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44・漆黒の豪竜は機嫌が悪い。
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漆黒の豪竜、ヒエムス魔帝国の第一皇子ユーニウスは機嫌が悪かった。
ゾンターク王国王宮の廊下を行く彼の周りには人が寄って来ない。
竜に変じる魔族を恐れているのもあるが、今の彼自身が怒気を放っているので近寄りがたいのだ。
元々、魔族が本気で暴れ出したら魔導者以外のヒト族には太刀打ちできない。
陽菜の故郷の言葉でいうところの『触らぬ神に祟りなし』で、彼らを刺激しないこと暴れ出したら逃げること、が周知されていた。
ヴァーゲの町を襲った大暴走を終息させた聖騎士団であっても竜に変じた魔族に対抗できるかどうかはわからない。ヒト族の国と魔族の国では、大暴走で襲ってくる魔獣の強さ自体が違うのだ。
ユーニウスにつけられている従者は魔帝国の役人でもあるため、祖国とゾンターク王国の交流や貿易についての人脈を作るので忙しい。
王宮の会議が休みでも、貴族や役人、他国からの賓客達は個人的に顔を合わせて言葉を交わしていた。
皇太子にこそ選ばれていないものの、ユーニウスはヒエムス魔帝国でも一、二を争う剛の者だ。護衛は必要ない。
「これはユーニウス殿下。我が主になにか御用でしょうか」
女王イヴォンヌの執務室の前で、黒い狐執事が優雅なお辞儀をユーニウスに見せる。
今日は白い狐執事のほうが秘書官を務めているらしい。
彼らは文官としても武官としても優れた能力を持っている。
「俺から逃げないんなら、だれでもいいんだ。おいお前、聖騎士団の宿舎の場所を教えろ」
「かしこまりました」
恭しく答えて、黒い狐執事は懐から取り出した紙にさらさらと地図を描く。
彼の口元は楽しげに上がり、大きな三角の耳とフサフサの尻尾が揺れていた。
「こちらでございます」
「すまぬ、感謝する」
ユーニウスは近くにあった窓の枠に足をかけた。
「ユーニウス殿下、竜に変じて行かれるおつもりですか?」
「ああ。俺に歩いて行けというのか? 馬が怯えて暴れるから魔族は馬車には乗れないぞ」
「確かにそうかもしれませんが……空に巨大な黒竜が現れたら、我が国の民はどんなに怯え恐れることでしょうねえ。一般のヒト族は、魔獣の竜と魔族の変じた竜の区別などつきませんから。大暴走の始まりと勘違いした者達によって暴動が起きるかもしれません」
ユーニウスと従者達がゾンターク王国に来たときは先触れを出し、王都の近くにある村までは竜の姿で飛来して、そこからは王国兵が引く人力車で運ばれた。
外国の要人なので、ゾンターク王国としても対応が難しいのである。
俺のやることに不満があるのかと眉を吊り上げるユーニウスに、黒い狐執事は笑顔で続ける。
「暴動で民が傷ついたり苦しんだりしたら、まれ人様はどんなにお心を痛められることでしょうねえ」
「……」
「たとえ聖騎士団の宿舎でルーカス様との一騎打ちにお勝ちになられたとしても、考えなしに民を苦しめるような方をまれ人様がお選びになるでしょうか」
ユーニウスは窓枠から足を下ろした。
「……どこから出ればいい?」
「ご案内いたします」
執務室の内部になにやら合図を送り、黒い狐執事がユーニウスを先導する。
ユーニウスはフサフサの尻尾を追って歩き出した。
せっかく陽菜の手作りプリンをご馳走してもらえたというのに、今はなにもかもが気に入らなかった。この狐獣人にわかったような顔をされることも、あのいけ好かないヒト族の聖騎士が陽菜にキスしたらしいことも、この世界に来た陽菜を見つけたのが自分でないこともすべてがだ。
最終的に決めるのは陽菜だとわかっているが、この狐獣人の言う通り、聖騎士と一騎打ちするのも良いかもしれないな、とユーニウスは思った。
世界間を移動するときにとんでもない力を得ているまれ人は、この世界の人間の強さなど気にしない。
しかし、聖騎士のあの整った顔を痛めつけてやれば、少しは気が晴れるかもしれない。
自分の拳を見つめて、ユーニウスは溜息をつく。
……やはり昨夜のダンスのときに、陽菜にキスしておけば良かった。
胸に渦巻く嫉妬は、なかなか消えそうになかった。
ゾンターク王国王宮の廊下を行く彼の周りには人が寄って来ない。
竜に変じる魔族を恐れているのもあるが、今の彼自身が怒気を放っているので近寄りがたいのだ。
元々、魔族が本気で暴れ出したら魔導者以外のヒト族には太刀打ちできない。
陽菜の故郷の言葉でいうところの『触らぬ神に祟りなし』で、彼らを刺激しないこと暴れ出したら逃げること、が周知されていた。
ヴァーゲの町を襲った大暴走を終息させた聖騎士団であっても竜に変じた魔族に対抗できるかどうかはわからない。ヒト族の国と魔族の国では、大暴走で襲ってくる魔獣の強さ自体が違うのだ。
ユーニウスにつけられている従者は魔帝国の役人でもあるため、祖国とゾンターク王国の交流や貿易についての人脈を作るので忙しい。
王宮の会議が休みでも、貴族や役人、他国からの賓客達は個人的に顔を合わせて言葉を交わしていた。
皇太子にこそ選ばれていないものの、ユーニウスはヒエムス魔帝国でも一、二を争う剛の者だ。護衛は必要ない。
「これはユーニウス殿下。我が主になにか御用でしょうか」
女王イヴォンヌの執務室の前で、黒い狐執事が優雅なお辞儀をユーニウスに見せる。
今日は白い狐執事のほうが秘書官を務めているらしい。
彼らは文官としても武官としても優れた能力を持っている。
「俺から逃げないんなら、だれでもいいんだ。おいお前、聖騎士団の宿舎の場所を教えろ」
「かしこまりました」
恭しく答えて、黒い狐執事は懐から取り出した紙にさらさらと地図を描く。
彼の口元は楽しげに上がり、大きな三角の耳とフサフサの尻尾が揺れていた。
「こちらでございます」
「すまぬ、感謝する」
ユーニウスは近くにあった窓の枠に足をかけた。
「ユーニウス殿下、竜に変じて行かれるおつもりですか?」
「ああ。俺に歩いて行けというのか? 馬が怯えて暴れるから魔族は馬車には乗れないぞ」
「確かにそうかもしれませんが……空に巨大な黒竜が現れたら、我が国の民はどんなに怯え恐れることでしょうねえ。一般のヒト族は、魔獣の竜と魔族の変じた竜の区別などつきませんから。大暴走の始まりと勘違いした者達によって暴動が起きるかもしれません」
ユーニウスと従者達がゾンターク王国に来たときは先触れを出し、王都の近くにある村までは竜の姿で飛来して、そこからは王国兵が引く人力車で運ばれた。
外国の要人なので、ゾンターク王国としても対応が難しいのである。
俺のやることに不満があるのかと眉を吊り上げるユーニウスに、黒い狐執事は笑顔で続ける。
「暴動で民が傷ついたり苦しんだりしたら、まれ人様はどんなにお心を痛められることでしょうねえ」
「……」
「たとえ聖騎士団の宿舎でルーカス様との一騎打ちにお勝ちになられたとしても、考えなしに民を苦しめるような方をまれ人様がお選びになるでしょうか」
ユーニウスは窓枠から足を下ろした。
「……どこから出ればいい?」
「ご案内いたします」
執務室の内部になにやら合図を送り、黒い狐執事がユーニウスを先導する。
ユーニウスはフサフサの尻尾を追って歩き出した。
せっかく陽菜の手作りプリンをご馳走してもらえたというのに、今はなにもかもが気に入らなかった。この狐獣人にわかったような顔をされることも、あのいけ好かないヒト族の聖騎士が陽菜にキスしたらしいことも、この世界に来た陽菜を見つけたのが自分でないこともすべてがだ。
最終的に決めるのは陽菜だとわかっているが、この狐獣人の言う通り、聖騎士と一騎打ちするのも良いかもしれないな、とユーニウスは思った。
世界間を移動するときにとんでもない力を得ているまれ人は、この世界の人間の強さなど気にしない。
しかし、聖騎士のあの整った顔を痛めつけてやれば、少しは気が晴れるかもしれない。
自分の拳を見つめて、ユーニウスは溜息をつく。
……やはり昨夜のダンスのときに、陽菜にキスしておけば良かった。
胸に渦巻く嫉妬は、なかなか消えそうになかった。
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