あなたが私を捨てた夏

豆狸

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幕間 近衛兵ドニ

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 ドニはボワイエ王国の子爵家に生まれた。
 三男なので跡継ぎになることも跡継ぎの補佐をすることもない気ままな立場だ。
 一応貴族子息ということで城の兵士になり、実直な性格と剣の腕を買われて国王の近衛兵に選ばれた。一代限りの騎士爵の地位も授かったので、まあまあ成功した人生だと言えるだろう。

 だというのに、ドニはその人生に不満を感じていた。

 自分とそう年齢の変わらない国王のことは尊敬しているし、誓った忠誠を裏切るつもりは毛頭ない。なにかあったときは王とボワイエ王国のために命を捨てる覚悟もある。
 騎士爵以上の地位を得て、領地を与えられたいとは思っていない。
 父や兄達の苦労は散々見てきた。とてもじゃないが自分には領地経営などできない。

 今の状態が自分にとっては最高だ。いやむしろ過分ともいえる。
 そう理解していながら不満を抱いてしまうのは、ボワイエ王国の王女ロメーヌのせいだった。
 彼女が嫌いなわけではない。逆に嫌いになれたなら、と思うこともある。

 ──ドニはロメーヌ王女に恋をしていたのだった。

「モーヴェ嬢が太陽なら、ロメーヌ王女は月のようだ」

 ドニの呟きに賛同してくれた近衛兵の多くもロメーヌに心を寄せていた。
 大公令嬢モーヴェは華やかな美少女で明るく社交的な性格、赤い髪や青い瞳自体は従姉のロメーヌと同じだが鮮やかさがまるで違う。
 けれど大公の座を狙う向上心豊かな貴族子息以外の多くの人間は、ロメーヌの温和で内向的な性格に安らぎを感じていた。暗い夜に導いてくれる月に感じるような信頼を彼女に向けていたのだ。

 ロメーヌが自国内で家臣の家に降嫁するのなら、ドニは彼女の住むボワイエ王国を統べる国王を近衛兵として守ることで気持ちを落ち着かせられただろう。
 だがロメーヌは隣国ベルナール王国へ嫁ぐことが決まっていた。
 政略結婚は王侯貴族の常とはいえ、隣国は遠い。両国の都から都への往復が馬を疾駆させれば半日で済むとはいっても、国境は気軽に越えられない。

 いつもお兄様を守ってくださってありがとうございます、そう言って微笑む彼女の顔が見られなくなるのだ。

 それでもドニはロメーヌの幸せを祈っていた。隣国の王との婚約を祝福していた。
 普段から家臣にも笑みを絶やさない彼女だったが、毎夏の誕生パーティで婚約者を前にしてみせる笑顔は特別だったからだ。
 ロメーヌが婚約者、隣国ベルナール王国の国王ニコライに恋していることは、だれの目にも明らかだった。

 彼女さえ幸せならいい。
 そう思っていたし、そう思うべきだとわかっていたけれど、いずれあの笑顔が見られなくなる考えると、どうしても胸に棘のようなものが刺さって抜けない。
 それがドニの人生に対する不満の正体だった。

 ロメーヌの十八歳の誕生パーティ。
 本当はその日に彼女と隣国の王の結婚式が行われるはずだった。
 なぜ一年先延ばしにされたのか、ドニは知らない。ボワイエ国王の晩酌に付き合ったとき得た情報からすると、隣国の政権闘争が原因らしい。国内で諍いのあるような国に嫁いで大丈夫なのだろうか。心配しつつもドニは、愛しい王女をまだ一年見つめられると喜んでいた。

 王女の誕生パーティの一か月後に隣国の王が突然訪れたときは、彼もロメーヌとの結婚が延期されたのを悲しがっているのだと思い、ドニは喜んでいた自分に罪悪感を覚えた。
 覚えたのだが、その罪悪感が必要なかったことはすぐ明らかになった。
 ドニの実家で大公領に近い子爵家の兄から噂が流れて来たのだ。ロメーヌの婚約者で彼女の愛を一身に受けている隣国の王が、大公令嬢モーヴェの元へ通っているという噂だ。そして、それは事実だった。

 ロメーヌの十九歳の誕生パーティは行われなかった。
 代わりに彼女の葬儀が開催された。
 王女は婚約者である隣国の王のため、自分が死んだことにして身を引いたのだ。国王の命令で隣国の王に付き添って葬儀を抜け出し城に戻ったドニは、いかなる月光よりも美しい彼女の涙を見た。彼女よりも大公令嬢のモーヴェを選んだ隣国の王の気持ちが理解できなかった。

 今、ロメーヌは聖獣と共に迷いの森で暮らしている。
 彼女は、以前から気まぐれな猫のような聖獣に気に入られていたのだ。
 王女としての権利も財産も失い、聖獣の世話係となったロメーヌはもうボワイエ王国から出て行くことはない。

 ドニの不満は消え去り、代わりに野望が芽生えた。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「……また来たのか。兄ちゃんも懲りないな」

 近衛兵としての仕事が休みの日、ドニは聖獣の住む迷いの森に近い元大公領にある小さな村に来ていた。
 ここが目的地ではない。王都から走らせてきた馬を預かってもらい、自分も少し休憩するために足を寄せたのだ。
 この一年で顔馴染みになった村の少年ヤニクが、ドニを睨みつけてくる。

「ああ、懲りない。ロメーヌ王女……聖獣様のお世話係様にお会いするまで諦める気はないんだ」
「言っとくけど、ロメーヌを狙ってんのは兄ちゃんだけじゃないぞ。今日なんか隣国の貴族まで来てたからな」

 隣国──今さら彼女になんの用だろう、と思いながら、ドニは少年に微笑んだ。

「彼女は魅力的だからな。でも俺は、一番手強い恋敵はヤニク、君だと思ってる」
「当たり前だ。ロメーヌが村へ買い出しに来たときは、いつも俺が手伝ってやってるんだぞ」
「羨ましいな。次に彼女が来る日はわかるかい?」
「知らないよ。知ってても教えないけど」

 いつもの軽口を叩き合った後で、ドニは迷いの森へ向かった。
 ロメーヌが国王や王妃を手伝いに城へ戻ってくるときに顔は見られるのだが、死んだことになっていても城内では王女だ。前と同じで気軽には話しかけられない。
 迷いの森への送り迎えは彼女の兄である国王が自ら行っている。彼はロメーヌに恋する男達を煽るようなことをよく言うのだが、実際は最愛の妹を簡単に手放す気はないらしい。

(それでもいつか……もしかしたら今日こそロメーヌ王女にお会い出来るかもしれない。隣国の貴族とやらがロメーヌ王女や聖獣様を困らせていなければ良いのだが……)

 思いながら森へ足を踏み入れたドニの中に芽生えている野望とは、ロメーヌと会話することだ。
 挨拶や報告は以前もしていた。隣国の王へ送る栄養剤の試飲を依頼されたこともある。だから今はなんてことない日常の話をしたい。天気の話や料理の話、他愛のない会話で彼女を微笑ませたい。
 告白や求婚はまだ考えていなかった。それはもっと爵位を上げるか財産を増やしてからの予定だ。

 近衛兵ドニは、今日ロメーヌが隣国から来たスタンと共に森を出たことを知らない。
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