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葉菜花、旅立ちました編

37・三日目の夜と四日目のオヤツ・その裏で

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 早いもので、気が付くと三日目の夜だった。
 明日のこの時間には、もう港町マルテスに着いている。

 ツォッコロは自分の桶に首を突っ込んで飼い葉を食べた。
 人間達が食事をしている方向からは、美味しそうな匂いが漂ってくる。
 馬である自分が食べるようなものではないのだろうが、それでも食欲をそそられた。

『……はあ』

 ツォッコロは溜息をついて、匂いをおかずに飼い葉の残りを食べ始めた。
 これまではロレッタのため速度を落としてきたが、マルテス周辺の街道は治安が悪い。
 明日は久しぶりに本来の速さに戻ることができる。

「わふ!(おい!)」

 不意に黒い毛玉が呼びかけてきた。
 わんこしゃべりでも馬のツォッコロには理解可能だ。

『俺にご用事ですか、神獣様』
「わふう……(俺は神獣ではないぞ、神獣は父上だぞ……)」
『俺みたいなただの馬から見たら、あなた様も神獣ですよ』

 ツォッコロは彼のように、影に荷物を保管して運搬することはできない。
 もしそんな力を持っていたら、街道脇の森の木々に実る果実を入れておいて、好きな時に食べることができるのに。

「わっふう?(まあいい、お前疲れてないか?)」
『そりゃあね。荷物は少ないですが、ゆっくり進むっていうのも案外疲れるものなんですよ』
「わふう……わっふふ!(そうか……わかったぞ!)」

 黒い毛玉は、勝手に納得して人間達のところへ戻っていった。

『どうなさったんだろう?』

 ツォッコロは首を傾げた。
 ただの馬には尊い神獣の考えることはわからない。

 ──しばらくして神獣は、自分の主人とツォッコロの飼い主親子を連れて来た。

「わかったのよ、お父様。ラケルちゃんは言っているの。ツォッコロも焼きそばを食べたがってるって。だってこんなに良い匂いなんですもの」
「わふ?……わふー……わふ!(全然わかってない?……うーん……馬が元気になるならなんでもいいか!)」

 意思の疎通はできているような、できていないような──

「わふわふ(とにかく馬が疲れているから、ごしゅじんの魔石ごはんをあげてほしいぞ)」

 神獣の主人が飼い主の父親のほうに言う。

「ラケルも食べてるし、馬が魔石ごはんを食べても大丈夫だと思いますが」

 どうしましょう? という言葉は省略したようだ。

「そうですねえ。ツォッコロは大きいし力も強いから、今のようにゆっくり進んでいると逆に疲れるみたいなんですよ。ラケル君が言いたいのは、ツォッコロが疲れているから葉菜花さんの魔石ごはんで元気にしてやって、ってことじゃないかなあ」
「わふ!(その通りだぞ!)」
「そういうことなの」

 美味しそうだから焼きそばを食べたがっているというのと、疲れているから魔石ごはんを食べさせたいというのはかなり違う気もするが……ツォッコロはどちらにしろ美味しそうなものが食べられるのならいいと思い、突っ込みを自重した。
 馬だから元から突っ込みはできないし。
 父親のほうがツォッコロの鬣を撫でる。

「いざというときに走ってもらいたいので、おとなしいだけの馬ではダメなんですよね」

 港町マルテス周辺の街道は王都の騎士団の巡回区域ではない。
 町の衛兵隊や領主の私兵が巡回する回数も少ないせいで盗賊がよく出る。
 しかし、これまでツォッコロの引く馬車が盗賊に襲われたことは一度もなかった。

「いつもはロレッタとお父様も疲れてるけど今回は元気なのよ。葉菜花ちゃんの魔石ごはんのおかげなの」
「葉菜花さん、追加料金を払いますのでツォッコロにもなにか作ってやってくれませんか」
「わかりました。でも……焼きそばは食べにくいと思うので、ほかのものにしますね」

 神獣の主人は、財布から魔石を取り出して錬金術を始める。
 少女の手の中で魔石がボコボコと蠢いた。

「わあ!」

 魔石から変成されたものを見て、飼い主の娘のほうが歓声を上げる。

(……あれはなんだろう?……)

 ツォッコロが初めて見る食べ物だ。形はリンゴに似ている。
 ぶ厚い黄金色の皮から漂う甘い匂いは、それが美味しいものだと主張していた。
 少女が伸ばした手の中の魔石ごはんにツォッコロは夢中で飛びついた。

(……美味い!……)

 水気のない黄金色の皮はほんのり塩味で、パサパサした食感が面白い。
 そしてなにより中身のリンゴ! 蜜で煮られているのか、甘く瑞々しく柔らかった。
 皮と林檎を同時に食べることで、さらなる美味しさを感じる。
 自分の口が大きくて、すぐ食べ終わってしまうのが残念だった。

 ツォッコロは少女に顔を摺り寄せた。
 実のところ、神獣の主人が自分の大きさに怯えているのは気づいていたのだけれど、ただの馬に過ぎないツォッコロには顔を摺り寄せる以上の好意表現はできない。
 幸い彼女はツォッコロの好意を受け入れて、優しく頭を撫でてくれた。

(……なんだか疲れてぼんやりしていた頭がすっきりしている……)

「ぐるる(俺のごしゅじんにベタベタするな)」

 自分で主人を呼んできたくせに怒るなんて理不尽だなあ、とツォッコロは思った。
 もちろん美味しいものを食べさせてもらえたことで、神獣にも感謝している。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 そして四日目、往路の最終日。

 今日の太陽が沈むころには港町マルテスに到着する。
 ツォッコロはいつものように精一杯馬車を引くつもりだ。
 いつもより元気な気がするから、いつもより早くマルテスに着くかもしれない。

「はい。昨日の晩と同じで悪いけどオヤツだよ」
「ひひん(ありがとうございます)」
「わふわふ!(俺のごしゅじん、すごいだろ!)」

 朝は四角くて黄色い芋、昼は栗の入った黒くて美味しいものをもらった上に、オヤツには昨夜の不思議なリンゴまでもらえてツォッコロは幸せだった。
 これもみんな神獣のおかげだと、黒い毛玉には感謝の気持ちしかない。
 人間の食べ物を食べて体調を崩したという同胞の話を聞いたこともあったのだが、神獣の主人がくれる魔石ごはんではそんなことはないようだ。

 美味しいだけでなく体調が良くなる気がする。
 特にこの不思議なリンゴは、食べるとすっきりして頭が研ぎ澄まされるような気までした。

「ツォッコロ美味しそう」
「ロレッタちゃんの分もすぐ用意しますよ」
「わーい」
「わふう(俺も食べるぞ)」

 楽しげに去っていく神獣達の背中を見送る。

(……神獣様達は不思議なリンゴ以外にも美味しいものを食べるのだろうなあ……)

 ちょっと羨ましい。
 けれどスキルや魔術を使う人間や神獣には、馬であるツォッコロよりも大量の魔力が必要なことも理解していた。
 ただの馬が旅の間美味しい魔石ごはんを食べられるというだけでも幸せ過ぎるくらいだ。

 美味しいものを食べたせいか、春の風の心地良ささえ普段より増しているように感じる。

「……ぶるるっ(これはっ)……」

 アップルパイの付与効果で集中力が上昇しているツォッコロは、いつもより鋭敏になっている感覚で、あることに気づいた。
 近くの木の上に弓矢を持った人間がいる。
 もしや昨夜神獣がツォッコロの疲労を気にしたのは、襲撃を予感していたからなのだろうか。

★ ★ ★ ★ ★

 ロンバルディ商会の馬車が盗賊に襲われたことはない。
 護衛である『闇夜の疾風』が、馬車が襲われる前に盗賊を退治してしまうからだ。
 それは、愛娘ロレッタに野蛮な盗賊や血生臭い荒事を見せたくないというロレンツォの望みだった。もちろん望んだからといって簡単に実行できることではない。

 隊長のマルコと彼の甥で斥候のニコロは『索敵』のスキルを持っている。
 ニコロの『索敵』範囲は少し小さめの一部屋分、マルコのそれは貴族の館一軒分だった。
 その『索敵』能力で、今日もマルコは盗賊の接近を感知したのだ。

 ──バキッ。

 ツォッコロのいる方向から、かすかな音がした。
 葉菜花が振り向いたが、矢の折れる音だと気づいたわけではないようだ。
 ルイスは状況を確認することにした。

「どうしたんだ、ルイス。賊か?」

 事情をわかっているくせに、ニコロはこういうことを言う。
 留守を守るのも大切なことだと教えられていても、戦いに加わりたくて仕方がないのだ。

(……気持ちはわかるけどな……)

 思いながらルイスは首を横に振る。

「賊なんて来ないほうがいいんだよ、ニコロ。隊長達が帰ってきたらお世話になるから、ツォッコロの鬣に櫛でもかけておいてやろうと思っただけだ。お前は葉菜花の後片付けでも手伝ってろ」

 ロレッタが葉菜花に抱きつく。

「葉菜花ちゃん、食器に『浄化』かけてもいい?」
「わふわふ!」
「しょーがねーな。俺も手伝ってやるよ」

 渋々、といった様子でニコロも後片付けに参加する。
 葉菜花とロレッタがルイスのほうに興味を持たないようにしてくれるはずだ。
 黒い子犬は状況に気づいているようだが、使い魔である彼は主人の葉菜花を守ることが最優先だ。盗賊退治の頭数には入っていない。

「よお。大したもんだな、ツォッコロ」

 ルイスはツォッコロが飼い葉と一緒に食んでいた折れた矢を受け取った。

「飛んできた矢を噛んで止めるなんてエルフの俺でもできないぞ。足の速い良馬だとは思っていたが、こんな才能まであったのか。……お前のことまで気を配れてなくて、ごめんな」

 小声で言いながら折れた矢を隠し、櫛を取ってツォッコロの鬣を梳る。
 こちらが気付いていることを悟られてはいけない。

 ルイスは『隠密』のスキルを持っている。
 森で狩りをするエルフには必須のスキルだ。

 『隠密』を作動していると『索敵』に感知されなくなる。
 これは狩人だけでなく暗殺者向きのスキルでもある。
 『隠密』のスキルを持つものは、自分よりレベルの低い『隠密』を察知することができた。

(……隊長が俺を置いていったってことは俺以下の『隠密』なんだよな……)

 そうでなければマルコ本人が残っていただろう。
 彼は接近戦にも遠距離攻撃にも長けている。
 ルイスは意識を研ぎ澄ませた。

 ──集中するのだ。

(……お!……)

 今日はいつもより早く、集中状態に入ることができた。
 服のポケットから眠り薬を塗った短剣を取り出し、樹上からこちらを狙う盗賊に投げつける。
 木から落ちて葉菜花達の注意を引かないよう角度を考えて投げたので、周囲の枝が意識を失った相手を支えてくれた。

(……隊長達は大丈夫かな、って大丈夫に決まってるよな……)

 ルイスはツォッコロの鬣に櫛をかける作業に戻った。
 さっき食べたアップルパイの味を思い出して鼻歌を口遊んでいるが、本人はそれに気づいていない。

★ ★ ★ ★ ★

「おっとこりゃあ別嬪さんだな」
「へっへっへ」
「こんなところにひとりで来ちゃ危ないぜぇ?」

 馬車から少し離れた森の中、バルバラは下卑た笑みを浮かべる男達に囲まれていた。
 盗賊の一味だ。

 無言で剣に手をかける。
 いつもなら抜くと同時に『強化』のスキルを発動するのだが、今日はする必要を感じなかった。
 自分の力量も相手の力量も見て取れる。『強化』を使わなくても勝てる相手だ。

 精神は底が見えるほど澄んだ水面のようだ。
 海の向こうのラース帝国で見た悲惨な敗北者と犠牲者達の風景を思い出しても心は凪いでいた。
 憐憫の情はあるけれど恐怖はない。

 バルバラは剣を抜いた。
 彼女の予想は外れなかった。

★ ★ ★ ★ ★

「ちっ、こっちは男かよ」
「なーに、少々図体がデカくてもこの人数でかかればイチコロよ」
「っ! ちょっと待て、コイツはっ!」
「ビビってんじゃねぇよ」
「……」

 盗賊の中にはラース帝国から来た人間もいたようだ。
 イサクは故郷ワリティアを出てからしばらくは、ラース帝国の闘技場でモンスターなどと戦って日銭を稼いでいた。
 結構人気もあって妙なふたつ名までつけられていたのだから、顔を知られていてもおかしくはない。

 しかしそんなことイサクには関係ないので、

「ぐぇっ」「ぎゃあぁぁっ」「俺は逃げる、俺は逃げるぞ! 『真紅のアダマンタイト』なんて相手にできるか……わああぁぁっ」「ひっ! 来るな、来るな、来るなあぁぁっ!」

 全員沈めた。

「……お前らが来なければ、葉菜花にお代わりを作ってもらえたのに」

 ハチミツかけバニラアイスは美味しい。

★ ★ ★ ★ ★

 ──ピーヒョロロピー。

 手下達が動き出さないのに業を煮やして指笛を吹き始めた盗賊のかしらのうなじに、マルコは手刀を叩き込む。

「うっ……」

 倒れた男を近くの木まで引きずって、持って来た縄で幹に縛りつける。
 命までは奪わない。

 ほかの隊員もそれぞれの担当を縛り上げているはずだ。
 いや、ルイスはロレッタ達に盗賊の存在を気づかれてはいけないので、彼の担当分はマルコがこっそり縛っておかなくてはならない。
 縛り上げた盗賊は港町マルテスに着き次第、衛兵隊に報告して捕縛しに行ってもらう。

 前に一度、見覚えのある盗賊と再会したことがあった。
 衛兵の幹部が盗賊と癒着していたらしい。
 盗賊は再び叩きのめし、衛兵の幹部は騎士団によって癒着を暴かれて断罪された。

 罪の軽いものならマルテスで投獄されて罰を受けるが、盗賊は死罪だ。
 インウィと契約して保釈金を払ってもらい、向こうで犯罪奴隷になれば死罪だけは免れる。──死罪だけは。
 どちらがマシかは人によって異なるであろう。

 ラトニーには奴隷制度がないはずなのに、これではインウィに奴隷を売っているようなものではないか、と喚く輩もいないではないが、あくまで善意の保釈金を受け取っているだけである。
 そもそも盗賊はインウィからの密入国者がほとんどだ。
 インウィのものはインウィへ、至極当たり前の話だ。

 『闇夜の疾風』は不殺主義だった。破ったものには罰金が科せられる。
 甘いと言われるかもしれないが、自分や護衛対象が危ないときにまで主義を押し通すつもりはない。
 それでもこれまでのところ、主義を破ってまで戦わなくてはいけない相手はいなかった。

「もうすぐマルテス、ですか……」

 マルコは溜息をついた。
 明日は『黄金のドラゴン亭』で朝食を摂るので、ラーメンは食べられない。
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