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第三話 元婚約者は末の姉に婚約破棄を報告する。
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エルネストが王都の公爵邸へ戻っても、父のモレッティ公爵はいなかった。
王家の傍系である公爵は多忙なのだ。
三人の姉の上ふたりはもう嫁いでいるし、公爵夫人は領地にいる。ふたつ年上の末の姉がひとり応接室で茶を飲んでいた。
「ただいま戻りました、姉上」
「ああ、お帰りなさい」
「……父上は王宮ですか?」
「そうよ。王都の北の山に棲みついたドラゴンの件での会議が終わらないみたい」
姉弟の仲はさほど良いものではない。
それもそのはず、ふたりは異母姉弟だった。
公爵夫人の産んだ嫡子として届けられているが、エルネストの実母は公爵家のメイドだった。年若かった彼女は、エルネストを産み落としてこの世を去った。
本来庶子は家を継げない。
正妻の養子になることで初めて後継者となれる。
しかし国内で強い影響力を持つ神殿が不貞を嫌うので、親族から養子を取るよりも庶子を養子にするほうが面倒な手続きになる。正妻の養子にすればいいだけのことを嫡子として届け出たのは、父の公爵が手続きの面倒さを嫌ったからだった。
「……姉上」
「なに?」
「僕は今日アリーチェとの婚約を破棄しました」
「そう」
「理由をお聞きにならないのですか?」
「聞いてどうなるの? お父様は跡取りのあなたの言うことならなんでも聞くし、ロセッティ伯爵家が我が家に逆らえるわけないでしょう?」
「アリーチェは公爵夫人に相応しいとは思えないのです」
エルネストとアリーチェの婚約は、十歳のエルネストのひと目惚れによって始まった。
自分の勝手で始まった婚約を自分の勝手で破棄した罪悪感から、エルネストはアリーチェの欠点を語りたかった。
彼女と婚約破棄したことは正しいと姉に認めて欲しかったのだ。
「あなたがそう思うのならそうなのでしょう」
「彼女はだれに対しても刺々しい態度で、我儘で……」
「だから、なに? 婚約破棄を認めるのは私でなくお父様よ。正式な妻が産んだ嫡子でありながら、女だというだけで存在を否定されてきた私に婚約破棄の理由を語られてもどうにも出来ないわ」
この姉も上のふたりと同じようにモレッティ公爵家に都合の良い相手に嫁がされる。
そこに彼女の意思はない。
父である公爵が独善的な人間なせいもあるものの、高位貴族の家はみんなそんなものだ。相応しいという言葉は身分と財産にかかる。性格も年齢も、お互いの気持ちさえも考慮されることはほぼない。
「アリーチェは変わってしまったのです。初めて会ったときの彼女は明るく朗らかで優しくて、無邪気で……今のようではなかった」
「十八歳の女の子が十歳のころと同じだったら心の病気を疑うわね」
「そういうことではありません。本質というか、性格の……」
「だから、私になにか言っても仕方がないでしょう? あなたは私や彼女のような貴族令嬢が嫌なのでしょうけど、王都の社交界で明るく朗らかで優しい無邪気な女が生きていけるとでも思うの? 最初から敵と見做されていない、高位貴族の男が手を出しても弄んで捨てるだけだとわかっている低位貴族か平民の女なら多少は長らえるかもね」
でもそんな女って最後はボロクズのように捨てられるのよ、と姉は遠くを見るような瞳になった。
「あなたの母親、あのとき死んで良かったわよね。元々恋人がいるのに、無理矢理お父様の愛人にされたのだもの。私はまだ二歳だったけど、彼女が嫌いだったわ。だって私は女に生まれたというだけで政略の駒として使い捨てられる運命なのに、彼女は跡取りの男の子を産むかも知れないというだけでチヤホヤされていたのだもの。でも……」
公爵夫人と上の姉達は、エルネストの母親を同情に満ちた瞳で見ていたのだという。
「亡くなったあの人の幸せそうな顔を見て、私も考えを改めたの。お父様のような人間に関わるだけで不幸なのだと、力がなければ死ぬ以外に逃げる道がないのだと。だから私もお姉様達のように戦って、自分の居場所を勝ち取るつもりよ。あなたの嫌いな刺々しくて我儘な貴族令嬢として、ね」
「……」
「あ、でもお父様が認めても王家が婚約破棄を認めないかもしれないわね」
「王家がですか?」
「そうよ。思い出してみたら、あなたに甘いお父様も格下の伯爵家との婚約は認めようとしなかったわ。王命を出されて仕方なく認めたんじゃなかったかしら」
「僕とアリーチェの婚約は王命だったのですか? 一体なぜ?」
「私に聞かれても知らないわよ。……想像は出来るけれどね」
姉に冷たい瞳で見られて、エルネストは応接室を去った。
同い年の第二王子カルロは学園の同級生だ。幼いころから親しくしている友人でもある。
明日、本当に王命だったのか彼に確認してみよう、とエルネストは思った。
王家の傍系である公爵は多忙なのだ。
三人の姉の上ふたりはもう嫁いでいるし、公爵夫人は領地にいる。ふたつ年上の末の姉がひとり応接室で茶を飲んでいた。
「ただいま戻りました、姉上」
「ああ、お帰りなさい」
「……父上は王宮ですか?」
「そうよ。王都の北の山に棲みついたドラゴンの件での会議が終わらないみたい」
姉弟の仲はさほど良いものではない。
それもそのはず、ふたりは異母姉弟だった。
公爵夫人の産んだ嫡子として届けられているが、エルネストの実母は公爵家のメイドだった。年若かった彼女は、エルネストを産み落としてこの世を去った。
本来庶子は家を継げない。
正妻の養子になることで初めて後継者となれる。
しかし国内で強い影響力を持つ神殿が不貞を嫌うので、親族から養子を取るよりも庶子を養子にするほうが面倒な手続きになる。正妻の養子にすればいいだけのことを嫡子として届け出たのは、父の公爵が手続きの面倒さを嫌ったからだった。
「……姉上」
「なに?」
「僕は今日アリーチェとの婚約を破棄しました」
「そう」
「理由をお聞きにならないのですか?」
「聞いてどうなるの? お父様は跡取りのあなたの言うことならなんでも聞くし、ロセッティ伯爵家が我が家に逆らえるわけないでしょう?」
「アリーチェは公爵夫人に相応しいとは思えないのです」
エルネストとアリーチェの婚約は、十歳のエルネストのひと目惚れによって始まった。
自分の勝手で始まった婚約を自分の勝手で破棄した罪悪感から、エルネストはアリーチェの欠点を語りたかった。
彼女と婚約破棄したことは正しいと姉に認めて欲しかったのだ。
「あなたがそう思うのならそうなのでしょう」
「彼女はだれに対しても刺々しい態度で、我儘で……」
「だから、なに? 婚約破棄を認めるのは私でなくお父様よ。正式な妻が産んだ嫡子でありながら、女だというだけで存在を否定されてきた私に婚約破棄の理由を語られてもどうにも出来ないわ」
この姉も上のふたりと同じようにモレッティ公爵家に都合の良い相手に嫁がされる。
そこに彼女の意思はない。
父である公爵が独善的な人間なせいもあるものの、高位貴族の家はみんなそんなものだ。相応しいという言葉は身分と財産にかかる。性格も年齢も、お互いの気持ちさえも考慮されることはほぼない。
「アリーチェは変わってしまったのです。初めて会ったときの彼女は明るく朗らかで優しくて、無邪気で……今のようではなかった」
「十八歳の女の子が十歳のころと同じだったら心の病気を疑うわね」
「そういうことではありません。本質というか、性格の……」
「だから、私になにか言っても仕方がないでしょう? あなたは私や彼女のような貴族令嬢が嫌なのでしょうけど、王都の社交界で明るく朗らかで優しい無邪気な女が生きていけるとでも思うの? 最初から敵と見做されていない、高位貴族の男が手を出しても弄んで捨てるだけだとわかっている低位貴族か平民の女なら多少は長らえるかもね」
でもそんな女って最後はボロクズのように捨てられるのよ、と姉は遠くを見るような瞳になった。
「あなたの母親、あのとき死んで良かったわよね。元々恋人がいるのに、無理矢理お父様の愛人にされたのだもの。私はまだ二歳だったけど、彼女が嫌いだったわ。だって私は女に生まれたというだけで政略の駒として使い捨てられる運命なのに、彼女は跡取りの男の子を産むかも知れないというだけでチヤホヤされていたのだもの。でも……」
公爵夫人と上の姉達は、エルネストの母親を同情に満ちた瞳で見ていたのだという。
「亡くなったあの人の幸せそうな顔を見て、私も考えを改めたの。お父様のような人間に関わるだけで不幸なのだと、力がなければ死ぬ以外に逃げる道がないのだと。だから私もお姉様達のように戦って、自分の居場所を勝ち取るつもりよ。あなたの嫌いな刺々しくて我儘な貴族令嬢として、ね」
「……」
「あ、でもお父様が認めても王家が婚約破棄を認めないかもしれないわね」
「王家がですか?」
「そうよ。思い出してみたら、あなたに甘いお父様も格下の伯爵家との婚約は認めようとしなかったわ。王命を出されて仕方なく認めたんじゃなかったかしら」
「僕とアリーチェの婚約は王命だったのですか? 一体なぜ?」
「私に聞かれても知らないわよ。……想像は出来るけれどね」
姉に冷たい瞳で見られて、エルネストは応接室を去った。
同い年の第二王子カルロは学園の同級生だ。幼いころから親しくしている友人でもある。
明日、本当に王命だったのか彼に確認してみよう、とエルネストは思った。
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