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第二話 一度目のバレット・前編
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デイジーがシルヴァ伯爵邸を出て一ヶ月が過ぎた。
せめて無事バスコンセロス子爵家に着いたという連絡が欲しいのに、いつまで経っても届かない。俺がしたことを考えれば彼女が怒るのは無理ないのだが、それでも帰る途中でなにかあったのではないかと心配になる。
やはり伯爵家の馬車で送らせれば良かった。
新しい妻クルエルと使用人達の仲は良好ではない。
配下の騎士達も俺とクルエルの再婚に難色を示している。おかげでまだ正式な夫婦にはなっていなかった。
みんな、くだらない噂を信じているのかもしれない。確かに亡くなったブルーノは赤毛ではなかったし、あの子はクルエルにも似ていない。でもそれはよくあることだ。何代か前の先祖に似たのだろう。亡くなった跡取りの妻を幼子とともに追い出したヴィエイラ侯爵家がまともでないのだ。
クルエルが俺に似た黒髪の子を産めば、みんな彼女を認めてくれるはずだ。
それまで彼女に辛い思いをさせるのは申し訳ないが、侯爵家に嫁いでいたクルエルなのだから貴族の家がめんどくさいことも理解してくれているに違いない。
そんな風に思いながら過ごしていたら、デイジーの兄ベントンが連絡もなしに現れた。デイジーのことで怒っているのだろうな。
離縁状に署名をもらっただけで、まだ慰謝料の額も決めていない。これからのデイジーがひとりでも幸せに暮らせるよう、出来るだけ金額を弾もう。
クルエルのように愛することは出来なかったけれど、親友の妹だ。俺も妹のように大切に思っていた。
開口一番、ベントンは言った。
「大暴走だよ、バレット!」
「なんだと?」
「領境の森にワイバーンが来ていたんだ。目撃情報はなかったが、明らかにワイバーンに食われたと思しき女性の死体が見つかっている。一ヶ月ほど前にやられたらしい。すぐに体勢を整えよう!」
「わかった!」
「ところで……」
ベントンが屋敷を見回す。
「デイジーはどうしてる? まだ落ち込んでいるのか、最近は全然手紙を寄越さないんだ。バレット、王都では良い医師や薬は見つからなかったのかい?」
俺が王都へ行ったのは、デイジーのために良い医師と薬を見つけることが目的だった。
デイジーを診察した伯爵領の医師は、もう子どもは望めないかもしれない、と言うと同時に、王都でなら彼女を癒す優れた医師や薬が見つかるかもしれないと言った。体よりも心の問題が大きいかもしれない、とも。
しかし俺は王都でフラカッソ商会へ行ってクルエルと会い、医師と薬のことを忘れ去った。幼子とともに婚家を追い出されて不安がっている彼女を慰めずにはいられなかったのだ。
「……」
「バレット?」
「……デイジーは、バスコンセロス子爵家へ戻っていないのか?」
「おい、どういうことだ!」
ベントンの顔色が変わる。
俺は両手で顔を覆った。幼いころからの親友である彼に合わせる顔がない。
父を亡くして早くにシルヴァ伯爵家を継いだ俺がバスコンセロス子爵家を訪ねることは少なかったが、大暴走の前線で、魔術学園の校内で、ベントンと亡くなったブルーノとはいつも一緒だった。
俺は消え入りそうな声で事情を話した。
ベントンの顔が青褪める。
「……ワイバーンに食われた女性の死体はデイジーと同じ年ごろだった。もう骨しか残っていなかったが、魔力反応を確かめればバスコンセロス子爵家の人間かどうかわかる。違っていたら……この国中の娼館を調べるしかないけど」
「ベントン、そんな!」
「夫に捨てられて傷ついた世間知らずの貴族令嬢を騙すなんて、赤子の手を捻るようなものだよ!」
「彼女が乗合馬車で戻ると言ったんだ! 離縁状だって彼女のほうから署名を申し出てくれた!」
「……だから、傷ついた妻を放って亡き親友の妻と乳繰り合っていたことを許してくれと言うのかい?」
「……すまない」
ベントンは俺に背を向けた。
「バレット。大暴走でバスコンセロス子爵家とシルヴァ伯爵家が協力するのは、これが最後だ。父上も否とは言わないよ。むしろ今回あの売女を家に連れ込んだ伯爵家に、ヴィエイラ侯爵家が力を貸してくれるかどうかもわからないと思うよ」
家格こそ低いが、優秀な攻撃魔術師を数多く輩出することで知られているバスコンセロス子爵家と共闘出来なければ、遅かれ早かれシルヴァ伯爵家は滅ぶだろう。
俺は体を強化する魔術を使えるが、一度に一体の魔獣にしか対峙できない。
一対一なら大暴走の元凶ドラゴン相手でも戦えるけれど、ベントン達攻撃魔術師が雑魚を抑えてくれていなければ、背後を取られてお終いだ。おまけに術後の反動が酷く、大暴走の後は何日も寝込むこととなった。そんなとき看病しながら俺の回復力を高めてくれていたのが結婚後のデイジーだった。
「俺は……なんてことを……」
デイジーとの結婚は俺だけの問題ではなかった。
シルヴァ伯爵家、伯爵領すべてに幸をもたらす良縁だったのだ。
ベントンの背中を見送った後、俺は大暴走対応の準備を始めた。今回はバスコンセロス子爵家と共闘出来る。だが、次は? そして今回、ヴィエイラ侯爵家の協力は望めるのだろうか。
せめて無事バスコンセロス子爵家に着いたという連絡が欲しいのに、いつまで経っても届かない。俺がしたことを考えれば彼女が怒るのは無理ないのだが、それでも帰る途中でなにかあったのではないかと心配になる。
やはり伯爵家の馬車で送らせれば良かった。
新しい妻クルエルと使用人達の仲は良好ではない。
配下の騎士達も俺とクルエルの再婚に難色を示している。おかげでまだ正式な夫婦にはなっていなかった。
みんな、くだらない噂を信じているのかもしれない。確かに亡くなったブルーノは赤毛ではなかったし、あの子はクルエルにも似ていない。でもそれはよくあることだ。何代か前の先祖に似たのだろう。亡くなった跡取りの妻を幼子とともに追い出したヴィエイラ侯爵家がまともでないのだ。
クルエルが俺に似た黒髪の子を産めば、みんな彼女を認めてくれるはずだ。
それまで彼女に辛い思いをさせるのは申し訳ないが、侯爵家に嫁いでいたクルエルなのだから貴族の家がめんどくさいことも理解してくれているに違いない。
そんな風に思いながら過ごしていたら、デイジーの兄ベントンが連絡もなしに現れた。デイジーのことで怒っているのだろうな。
離縁状に署名をもらっただけで、まだ慰謝料の額も決めていない。これからのデイジーがひとりでも幸せに暮らせるよう、出来るだけ金額を弾もう。
クルエルのように愛することは出来なかったけれど、親友の妹だ。俺も妹のように大切に思っていた。
開口一番、ベントンは言った。
「大暴走だよ、バレット!」
「なんだと?」
「領境の森にワイバーンが来ていたんだ。目撃情報はなかったが、明らかにワイバーンに食われたと思しき女性の死体が見つかっている。一ヶ月ほど前にやられたらしい。すぐに体勢を整えよう!」
「わかった!」
「ところで……」
ベントンが屋敷を見回す。
「デイジーはどうしてる? まだ落ち込んでいるのか、最近は全然手紙を寄越さないんだ。バレット、王都では良い医師や薬は見つからなかったのかい?」
俺が王都へ行ったのは、デイジーのために良い医師と薬を見つけることが目的だった。
デイジーを診察した伯爵領の医師は、もう子どもは望めないかもしれない、と言うと同時に、王都でなら彼女を癒す優れた医師や薬が見つかるかもしれないと言った。体よりも心の問題が大きいかもしれない、とも。
しかし俺は王都でフラカッソ商会へ行ってクルエルと会い、医師と薬のことを忘れ去った。幼子とともに婚家を追い出されて不安がっている彼女を慰めずにはいられなかったのだ。
「……」
「バレット?」
「……デイジーは、バスコンセロス子爵家へ戻っていないのか?」
「おい、どういうことだ!」
ベントンの顔色が変わる。
俺は両手で顔を覆った。幼いころからの親友である彼に合わせる顔がない。
父を亡くして早くにシルヴァ伯爵家を継いだ俺がバスコンセロス子爵家を訪ねることは少なかったが、大暴走の前線で、魔術学園の校内で、ベントンと亡くなったブルーノとはいつも一緒だった。
俺は消え入りそうな声で事情を話した。
ベントンの顔が青褪める。
「……ワイバーンに食われた女性の死体はデイジーと同じ年ごろだった。もう骨しか残っていなかったが、魔力反応を確かめればバスコンセロス子爵家の人間かどうかわかる。違っていたら……この国中の娼館を調べるしかないけど」
「ベントン、そんな!」
「夫に捨てられて傷ついた世間知らずの貴族令嬢を騙すなんて、赤子の手を捻るようなものだよ!」
「彼女が乗合馬車で戻ると言ったんだ! 離縁状だって彼女のほうから署名を申し出てくれた!」
「……だから、傷ついた妻を放って亡き親友の妻と乳繰り合っていたことを許してくれと言うのかい?」
「……すまない」
ベントンは俺に背を向けた。
「バレット。大暴走でバスコンセロス子爵家とシルヴァ伯爵家が協力するのは、これが最後だ。父上も否とは言わないよ。むしろ今回あの売女を家に連れ込んだ伯爵家に、ヴィエイラ侯爵家が力を貸してくれるかどうかもわからないと思うよ」
家格こそ低いが、優秀な攻撃魔術師を数多く輩出することで知られているバスコンセロス子爵家と共闘出来なければ、遅かれ早かれシルヴァ伯爵家は滅ぶだろう。
俺は体を強化する魔術を使えるが、一度に一体の魔獣にしか対峙できない。
一対一なら大暴走の元凶ドラゴン相手でも戦えるけれど、ベントン達攻撃魔術師が雑魚を抑えてくれていなければ、背後を取られてお終いだ。おまけに術後の反動が酷く、大暴走の後は何日も寝込むこととなった。そんなとき看病しながら俺の回復力を高めてくれていたのが結婚後のデイジーだった。
「俺は……なんてことを……」
デイジーとの結婚は俺だけの問題ではなかった。
シルヴァ伯爵家、伯爵領すべてに幸をもたらす良縁だったのだ。
ベントンの背中を見送った後、俺は大暴走対応の準備を始めた。今回はバスコンセロス子爵家と共闘出来る。だが、次は? そして今回、ヴィエイラ侯爵家の協力は望めるのだろうか。
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