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幕間② 奪われた者と奪った者の前夜
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公爵令嬢シュザンヌは、王都にある公爵邸で明晩開かれる王太子ナタンの婚約式に着けていくアクセサリーを選んでいた。
さすがに出席するつもりはなかったのだが、案内役を仰せつかった帝国からの賓客バンジャマン皇帝にパートナーになってくれと頼まれて断り切れなかったのだ。
幼いころから知っていて妹のように思っているエレノアも皇帝の腹心ユジェーヌと出席するようだ。
「姉上!」
突然部屋に飛び込んできた弟のジョルジュに、シュザンヌは目を丸くした。
「どうしたのですか、ジョルジュ」
「イレーヌが結婚したというのは本当ですか?」
「なにを今さら。一年前の卒業パーティのときに、あなたが彼女との婚約を破棄したのではないですか。一番愛し、心を捧げているのはクリミネラ様なのでしょう?」
近衛騎士団精鋭の彼は、いつもは宿舎に泊まり込んでいる。
少しでも自分を鍛えて王太子妃となるクリミネラの力になりたい、というのが彼の主張だ。生涯結婚するつもりはないらしい。
ほかにも弟がいるので良いものの、父も母もジョルジュの話になるといつも溜息をついている。
「そのつもり……でした。ですが今日、訓練の途中で不意にクリミネラ様への想いが冷めて、イレーヌへの想いが蘇ってきたのです」
「そんなこと言われても姉様は知りませんよ。あんなに夢中だったクリミネラ様がナタン王太子殿下の恋人となっても影から支えたいと言っていたのだから、イレーヌ様のことも影から支えて差し上げれば良いではないのですか?」
散々忠告したのにと、おっとりした性格のシュザンヌも口を尖らせる。
今でこそ落ち着いて話せるようになったが、一時はナタン王太子の名前を口に出すのも辛かった。のんきな性格だからといって、傷つかないわけではないのだ。
しかし、自分はまだマシだったとシュザンヌは思っている。
卒業パーティで、クリミネラを苛めたと言って集団でエレノアを責め立てる第二王子や弟達の姿は酷いものだった。学園に在学中もあんな風だったのだろうか。
招待客として列席していたシュザンヌはもちろん、ナタン王太子も弟の所業に怒りを露わにしていた。
そして弟である第二王子パイロンを止めるために足を踏み出したはずなのに、気がつくとナタン王太子がクリミネラに求婚していた。だれにも予測出来ない結末だった。
(みんな驚いて、エレノア様への根拠のない断罪が終わったのは良かったけれど……)
その場で棄てられた婚約者としては、どちらにしろ楽しい記憶ではない。
「イレーヌに対する想いとクリミネラへのそれは違うのです。クリミネラと話していると、彼女のことしか考えられなくなったのです」
「それが恋というものではないのですか?」
「そうではなくて、なんというか……惑わされたのです。あれは邪法に違いありません!」
「知りませんよ。私もイレーヌ様も、お父様もお母様もみんな、彼女には近寄るなと言っていたでしょう?」
クリミネラはアザール侯爵家の婿養子が作った庶子だ。
身分的には平民だし、ゴリ押しで学園に入学したので特待生のように優秀というわけでもない。その上婚約者のいる男性に自分からすり寄っていく娘だった。
どの家も子どもを近づけたいとは思わなかった。
「それとも、彼女に近寄ったのも邪法だったのですか?」
「うっ……いいえ、クリミネラに近づいたのは私の意思です」
周囲の言葉に素直に従うのが嫌な年ごろだったのだ。
婚約者のイレーヌ一筋の男と見られるのも悔しかったし、クリミネラにはどこか淫らなものを想像させる空気があった。
ジョルジュは火遊びを期待して、クリミネラに捕まったのだ。実際一度は肌を重ねている。
「明日の婚約式では警備を任されているのでしょう? 早く宿舎へ戻って準備をなさい」
「……はい。姉上……」
「なんですか?」
「イレーヌはもう私の婚約者ではないのですね。辺境伯の妻なのですね」
「……そうですよ」
シュザンヌは少しだけ弟を哀れに思ったが、浮気をする人間が一時的に盛り上がって唐突に冷めるという話は聞いていた。
これもそういうものなのだろうと深く考えることはなかった。
考えたとしても結論は変わらない。ジョルジュはイレーヌを取り戻せないのだ。
★ ★ ★ ★ ★
クリミネラは転生者だった。
前世の個人情報は思い出せないが、とりあえず男性を切らしたという記憶はなかった。
モテていて、尚且つ積極的にアプローチするタイプだったと認識している。特に愚鈍なブスから男を奪うのが得意だった。
婚約式の前夜、王太子ナタンはクリミネラの部屋に来なかった。
今夜は自室で眠るという。
可哀相にね、とクリミネラは思う。明晩、クリミネラは帝国の皇帝に略奪される。ナタンがクリミネラを味わえるのは今夜が最後なのだ。
『真珠の涙の少女』は、前世のクリミネラがプレイした唯一無二の乙女ゲームである。
略奪愛のゲームだと聞いたので興味を持ったのだ。
本来なら前世のクリミネラはゲームで恋を楽しむなんて無駄な時間を過ごすくらいなら、合コンか逆ナンに繰り出すタイプだった。『真珠の涙の少女』をプレイしたのは気まぐれだ。
現実で略奪愛を繰り返しているうちに疑問を持ったからではない。
どんなに好きだと求められて貢がれても、男達は最終的に愚鈍なブスのところへ戻る。
自分が男達を略奪して遊んでいるのではなく、本命持ちの男達が自分を利用して遊んでいるのではないか、だなんて疑問持つわけがない。そんなことあるわけがない。前世の自分は魅力的な女だった。だから男が寄って来たのだ。
(今世だって同じ)
『真珠の涙の少女』と同じセリフを言えば、高貴な男達がクリミネラの虜になる。
子爵だって公爵令息だって、異母姉の婚約者の第二王子だって!
王太子は手に入れた。次は皇帝だ。皇帝以上の男はこの世界にはいないようだから、彼で満足してあげようとクリミネラは思っている。前世では略奪するばかりでされることはなかったが、今世では王太子や皇帝に略奪されるのだと思うとクリミネラは笑いを堪えられなかった。
(私は魅力的な女なのよ。お義姉様とは違う)
異母姉のエレノアは、自分が捨てた第二王子にまた捨てられたらしい。
しかも今度はアザール侯爵家まで奪われたという。
どう考えても自分の圧勝だと、クリミネラは笑い続けた。
彼女はエレノア商会のことを知らない。
父親がなけなしのプライドで告げなかったのだ。正妻の父から受け継いだ遺産を食い潰した後、冷遇している長女の稼いだ金を恵んでもらって暮らしているなんて言えるわけがない。
アザール侯爵家としての公務は、分家のアントワーヌが代行していた。そうでなければ父は、とっくの昔に侯爵家の領民に八つ裂きにされていただろう。
さすがに出席するつもりはなかったのだが、案内役を仰せつかった帝国からの賓客バンジャマン皇帝にパートナーになってくれと頼まれて断り切れなかったのだ。
幼いころから知っていて妹のように思っているエレノアも皇帝の腹心ユジェーヌと出席するようだ。
「姉上!」
突然部屋に飛び込んできた弟のジョルジュに、シュザンヌは目を丸くした。
「どうしたのですか、ジョルジュ」
「イレーヌが結婚したというのは本当ですか?」
「なにを今さら。一年前の卒業パーティのときに、あなたが彼女との婚約を破棄したのではないですか。一番愛し、心を捧げているのはクリミネラ様なのでしょう?」
近衛騎士団精鋭の彼は、いつもは宿舎に泊まり込んでいる。
少しでも自分を鍛えて王太子妃となるクリミネラの力になりたい、というのが彼の主張だ。生涯結婚するつもりはないらしい。
ほかにも弟がいるので良いものの、父も母もジョルジュの話になるといつも溜息をついている。
「そのつもり……でした。ですが今日、訓練の途中で不意にクリミネラ様への想いが冷めて、イレーヌへの想いが蘇ってきたのです」
「そんなこと言われても姉様は知りませんよ。あんなに夢中だったクリミネラ様がナタン王太子殿下の恋人となっても影から支えたいと言っていたのだから、イレーヌ様のことも影から支えて差し上げれば良いではないのですか?」
散々忠告したのにと、おっとりした性格のシュザンヌも口を尖らせる。
今でこそ落ち着いて話せるようになったが、一時はナタン王太子の名前を口に出すのも辛かった。のんきな性格だからといって、傷つかないわけではないのだ。
しかし、自分はまだマシだったとシュザンヌは思っている。
卒業パーティで、クリミネラを苛めたと言って集団でエレノアを責め立てる第二王子や弟達の姿は酷いものだった。学園に在学中もあんな風だったのだろうか。
招待客として列席していたシュザンヌはもちろん、ナタン王太子も弟の所業に怒りを露わにしていた。
そして弟である第二王子パイロンを止めるために足を踏み出したはずなのに、気がつくとナタン王太子がクリミネラに求婚していた。だれにも予測出来ない結末だった。
(みんな驚いて、エレノア様への根拠のない断罪が終わったのは良かったけれど……)
その場で棄てられた婚約者としては、どちらにしろ楽しい記憶ではない。
「イレーヌに対する想いとクリミネラへのそれは違うのです。クリミネラと話していると、彼女のことしか考えられなくなったのです」
「それが恋というものではないのですか?」
「そうではなくて、なんというか……惑わされたのです。あれは邪法に違いありません!」
「知りませんよ。私もイレーヌ様も、お父様もお母様もみんな、彼女には近寄るなと言っていたでしょう?」
クリミネラはアザール侯爵家の婿養子が作った庶子だ。
身分的には平民だし、ゴリ押しで学園に入学したので特待生のように優秀というわけでもない。その上婚約者のいる男性に自分からすり寄っていく娘だった。
どの家も子どもを近づけたいとは思わなかった。
「それとも、彼女に近寄ったのも邪法だったのですか?」
「うっ……いいえ、クリミネラに近づいたのは私の意思です」
周囲の言葉に素直に従うのが嫌な年ごろだったのだ。
婚約者のイレーヌ一筋の男と見られるのも悔しかったし、クリミネラにはどこか淫らなものを想像させる空気があった。
ジョルジュは火遊びを期待して、クリミネラに捕まったのだ。実際一度は肌を重ねている。
「明日の婚約式では警備を任されているのでしょう? 早く宿舎へ戻って準備をなさい」
「……はい。姉上……」
「なんですか?」
「イレーヌはもう私の婚約者ではないのですね。辺境伯の妻なのですね」
「……そうですよ」
シュザンヌは少しだけ弟を哀れに思ったが、浮気をする人間が一時的に盛り上がって唐突に冷めるという話は聞いていた。
これもそういうものなのだろうと深く考えることはなかった。
考えたとしても結論は変わらない。ジョルジュはイレーヌを取り戻せないのだ。
★ ★ ★ ★ ★
クリミネラは転生者だった。
前世の個人情報は思い出せないが、とりあえず男性を切らしたという記憶はなかった。
モテていて、尚且つ積極的にアプローチするタイプだったと認識している。特に愚鈍なブスから男を奪うのが得意だった。
婚約式の前夜、王太子ナタンはクリミネラの部屋に来なかった。
今夜は自室で眠るという。
可哀相にね、とクリミネラは思う。明晩、クリミネラは帝国の皇帝に略奪される。ナタンがクリミネラを味わえるのは今夜が最後なのだ。
『真珠の涙の少女』は、前世のクリミネラがプレイした唯一無二の乙女ゲームである。
略奪愛のゲームだと聞いたので興味を持ったのだ。
本来なら前世のクリミネラはゲームで恋を楽しむなんて無駄な時間を過ごすくらいなら、合コンか逆ナンに繰り出すタイプだった。『真珠の涙の少女』をプレイしたのは気まぐれだ。
現実で略奪愛を繰り返しているうちに疑問を持ったからではない。
どんなに好きだと求められて貢がれても、男達は最終的に愚鈍なブスのところへ戻る。
自分が男達を略奪して遊んでいるのではなく、本命持ちの男達が自分を利用して遊んでいるのではないか、だなんて疑問持つわけがない。そんなことあるわけがない。前世の自分は魅力的な女だった。だから男が寄って来たのだ。
(今世だって同じ)
『真珠の涙の少女』と同じセリフを言えば、高貴な男達がクリミネラの虜になる。
子爵だって公爵令息だって、異母姉の婚約者の第二王子だって!
王太子は手に入れた。次は皇帝だ。皇帝以上の男はこの世界にはいないようだから、彼で満足してあげようとクリミネラは思っている。前世では略奪するばかりでされることはなかったが、今世では王太子や皇帝に略奪されるのだと思うとクリミネラは笑いを堪えられなかった。
(私は魅力的な女なのよ。お義姉様とは違う)
異母姉のエレノアは、自分が捨てた第二王子にまた捨てられたらしい。
しかも今度はアザール侯爵家まで奪われたという。
どう考えても自分の圧勝だと、クリミネラは笑い続けた。
彼女はエレノア商会のことを知らない。
父親がなけなしのプライドで告げなかったのだ。正妻の父から受け継いだ遺産を食い潰した後、冷遇している長女の稼いだ金を恵んでもらって暮らしているなんて言えるわけがない。
アザール侯爵家としての公務は、分家のアントワーヌが代行していた。そうでなければ父は、とっくの昔に侯爵家の領民に八つ裂きにされていただろう。
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