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第一話 愛が砕けるとき
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「イザベリータ、アンドレス王太子殿下を困らせているようだな」
王都の侯爵邸へ戻ってきた父デルガード侯爵の言葉に、私は息を飲みました。
アルメンタ王国の宰相を務める父はいつも多忙で、今日も久しぶりの帰宅です。
父は海に面したこの王国へ大陸の北にある土地から移住してきた一族の子孫で、この王国では珍しい銀の髪と紫の瞳を持っています。その特徴は母の命と引き換えに生まれてきた私にも受け継がれていました。私がもう少し亡くなった母に似ていたら、父はもっと足繁く家へ戻って来てくれていたのかもしれません。
アンドレス王太子殿下は私の婚約者です。
数年前に父の親友だった王配殿下を喪った女王陛下のたったひとりのご子息でした。
眩しい太陽と煌めく海を人に変えたような、美しい金の髪と青い瞳の持ち主です。私との婚約は政略的なものですが、幼いころから仲良くしていました。……貴族子女と裕福で優秀な平民が通う学園に入学してからは、少し距離があるのですが。
「殿下からお前に伝言がある」
「……はい」
侯爵邸の応接室で父と向かい合わせに座った私は背筋を伸ばしました。
「もう殿下のことを見るな、とのことだ」
「え……?」
「前にもお前に告げていたように、あのソレダという特待生と殿下は友達でしかない。それを嫉妬して睨まれたのではたまらないとおっしゃられている」
「申し訳……ございません」
「私に謝罪しても意味がない。お困りなのは殿下だ。お前の愛は歪んでいると殿下は言われていた。執着心と独占欲は愛とは違う、ともな」
「……わかりました。これから気をつけます」
「ああ、なら良い」
「それでは失礼して自室へ戻ってもよろしいでしょうか」
「うん?」
父は怪訝そうな顔になりました。
幼いころから、多忙な父と過ごせる時間は貴重なものでした。
私はわずかな時間をも惜しんで父と過ごしてきました。いつもならこの後で、私が淹れたお茶を飲みながら話をしていたことでしょう。でも今日はそんな気分になれませんでした。
「……勉強が。あの、私はもの覚えが悪いので……」
「それなら仕方がないな。もう学園を卒業する日も近い。本来なら卒業してからの数年を教育期間に当てるところを、殿下の提案で卒業してすぐの結婚となった。その分覚えることも多いだろう」
「……」
無言で頷いて、私は応接室を去りました。
これ以上言葉を発したら、ギリギリのところで堪えていた涙が零れ落ちてしまいそうだったのです。
締め付けられているかのように心臓が痛みます。私ごとバラバラに砕け散ってしまいそうです。
──殿下を見てはいけない。私の愛は歪んでいる。執着心と独占欲は愛とは違う。
だとしたら、私は愛がわかりません。
愛しい人が気になって、つい視線を送ってしまうのはいけないことだったのですね。
いつも愛しい人のことを考えてしまう執着心も、自分だけの存在でいて欲しいという独占欲も間違っていたのですね。
どうして私は愛を誤解していたのでしょう。どうして愛がわからないのでしょう。
生まれると同時に母を喪いましたが周囲には愛されて育ってきたつもりでした。
デルガード侯爵である父にも、亡くなった母の親友だったアルメンタ王国の女王陛下にも、侯爵邸の使用人達にも──婚約者のアンドレス王太子殿下にも。
すべて間違いだったのでしょうか。私の勘違いに過ぎなかったのでしょうか。
応接室から自室へと向かう私に、付き添いのメイドが心配する声をかけてくれているのですが、どうしても言葉が耳に入って来ません。私は彼女を姉のように慕っていました。彼女も私を主人としてだけでなく大切にしてくれていると思っていました。
それも愛だと思っていました。でも違うのでしょうか。
私は、だれにも愛されていないのかもしれません。
自室に入った私は床に膝をつきました。
卒業までの少しの間だけでも殿下と一緒に登校したくて、最近は必死で妃教育の課程を詰め込んでいました。王宮に泊まり込むことも珍しくなかった日々の反動が一気に襲ってきたのかもしれません。ええ、すべて疲れのせいです。私はメイドに、とめどなく流れ落ちる涙のことを父には報告しないで欲しいとお願いしたのでした。
王都の侯爵邸へ戻ってきた父デルガード侯爵の言葉に、私は息を飲みました。
アルメンタ王国の宰相を務める父はいつも多忙で、今日も久しぶりの帰宅です。
父は海に面したこの王国へ大陸の北にある土地から移住してきた一族の子孫で、この王国では珍しい銀の髪と紫の瞳を持っています。その特徴は母の命と引き換えに生まれてきた私にも受け継がれていました。私がもう少し亡くなった母に似ていたら、父はもっと足繁く家へ戻って来てくれていたのかもしれません。
アンドレス王太子殿下は私の婚約者です。
数年前に父の親友だった王配殿下を喪った女王陛下のたったひとりのご子息でした。
眩しい太陽と煌めく海を人に変えたような、美しい金の髪と青い瞳の持ち主です。私との婚約は政略的なものですが、幼いころから仲良くしていました。……貴族子女と裕福で優秀な平民が通う学園に入学してからは、少し距離があるのですが。
「殿下からお前に伝言がある」
「……はい」
侯爵邸の応接室で父と向かい合わせに座った私は背筋を伸ばしました。
「もう殿下のことを見るな、とのことだ」
「え……?」
「前にもお前に告げていたように、あのソレダという特待生と殿下は友達でしかない。それを嫉妬して睨まれたのではたまらないとおっしゃられている」
「申し訳……ございません」
「私に謝罪しても意味がない。お困りなのは殿下だ。お前の愛は歪んでいると殿下は言われていた。執着心と独占欲は愛とは違う、ともな」
「……わかりました。これから気をつけます」
「ああ、なら良い」
「それでは失礼して自室へ戻ってもよろしいでしょうか」
「うん?」
父は怪訝そうな顔になりました。
幼いころから、多忙な父と過ごせる時間は貴重なものでした。
私はわずかな時間をも惜しんで父と過ごしてきました。いつもならこの後で、私が淹れたお茶を飲みながら話をしていたことでしょう。でも今日はそんな気分になれませんでした。
「……勉強が。あの、私はもの覚えが悪いので……」
「それなら仕方がないな。もう学園を卒業する日も近い。本来なら卒業してからの数年を教育期間に当てるところを、殿下の提案で卒業してすぐの結婚となった。その分覚えることも多いだろう」
「……」
無言で頷いて、私は応接室を去りました。
これ以上言葉を発したら、ギリギリのところで堪えていた涙が零れ落ちてしまいそうだったのです。
締め付けられているかのように心臓が痛みます。私ごとバラバラに砕け散ってしまいそうです。
──殿下を見てはいけない。私の愛は歪んでいる。執着心と独占欲は愛とは違う。
だとしたら、私は愛がわかりません。
愛しい人が気になって、つい視線を送ってしまうのはいけないことだったのですね。
いつも愛しい人のことを考えてしまう執着心も、自分だけの存在でいて欲しいという独占欲も間違っていたのですね。
どうして私は愛を誤解していたのでしょう。どうして愛がわからないのでしょう。
生まれると同時に母を喪いましたが周囲には愛されて育ってきたつもりでした。
デルガード侯爵である父にも、亡くなった母の親友だったアルメンタ王国の女王陛下にも、侯爵邸の使用人達にも──婚約者のアンドレス王太子殿下にも。
すべて間違いだったのでしょうか。私の勘違いに過ぎなかったのでしょうか。
応接室から自室へと向かう私に、付き添いのメイドが心配する声をかけてくれているのですが、どうしても言葉が耳に入って来ません。私は彼女を姉のように慕っていました。彼女も私を主人としてだけでなく大切にしてくれていると思っていました。
それも愛だと思っていました。でも違うのでしょうか。
私は、だれにも愛されていないのかもしれません。
自室に入った私は床に膝をつきました。
卒業までの少しの間だけでも殿下と一緒に登校したくて、最近は必死で妃教育の課程を詰め込んでいました。王宮に泊まり込むことも珍しくなかった日々の反動が一気に襲ってきたのかもしれません。ええ、すべて疲れのせいです。私はメイドに、とめどなく流れ落ちる涙のことを父には報告しないで欲しいとお願いしたのでした。
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