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第三話 盛りのついた雄犬
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人間というのは不思議なもので、熱くなっている相手と一緒にいると逆に冷めてしまうことがある。
アルトゥールとバルバラの関係がそれだった。
バルバラは正式な婚約前の顔合わせで出会ったときからアルトゥールを慕っていた。ひと目惚れだったのだと、本人が何度もアルトゥールに告げていた。
アルトゥールはバルバラを嫌いではなかった。
愛というほど強い気持ちは持っていなかっただけだ。
バルバラに熱い想いを向けられ、求められれば求められるほどアルトゥールは冷めていった。
仲は悪くなかった。王太子とその婚約者として、互いに認め合い高め合っていた。
ときどきアルトゥールは思ったものだ。
バルバラが婚約者ではなく同性の学友だったら良かったのに、と。あるいは政略結婚だと割り切って、もっと合理的に関係を築ける女性だったら良かったのに、と。
そんなことを思っていたアルトゥールも、やがてバルバラが自分に向ける制御出来ない恋心と同じ気持ちを味わうこととなる。
ふたりが婚約を結んで二年後、バルバラの母親が亡くなってメーラー侯爵が家に恋人親娘を連れ込んだ。
婚約者と会いに王都の侯爵邸を訪れたアルトゥールは、バルバラの異母妹に当たるゲファレナを見た。
か弱く儚げで、だれかに支えられていなければ生きていけなさそうな彼女の姿はバルバラとはまるで違っていて、アルトゥールの心をどうしようもなく騒がせた。
そんな婚約者の変化に、アルトゥールを愛するバルバラが気づかないはずがない。
父親を奪われた憎しみもあったのか、バルバラは異母妹ゲファレナに辛く当たるようになっていった。主に罵声を浴びせてゲファレナを傷つけた。
バルバラを咎めてゲファレナを慰めていたアルトゥールは、ある日ゲファレナから愛を告げられた。彼女の言葉を聞いて、アルトゥール自身も自分の心を騒がせていたものの正体に気づいた。
学園に入学して、侯爵家の庶子ということで王宮へは招けないゲファレナと自由に会えるようになって、アルトゥールの恋心はさらに燃え上がった。
窘める学友ダーフィトの言葉も無視し、その代に所属している王族が会長を務めることになっている生徒会の部屋でゲファレナと密会するようになった。
生徒会役員は会長であるアルトゥールが任命出来た。王宮での妃教育を理由にバルバラを弾き、お目付け役として役員にするよう父王に命じられたダーフィトがほかの用事を済ませて生徒会室へ来るまでの短い時間でゲファレナと逢瀬を重ねた。
(あの日は……)
王宮の自室でアルトゥールは思い返す。
あの日、アルトゥールは気持ちが抑えきれなくなってゲファレナを抱き締めて口付けをした。いつもは会話を楽しむだけだったのに。
たまたまそんな日に限って、バルバラが生徒会室へやって来たのだ。不貞の現場を目撃したバルバラは、後から来たダーフィトの制止も聞かずに走り去ろうとして階段から落ちたのだった。
(私はもうバルバラを愛していない。いや、最初から愛していなかったのだ。彼女との婚約を破棄してゲファレナと結ばれたいが、彼女はもう……)
門外不出の王家の秘まで学んでいると母である王妃に聞いていた。
今アルトゥールがバルバラを捨てたなら、彼女は口封じのために殺されてしまうだろう。
それはあまりにも後味が悪い。
それに、ゲファレナを王太子妃に出来るとは思えなかった。
頭が悪いわけではないが、彼女はあまりにもか弱く儚い少女なのだ。
バルバラを正妃にしてゲファレナを側妃にするのが一番なのかもしれないけれど、そんなことをしたらゲファレナを傷つけてしまう。
「……殿下」
自室の扉を叩く音がして、王妃が呼んでいると侍従が伝えに来た。
今日、意識が戻ったバルバラを王宮に呼んだという話は聞いている。
アルトゥールは憂鬱な気持ちで自室を出た。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
中庭の花園にアルトゥールが到着すると、案の定バルバラの姿があった。
(バルバラ……?)
だが、どこかおかしい。
いつもの彼女なら真っ直ぐにアルトゥールを見つめてくる。
ゲファレナのことで嫉妬や憎悪があっても、瞳に宿る愛情を隠しきれていなかった。
しかし今日のバルバラは違った。
まるでアルトゥールがだれかわからないかのように、怪訝そうに首を傾げている。
まさか……とアルトゥールも首を傾げる。まさか噂されていたように、バルバラの心が六歳のころに戻っているなんて、六歳のころに戻っているから十八歳になったアルトゥールがわからないなんてことはないだろう。
「バルバラ。その……数日ぶりだね」
アルトゥールのほうから声をかけると、彼女の瞳が丸くなった。
階段から落ちた後意識不明だったのだから、混乱していても仕方がない。
声をかけたことで自分に気が付いたのだろうとアルトゥールが安堵した瞬間、バルバラの顔が嫌悪に歪んだ。その唇から信じられないような言葉が飛び出してくる。
「盛りのついた雄犬っ!」
王妃が驚愕に目を見開いた。
「バ、バルバラ。貴女はなにを言っているの?」
「ごめんなさい、王妃様。よく見たら違いました。前に私の誕生パーティで見た、妻でも婚約者でもない女の人を抱き締めて口付けをしていた男の人かと思ったのです」
「……バルバラ。彼はアルトゥールよ」
「え」
しばらくアルトゥールを見つめてから、バルバラは瞳を潤ませて俯いた。
その唇は声には出さず、違う、アルトゥール王太子殿下じゃない、と呟いている。
彼女の瞳には自分がどんな風に映ったのか。アルトゥールは自分の足元の地面が崩れていくような感覚を味わっていた。
★ ★ ★ ★ ★
バルバラが王宮を去った後、王妃は夫である国王に彼女は確かに六歳に戻っていると断言し、アルトゥールとの婚約を白紙撤回させることを認めさせた。
少し四角四面なところのある国王は門外不出の王家の秘を学んでしまったバルバラを解放することに難色を示したが、王妃はいつかバルバラの記憶が戻って言い触らされてもかまわないように、黴の生えた王家の秘など改革して過去の異物にしてしまえば良いと説得したのだった。
アルトゥールとバルバラの関係がそれだった。
バルバラは正式な婚約前の顔合わせで出会ったときからアルトゥールを慕っていた。ひと目惚れだったのだと、本人が何度もアルトゥールに告げていた。
アルトゥールはバルバラを嫌いではなかった。
愛というほど強い気持ちは持っていなかっただけだ。
バルバラに熱い想いを向けられ、求められれば求められるほどアルトゥールは冷めていった。
仲は悪くなかった。王太子とその婚約者として、互いに認め合い高め合っていた。
ときどきアルトゥールは思ったものだ。
バルバラが婚約者ではなく同性の学友だったら良かったのに、と。あるいは政略結婚だと割り切って、もっと合理的に関係を築ける女性だったら良かったのに、と。
そんなことを思っていたアルトゥールも、やがてバルバラが自分に向ける制御出来ない恋心と同じ気持ちを味わうこととなる。
ふたりが婚約を結んで二年後、バルバラの母親が亡くなってメーラー侯爵が家に恋人親娘を連れ込んだ。
婚約者と会いに王都の侯爵邸を訪れたアルトゥールは、バルバラの異母妹に当たるゲファレナを見た。
か弱く儚げで、だれかに支えられていなければ生きていけなさそうな彼女の姿はバルバラとはまるで違っていて、アルトゥールの心をどうしようもなく騒がせた。
そんな婚約者の変化に、アルトゥールを愛するバルバラが気づかないはずがない。
父親を奪われた憎しみもあったのか、バルバラは異母妹ゲファレナに辛く当たるようになっていった。主に罵声を浴びせてゲファレナを傷つけた。
バルバラを咎めてゲファレナを慰めていたアルトゥールは、ある日ゲファレナから愛を告げられた。彼女の言葉を聞いて、アルトゥール自身も自分の心を騒がせていたものの正体に気づいた。
学園に入学して、侯爵家の庶子ということで王宮へは招けないゲファレナと自由に会えるようになって、アルトゥールの恋心はさらに燃え上がった。
窘める学友ダーフィトの言葉も無視し、その代に所属している王族が会長を務めることになっている生徒会の部屋でゲファレナと密会するようになった。
生徒会役員は会長であるアルトゥールが任命出来た。王宮での妃教育を理由にバルバラを弾き、お目付け役として役員にするよう父王に命じられたダーフィトがほかの用事を済ませて生徒会室へ来るまでの短い時間でゲファレナと逢瀬を重ねた。
(あの日は……)
王宮の自室でアルトゥールは思い返す。
あの日、アルトゥールは気持ちが抑えきれなくなってゲファレナを抱き締めて口付けをした。いつもは会話を楽しむだけだったのに。
たまたまそんな日に限って、バルバラが生徒会室へやって来たのだ。不貞の現場を目撃したバルバラは、後から来たダーフィトの制止も聞かずに走り去ろうとして階段から落ちたのだった。
(私はもうバルバラを愛していない。いや、最初から愛していなかったのだ。彼女との婚約を破棄してゲファレナと結ばれたいが、彼女はもう……)
門外不出の王家の秘まで学んでいると母である王妃に聞いていた。
今アルトゥールがバルバラを捨てたなら、彼女は口封じのために殺されてしまうだろう。
それはあまりにも後味が悪い。
それに、ゲファレナを王太子妃に出来るとは思えなかった。
頭が悪いわけではないが、彼女はあまりにもか弱く儚い少女なのだ。
バルバラを正妃にしてゲファレナを側妃にするのが一番なのかもしれないけれど、そんなことをしたらゲファレナを傷つけてしまう。
「……殿下」
自室の扉を叩く音がして、王妃が呼んでいると侍従が伝えに来た。
今日、意識が戻ったバルバラを王宮に呼んだという話は聞いている。
アルトゥールは憂鬱な気持ちで自室を出た。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
中庭の花園にアルトゥールが到着すると、案の定バルバラの姿があった。
(バルバラ……?)
だが、どこかおかしい。
いつもの彼女なら真っ直ぐにアルトゥールを見つめてくる。
ゲファレナのことで嫉妬や憎悪があっても、瞳に宿る愛情を隠しきれていなかった。
しかし今日のバルバラは違った。
まるでアルトゥールがだれかわからないかのように、怪訝そうに首を傾げている。
まさか……とアルトゥールも首を傾げる。まさか噂されていたように、バルバラの心が六歳のころに戻っているなんて、六歳のころに戻っているから十八歳になったアルトゥールがわからないなんてことはないだろう。
「バルバラ。その……数日ぶりだね」
アルトゥールのほうから声をかけると、彼女の瞳が丸くなった。
階段から落ちた後意識不明だったのだから、混乱していても仕方がない。
声をかけたことで自分に気が付いたのだろうとアルトゥールが安堵した瞬間、バルバラの顔が嫌悪に歪んだ。その唇から信じられないような言葉が飛び出してくる。
「盛りのついた雄犬っ!」
王妃が驚愕に目を見開いた。
「バ、バルバラ。貴女はなにを言っているの?」
「ごめんなさい、王妃様。よく見たら違いました。前に私の誕生パーティで見た、妻でも婚約者でもない女の人を抱き締めて口付けをしていた男の人かと思ったのです」
「……バルバラ。彼はアルトゥールよ」
「え」
しばらくアルトゥールを見つめてから、バルバラは瞳を潤ませて俯いた。
その唇は声には出さず、違う、アルトゥール王太子殿下じゃない、と呟いている。
彼女の瞳には自分がどんな風に映ったのか。アルトゥールは自分の足元の地面が崩れていくような感覚を味わっていた。
★ ★ ★ ★ ★
バルバラが王宮を去った後、王妃は夫である国王に彼女は確かに六歳に戻っていると断言し、アルトゥールとの婚約を白紙撤回させることを認めさせた。
少し四角四面なところのある国王は門外不出の王家の秘を学んでしまったバルバラを解放することに難色を示したが、王妃はいつかバルバラの記憶が戻って言い触らされてもかまわないように、黴の生えた王家の秘など改革して過去の異物にしてしまえば良いと説得したのだった。
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