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第五話 神涙獣
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ペルブランディ様の正体と滅亡の日教団については教えてもらいましたが、私が王太子殿下をお守りしていたという話については聞いていません。
馬車の心地良い振動と母の体温、父の優しい声に包まれて、話の途中で眠ってしまったからです。
気がつくと伯爵領に着いていたので、夕食を摂って寝室に向かいました。実は処刑される未来の悪夢を見てから、眠るのが怖くてしばらく睡眠不足だったのです。婚約解消して安心してからは、その反動か眠くて仕方がありません。
どうして王命で婚約することになったのか、私が殿下をお守りしていたというのはどういうことなのか、聞くのは明日になってからでも遅くはないでしょう。
伯爵領の屋敷でベッドに飛び込み、侍女がカーテンを閉めているのを眺めます。
カーテンに隠される前に見えた窓の外の月は、笑う猫の目のようでした。悪夢の最後に見た夕焼け空の猫を思い出しながら、私は眠りに就きました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
到着した翌日、目覚めるともう父母は屋敷に居ませんでした。
有能な代官に任せてはいましたが、久しぶりに伯爵領へ帰ると仕事が満載なようです。領地を見回って領民と触れ合ったり各地の実力者と今後について話をしに行ったりしていたのです。
屋敷内なら自由にしていいと許可を得ていたので、朝食後に私は庭に出ました。
今日は風が強いようです。
地面の近くはそうでもありませんが、空では雲が激しく吹き流されています。
悪夢で見たような猫の姿をした雲はありませんでした。
花の香りを楽しみながら、緑の低木に囲まれた遊歩道を歩きます。
侍女は少し離れたところから見守ってくれています。
小さな子どもに戻ったような気分です。でも父母に抱き着いて泣きじゃくったり、馬車の中で寝ていたのに夕食を摂ってもすぐに寝ていたりしていたのですから、今の私は子どもと同じようなものかもしれませんね。あの悪夢で一度死んで蘇ったのだとしたら、生まれたばかりの赤ちゃんのようなものです。
「……泣かないで、赤ちゃん。お星様が見てるお月様が見てる、お日様もあなたを見てる。優しい神様の涙が、あなたの揺り篭揺らしてくれる……」
自分が赤ちゃんのようだと感じたことに触発されて、この地方に伝わる子守唄を思い出して口遊みます。
これは、天界の神様が人の世の苦しみや悲しみを見て流した涙から変じる神涙獣様の歌です。
伯爵領の神涙獣様は泣きじゃくる赤ちゃんの揺り篭を揺らしてくれる優しい存在ですが、ほかの地方では違うそうです。人間があまりに酷いおこないを繰り返したり神涙獣様の愛し子を傷つけたりしたときは、怒り狂ってすべてを破壊してしまうというのです。
「……神様の涙は長い長い尻尾で、ゆらゆら揺り篭揺らしてくれる。お月様が微笑んだなら……」
そこまで歌って昨夜の月を思い出したとき、低木の間からしなやかな影が飛び出しました。
長い長い尻尾を持つそれは、猫に似ていますが猫ではありません。
影です。神様の涙は条件を満たすまでは実体を持たずに影や雲を纏うのです。神涙獣様は、音の無い声で私に言いました。
『久しぶりだね、アタシの愛し子。昨夜は揺り篭を揺らしてやれなかったけど、よく眠れたかい?』
長い長い尻尾の先で低木の影をかき混ぜながら、神涙獣様はするりと近づいてきて私に体を擦り付けてきました。
猫ではありませんが、猫によく似ています。
影の中に浮かんだ涙の雫が太陽の光を反射して、猫の瞳のように煌めきました。
馬車の心地良い振動と母の体温、父の優しい声に包まれて、話の途中で眠ってしまったからです。
気がつくと伯爵領に着いていたので、夕食を摂って寝室に向かいました。実は処刑される未来の悪夢を見てから、眠るのが怖くてしばらく睡眠不足だったのです。婚約解消して安心してからは、その反動か眠くて仕方がありません。
どうして王命で婚約することになったのか、私が殿下をお守りしていたというのはどういうことなのか、聞くのは明日になってからでも遅くはないでしょう。
伯爵領の屋敷でベッドに飛び込み、侍女がカーテンを閉めているのを眺めます。
カーテンに隠される前に見えた窓の外の月は、笑う猫の目のようでした。悪夢の最後に見た夕焼け空の猫を思い出しながら、私は眠りに就きました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
到着した翌日、目覚めるともう父母は屋敷に居ませんでした。
有能な代官に任せてはいましたが、久しぶりに伯爵領へ帰ると仕事が満載なようです。領地を見回って領民と触れ合ったり各地の実力者と今後について話をしに行ったりしていたのです。
屋敷内なら自由にしていいと許可を得ていたので、朝食後に私は庭に出ました。
今日は風が強いようです。
地面の近くはそうでもありませんが、空では雲が激しく吹き流されています。
悪夢で見たような猫の姿をした雲はありませんでした。
花の香りを楽しみながら、緑の低木に囲まれた遊歩道を歩きます。
侍女は少し離れたところから見守ってくれています。
小さな子どもに戻ったような気分です。でも父母に抱き着いて泣きじゃくったり、馬車の中で寝ていたのに夕食を摂ってもすぐに寝ていたりしていたのですから、今の私は子どもと同じようなものかもしれませんね。あの悪夢で一度死んで蘇ったのだとしたら、生まれたばかりの赤ちゃんのようなものです。
「……泣かないで、赤ちゃん。お星様が見てるお月様が見てる、お日様もあなたを見てる。優しい神様の涙が、あなたの揺り篭揺らしてくれる……」
自分が赤ちゃんのようだと感じたことに触発されて、この地方に伝わる子守唄を思い出して口遊みます。
これは、天界の神様が人の世の苦しみや悲しみを見て流した涙から変じる神涙獣様の歌です。
伯爵領の神涙獣様は泣きじゃくる赤ちゃんの揺り篭を揺らしてくれる優しい存在ですが、ほかの地方では違うそうです。人間があまりに酷いおこないを繰り返したり神涙獣様の愛し子を傷つけたりしたときは、怒り狂ってすべてを破壊してしまうというのです。
「……神様の涙は長い長い尻尾で、ゆらゆら揺り篭揺らしてくれる。お月様が微笑んだなら……」
そこまで歌って昨夜の月を思い出したとき、低木の間からしなやかな影が飛び出しました。
長い長い尻尾を持つそれは、猫に似ていますが猫ではありません。
影です。神様の涙は条件を満たすまでは実体を持たずに影や雲を纏うのです。神涙獣様は、音の無い声で私に言いました。
『久しぶりだね、アタシの愛し子。昨夜は揺り篭を揺らしてやれなかったけど、よく眠れたかい?』
長い長い尻尾の先で低木の影をかき混ぜながら、神涙獣様はするりと近づいてきて私に体を擦り付けてきました。
猫ではありませんが、猫によく似ています。
影の中に浮かんだ涙の雫が太陽の光を反射して、猫の瞳のように煌めきました。
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