一昨日のキス、明日にキス

豆狸

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32・三度目のX年7月9日②

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「……うーん……」

 昼食を終えて漫研の部室を出て、菜乃花は唸った。
 どうしよう。

(未来うんぬんは、言わないほうがいいわよね。昼休みに少し会話するだけの相手に妙な話をされても戸惑うだろうし。やっぱりWデートまで待つべきなのかなあ)

 この前のことを鑑みて、漫画家についてのことは類に話していない。
 二十八歳の意識と記憶があるということも、弥生たちに相談していなかった。
 それにしても、Wデートの日まで待ったからといって冴島を救う名案が浮かぶものだろうか。悩みながら裏庭へ向かう足は、無意識に速くなっていく。
 心臓が早鐘を打ち始める。
 どうしたらいいのかわからない状態でも、冴島の顔を見られるというだけで嬉しい菜乃花なのだ。実は登校したときも、弥生に挨拶しに行った振りをして、隣のクラスへ彼の顔を覗きに行っていた。

(窓のほう見てたから声かけなかったけど、あのときも挨拶したほうが良かったかなあ)

 二回のWデートの記憶は、菜乃花の中にしかない。
 いきなり馴れ馴れしいことを言っても引かれるだけだ。
 Wデートのときだって、未来がわかるといっても信じてもらえなかった。
 まあ、それも当然だろうと、菜乃花も理解している。
 冴島はいつものように、テニスコートに面した裏庭のベンチに腰かけていた。

「……よお」

 彼が今日持って来たのがスモアだと当てたら、未来がわかるということを信じてもらえるだろうか。しかし信じてもらえても、どう告げれば彼が助かるのかわからない。
 冴島はなぜか、眉間に皺を寄せて菜乃花を見ていた。

「……冴島くん?」
「あ、いや……佐藤の唇、赤いな」
「うん。おばあちゃんがリップグロス作ってくれたの」
「そんなもの、個人が作れるのか?」
「うちのおばあちゃん、器用なの。石鹸とかも作るよ」
「へーえ……」

 なんとなく会話がぎこちない。
 冴島は、菜乃花から視線を逸らした。

(あれ? なんか……なんかこの前と違う)

「……佐藤、さあ」
「なぁに?」
「今朝……あー、俺の席窓際だから偶然見えたんだけど、二年の男と登校してただろ?」
「うん、途中で会ったの」
「……そうか。あー……つき合ってるとかじゃねぇの?」
「ち、違うよ?」
「でもアイツ、前髪上げたらすげぇ顔がいいって噂だろ? それに同じ部活だから、話も合うんじゃねぇのか?」
「確かに類くんは美形だし、漫画の話するのは楽しいけど、ただの後輩だよ? それに……」

 類は弥生の元カレだ。
 自分の恋愛対象としては考えられない。
 そっぽを向いていた冴島が、菜乃花に向き直った。

「だったらいいけど。彼氏がいるのに、俺とふたりで過ごしてたら、あー……いろいろマズイかと思って」

 気を遣ってくれていたらしい。

「そんなの! そんなの全然大丈夫だよ! あ、でも冴島くんは大丈夫? あの……わたしとふたりでいても?」
「俺はべつに……」

 彼は照れたような笑みを浮かべた。
 横に置いていたナイロン袋を広げて、ラップに包んだお菓子を取り出す。
 チョコとマシュマロをビスケットで挟んで、軽くあぶったお菓子だ。

「変に勘ぐって悪かったな。……座れよ。このお菓子、好きだったろ?」
「うん! あ、これってスモアっていうんだよね?」
「へえ、よく知ってたな。そうだよ、スモア。『SOME MORE』の略。もっとちょうだい、って意味だ」

(もっと……)

 流暢な冴島の発音を聞いた瞬間、菜乃花の胸が、トゥクン、と高鳴った。

(もっとちょうだい。冴島くんと過ごす時間が、もっと欲しい……)

 お邪魔しますと告げて、菜乃花は冴島の隣に腰かけた。
 精いっぱいの勇気を振り絞り、ふたりの間の空間を普段の人ひとり分の距離から半分の距離に縮める。

(ず……図々しかったかな。近過ぎる?)

 そっと横目で様子を窺った菜乃花は、彼が優しい微笑みを浮かべて自分を見ていることに気づき、慌てて視線を逸らした。
 今日はなんとなくいつもと違っているようだ。
 でもそれがなぜなのか、菜乃花にはわからなかった。
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