6 / 51
5・X+10年7月9日
しおりを挟む
菜乃花も弥生も、消しゴムかけとベタ塗りくらいしかできない。
できるだけのことをやり遂げて、ふたりはそれぞれの家へ戻った。
類の原稿が間に合うかどうかは今後の彼次第だ。
昨夜、菜乃花をアパートまで送ってくれた弥生は、類も早くデジタルに移行すればいいのにと語っていた。どうやら彼女は自分で自分好みのBL漫画を描くという野望を捨てられず、漫画制作のためのソフトを購入したようだ。
(トーンなら貼れる……塗れる? ようになったって言ってたな)
思いながら、菜乃花は布団の上で体を起こした。
一晩眠ったのに、あまり疲れが取れてない気がする。
二十八歳という年齢のせいかもしれないし、そうでないのかもしれない。
唇を噛んで涙を堪え、菜乃花は立ち上がって布団を片付けた。
今日は仕事だ。
泣き腫らした赤い目では出勤できない。
洗面台の前に立つ。
(類くんの手伝いに行ってて良かったな。作業してたら頭の中が空っぽになったし、徹夜したおかげで昨日はぐっすり眠れたし)
睡魔に包まれていなければ、昨夜は眠れなかっただろう。
泣き続ければ体力も消耗する。
体に残る疲労はこれだけではなかったに違いない。
(寝たのに、隈が……)
鏡に映っているのは、高校のころと同じ髪型の女だ。
肩のところで切り揃えて、軽く遊ばせている。
これ以上長くても短くてもしっくりこない。
そう思っていたけれど、本当は高校時代の自分しか知らないだれかに見つけてもらうためだったのかもしれなかった。彼はどこかで生きていて、なにかの……たとえば記憶喪失などの事情で戻ってこれないだけなのだと、心のどこかで思っていた。
高校時代と変わらない自分を見たら思い出してくれるのではないかと、期待していたのだ。
(でも無理ね)
今にも泣きそうな目をした鏡像は、十代のころに見た二十代の女性たちよりも老けて見えた。高校時代とは違い過ぎる。きっと彼には気づいてもらえない。
(弥生ちゃんや類くんが言ってたみたいに、交通事故だったのかな)
顔を洗いながら、ふたりと話した内容を思い出す。
冴島旭とその父親は、人気のない場所で車に轢かれ、意識を失うか動けない状態でいたところを運ばれて、湖に捨てられたのではないかというのだ。
不法投棄に使われていたあの場所なら、沈めるための重しにできるものはたくさんある。
彼の父親の死体も、これからの警察の捜査で見つかるのかもしれない。
十年前も携帯を見ながら運転している車はあったし、
(繁華街に行っちゃダメな理由のひとつは、危険ドラッグの売人がいるかららしいって噂もあったっけ)
あのころは確か、脱法ハーブと呼ばれていた。
そういうものを使用して車を運転していた人間が、歩道に突っ込んで起こした事故も何件かあったと記憶している。
(そういった事件に巻き込まれた、のかな)
顔の水気を拭って、化粧水をつけてファンデーションを塗って──さほど化粧をしない菜乃花でも、しなくてはいけないことは多い。
化粧水の瓶を開ける前に、菜乃花は一昨日部屋を出る前に洗面台に置いておいた、祖母の形見のリップグロスを手に取った。
淡いピンク色の蓋を外して、リップグロスを指に取る。
こうして指で唇をなぞることで、自分が大人になったような気がしたものだ。
懐かしい柑橘系の香りが菜乃花を包んだ。
できるだけのことをやり遂げて、ふたりはそれぞれの家へ戻った。
類の原稿が間に合うかどうかは今後の彼次第だ。
昨夜、菜乃花をアパートまで送ってくれた弥生は、類も早くデジタルに移行すればいいのにと語っていた。どうやら彼女は自分で自分好みのBL漫画を描くという野望を捨てられず、漫画制作のためのソフトを購入したようだ。
(トーンなら貼れる……塗れる? ようになったって言ってたな)
思いながら、菜乃花は布団の上で体を起こした。
一晩眠ったのに、あまり疲れが取れてない気がする。
二十八歳という年齢のせいかもしれないし、そうでないのかもしれない。
唇を噛んで涙を堪え、菜乃花は立ち上がって布団を片付けた。
今日は仕事だ。
泣き腫らした赤い目では出勤できない。
洗面台の前に立つ。
(類くんの手伝いに行ってて良かったな。作業してたら頭の中が空っぽになったし、徹夜したおかげで昨日はぐっすり眠れたし)
睡魔に包まれていなければ、昨夜は眠れなかっただろう。
泣き続ければ体力も消耗する。
体に残る疲労はこれだけではなかったに違いない。
(寝たのに、隈が……)
鏡に映っているのは、高校のころと同じ髪型の女だ。
肩のところで切り揃えて、軽く遊ばせている。
これ以上長くても短くてもしっくりこない。
そう思っていたけれど、本当は高校時代の自分しか知らないだれかに見つけてもらうためだったのかもしれなかった。彼はどこかで生きていて、なにかの……たとえば記憶喪失などの事情で戻ってこれないだけなのだと、心のどこかで思っていた。
高校時代と変わらない自分を見たら思い出してくれるのではないかと、期待していたのだ。
(でも無理ね)
今にも泣きそうな目をした鏡像は、十代のころに見た二十代の女性たちよりも老けて見えた。高校時代とは違い過ぎる。きっと彼には気づいてもらえない。
(弥生ちゃんや類くんが言ってたみたいに、交通事故だったのかな)
顔を洗いながら、ふたりと話した内容を思い出す。
冴島旭とその父親は、人気のない場所で車に轢かれ、意識を失うか動けない状態でいたところを運ばれて、湖に捨てられたのではないかというのだ。
不法投棄に使われていたあの場所なら、沈めるための重しにできるものはたくさんある。
彼の父親の死体も、これからの警察の捜査で見つかるのかもしれない。
十年前も携帯を見ながら運転している車はあったし、
(繁華街に行っちゃダメな理由のひとつは、危険ドラッグの売人がいるかららしいって噂もあったっけ)
あのころは確か、脱法ハーブと呼ばれていた。
そういうものを使用して車を運転していた人間が、歩道に突っ込んで起こした事故も何件かあったと記憶している。
(そういった事件に巻き込まれた、のかな)
顔の水気を拭って、化粧水をつけてファンデーションを塗って──さほど化粧をしない菜乃花でも、しなくてはいけないことは多い。
化粧水の瓶を開ける前に、菜乃花は一昨日部屋を出る前に洗面台に置いておいた、祖母の形見のリップグロスを手に取った。
淡いピンク色の蓋を外して、リップグロスを指に取る。
こうして指で唇をなぞることで、自分が大人になったような気がしたものだ。
懐かしい柑橘系の香りが菜乃花を包んだ。
0
お気に入りに追加
88
あなたにおすすめの小説
【完結】名ばかりの妻を押しつけられた公女は、人生のやり直しを求めます。2度目は絶対に飼殺し妃ルートの回避に全力をつくします。
yukiwa (旧PN 雪花)
恋愛
*タイトル変更しました。(旧題 黄金竜の花嫁~飼殺し妃は遡る~)
パウラ・ヘルムダールは、竜の血を継ぐ名門大公家の跡継ぎ公女。
この世を支配する黄金竜オーディに望まれて側室にされるが、その実態は正室の仕事を丸投げされてこなすだけの、名のみの妻だった。
しかもその名のみの妻、側室なのに選抜試験などと御大層なものがあって。生真面目パウラは手を抜くことを知らず、ついつい頑張ってなりたくもなかった側室に見事当選。
もう一人の側室候補エリーヌは、イケメン試験官と恋をしてさっさと選抜試験から引き揚げていた。
「やられた!」と後悔しても、後の祭り。仕方ないからパウラは丸投げされた仕事をこなし、こなして一生を終える。そしてご褒美にやり直しの転生を願った。
「二度と絶対、飼殺しの妃はごめんです」
そうして始まった2度目の人生、なんだか周りが騒がしい。
竜の血を継ぐ4人の青年(後に試験官になる)たちは、なぜだかみんなパウラに甘い。
後半、シリアス風味のハピエン。
3章からルート分岐します。
小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。
表紙画像はwaifulabsで作成していただきました。
https://waifulabs.com/
【完結】 悪役令嬢は『壁』になりたい
tea
恋愛
愛読していた小説の推しが死んだ事にショックを受けていたら、おそらくなんやかんやあって、その小説で推しを殺した悪役令嬢に転生しました。
本来悪役令嬢が恋してヒロインに横恋慕していたヒーローである王太子には興味ないので、壁として推しを殺さぬよう陰から愛でたいと思っていたのですが……。
人を傷つける事に臆病で、『壁になりたい』と引いてしまう主人公と、彼女に助けられたことで強くなり主人公と共に生きたいと願う推しのお話☆
本編ヒロイン視点は全8話でサクッと終わるハッピーエンド+番外編
第三章のイライアス編には、
『愛が重め故断罪された無罪の悪役令嬢は、助けてくれた元騎士の貧乏子爵様に勝手に楽しく尽くします』
のキャラクター、リュシアンも出てきます☆
頑張らない政略結婚
ひろか
恋愛
「これは政略結婚だ。私は君を愛することはないし、触れる気もない」
結婚式の直前、夫となるセルシオ様からの言葉です。
好きにしろと、君も愛人をつくれと。君も、もって言いましたわ。
ええ、好きにしますわ、私も愛する人を想い続けますわ!
五話完結、毎日更新
【完結】昨日までの愛は虚像でした
鬼ヶ咲あちたん
恋愛
公爵令息レアンドロに体を暴かれてしまった侯爵令嬢ファティマは、純潔でなくなったことを理由に、レアンドロの双子の兄イグナシオとの婚約を解消されてしまう。その結果、元凶のレアンドロと結婚する羽目になったが、そこで知らされた元婚約者イグナシオの真の姿に慄然とする。
【完結】愛に裏切られた私と、愛を諦めなかった元夫
紫崎 藍華
恋愛
政略結婚だったにも関わらず、スティーヴンはイルマに浮気し、妻のミシェルを捨てた。
スティーヴンは政略結婚の重要性を理解できていなかった。
そのような男の愛が許されるはずないのだが、彼は愛を貫いた。
捨てられたミシェルも貴族という立場に翻弄されつつも、一つの答えを見出した。
従妹と親密な婚約者に、私は厳しく対処します。
みみぢあん
恋愛
ミレイユの婚約者、オルドリッジ子爵家の長男クレマンは、子供の頃から仲の良い妹のような従妹パトリシアを優先する。 婚約者のミレイユよりもクレマンが従妹を優先するため、学園内でクレマンと従妹の浮気疑惑がうわさになる。
――だが、クレマンが従妹を優先するのは、人には言えない複雑な事情があるからだ。
それを知ったミレイユは婚約破棄するべきか?、婚約を継続するべきか?、悩み続けてミレイユが出した結論は……
※ざまぁ系のお話ではありません。ご注意を😓 まぎらわしくてすみません。
この度、仮面夫婦の妊婦妻になりまして。
天織 みお
恋愛
「おめでとうございます。奥様はご懐妊されています」
目が覚めたらいきなり知らない老人に言われた私。どうやら私、妊娠していたらしい。
「だが!彼女と子供が出来るような心当たりは一度しかないんだぞ!!」
そして、子供を作ったイケメン王太子様との仲はあまり良くないようで――?
そこに私の元婚約者らしい隣国の王太子様とそのお妃様まで新婚旅行でやって来た!
っていうか、私ただの女子高生なんですけど、いつの間に結婚していたの?!ファーストキスすらまだなんだけど!!
っていうか、ここどこ?!
※完結まで毎日2話更新予定でしたが、3話に変更しました
※他サイトにも掲載中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる