嬉しくてたまりません。
だけど──
どうしても考えずにはいられないのです、本当のことを。
ニコライ陛下が恋に落ちたのはモーヴェ様で、私は捨てられた元婚約者に過ぎないことを。たとえモーヴェ様のほうは本当の愛人に命じられて仕掛けたニセモノの恋だったとしても、陛下のお気持ちは真実だったことを。
……いいえ。私は、いつか記憶を取り戻した陛下に顔を見られて、なんだロメーヌかと、がっかりされてしまうことが怖いのです。
だけど──このままずっと陛下に私の名前を呼んでいただきたいとも思っているのです。
厨房の下働きの子が、陛下のお食事に混ぜるようにと大公家の毒薬を渡されていたことも確認が取れています。
その子は念のため毒薬をネズミに飲ませてみたそうですが、大きな変化が見られなかったので、インチキ媚薬の類いだと思って実行したと言います。
ネズミのことですから弱っていても、いいえ、弱ったからこそ素早く動いて逃げていったのではないかと思われます。
結婚後、陛下とモーヴェ様の仲が悪化していたことは、王宮のだれもが気づいていたようです。騙された下働きの子が重い罪を受けなければ良いのですけれど。
モーヴェ様だけならニコライ陛下の記憶が戻らなくても罰することが出来ます。
陛下は彼女の存在自体忘れていますし、ボワイエ国王のお兄様も結婚の時点で縁を切っています。
厨房の子を騙して国王に毒を飲ませようとしただけで極刑は間違いありません。
ただ国内に混乱を起こさないよう、モーヴェ様の後ろにいる黒幕に気取られないよう、今は彼女が塔に軟禁されていることは秘密にされています。ニコライ陛下が寝込んでいたのも夏風邪のせいになっています。
厨房の下働きの子にもなにがあったか確認しただけで、渡されたものが毒薬だったことは教えていません。
塔の中のモーヴェ様は陛下の状態も私が来ていることも、そもそも私が生きていることも知りません。
陛下の記憶が戻る前に処刑しておいたら話が早いかもしれない、と嘯きながらもスタン様がそれを実行しないのは、モーヴェ様とカバネル公爵──ご自分の父君との関係を探っているからです。
どうしてカバネル公爵の名前が? などと私は思うのですが、スタン様は前からふたりの仲を疑っていたそうです。
私もお義姉様の手紙で知ったのですけれど、カバネル公爵が陛下の結婚に反対し始めた一年前、大公領ではモーヴェ様がどこかの妻子持ちの男と付き合っているという噂が流れて騒ぎになっていたといいます。お義姉様はそれで彼女を嫌っていたのです。
スタン様は、陛下を誘惑する道具にしようとしてカバネル公爵がモーヴェ様に近づいたのではないかとお考えのようです。
もしかしたら大公邸の火事もカバネル公爵が彼女に命じて起こしたのではないかと言っていました。
そんな恐ろしいことがあるのでしょうか。亡くなった大公家の方々は彼女の肉親です。
ですが、大公家の毒を密かに飲まされていて衰弱して眠っている状態で火事が起こったのなら、気づいても逃げられなかったことに説明がつきます。
最近は聖獣様のおかげで大氾濫の前兆があっても毒を撒いてはいませんでした。
いざというときのために備蓄されていた毒薬は大量にあったことでしょう。
「……ロメーヌ?」
「あ、陛下申し訳ありません。あの……聖獣様のお怒りが心配で考え込んでいました」
「港町の漁師に命じて活きのいい魚を集めさせるから安心しなさい」
ニコライ陛下の中では聖獣様がお怒りなのは、お気に入りの私が遠い隣国に嫁いだからだということになっているようです。……それほど遠くはないのですけれどね。
陛下に真実を話すことは、王宮の医師に止められています。
聖珠のせいでなく自分の意思で記憶を捻じ曲げたのだとしたら、外から力を加えることでさらに心の中が歪んでしまうかもしれないと言うのです。陛下が苦しむようなことは、私は嫌です。
「おっと、君が焼いてくれたお菓子が最後の一枚になってしまったぞ。ほら、スタンに取られる前に食べなさい」
ニコライ陛下がお皿に残っていた最後の焼き菓子を手にして近づけてきます。
少し恥ずかしいのですけれど、手で受け取ろうとしても許してくださいません。昨日もそうでした。
私は陛下の手の中の焼き菓子に齧りつきました。
スタン様は温かな表情で見守ってくださっています。
彼はニコライ陛下の記憶が戻っても戻らなくても、このままベルナール王国にとどまれば良いと言ってくださっています。
ご本人が気づいていないだけで、陛下は私を愛しているのだとおっしゃってくださいました。我がボワイエとのつながりを失いたくなくての嘘だとしても嬉しかったです。
「ごちそう様。それじゃ仕事に戻りましょう」
「そうだな」
「私は茶器とお皿を厨房に返してきますね」
「ああ。……早く帰って来てくれ。待っているよ、ロメーヌ」
心臓が止まりそうなほど嬉しいお言葉です。
毎夏の誕生パーティで、いつもニコライ陛下のご訪問を待ち侘びていたのは私のほうでした。
だけど──
廊下へ出て、立っている衛兵達に軽くお辞儀をして厨房へ向かいます。
私はいつもヴェールをかぶって顔を隠しているのです。スタン様が選んだ信頼できる方々以外は、私をモーヴェ様だと思っています。風でヴェールがめくれても、髪と瞳の色が同じなので一瞬なら誤魔化せるでしょう。
だけど──
私は王妃の寝室では寝泊まりしていません。
ましてやニコライ陛下の寝室になど、初日以外は入ってもいません。
異常な状況ではありますが、陛下と共に過ごせること、妻として扱われていることが嬉しくて嬉しくてたまりません。
だけど──
どうしても考えずにはいられないのです、本当のことを。
ニコライ陛下が恋に落ちたのはモーヴェ様で、私は捨てられた元婚約者に過ぎないことを。たとえモーヴェ様のほうは本当の愛人に命じられて仕掛けたニセモノの恋だったとしても、陛下のお気持ちは真実だったことを。
……いいえ。私は、いつか記憶を取り戻した陛下に顔を見られて、なんだロメーヌかと、がっかりされてしまうことが怖いのです。
だけど──このままずっと陛下に私の名前を呼んでいただきたいとも思っているのです。
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