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第二話 王妃の茶会
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目覚めてから数日後、主治医からもう体は大丈夫とのお墨付きをもらったバルバラは、王妃に招かれて王宮へ来ていた。
見事なカーテシーで挨拶をしたバルバラに、王妃は冷たい視線を向ける。
「記憶を失って六歳のころに戻ったにしては、ちゃんとカーテシーが出来るのですね」
今日の名目はお茶会だ。
中庭の花園でテーブルの上に並べられた国一番の品質を誇るお菓子の山にちらりと目を向けた後で、バルバラは満面に笑みを浮かべる。
「はい! ヘレーネが教えてくれました。体が覚えている、のです! ダンスも踊れます!……だから、アルトゥール王太子殿下の婚約者を辞めさせないでください。お勉強は思い出せないけど、これから一所懸命に頑張ります」
言葉の途中で真剣な表情になり、真っすぐに自分を見つめてそんなことを言い出したバルバラに、王妃は顔をしかめた。
王妃はバルバラを好いていた。男ばかり三人産んだ彼女は、息子の婚約者達を実の娘と思って厳しく躾けると同時に溺愛していた。
幼くして母を亡くしたバルバラへの憐れみもあって、実の息子である王太子アルトゥールよりも侯爵令嬢を可愛がっていると言われていたほどだ。
先ほどの王妃が冷たい視線をバルバラに向けていたのは、彼女の記憶喪失を演技だと疑っていたからだった。
王妃の愛情に応えるようにバルバラは妃教育で優秀な結果を出していた。
学園在学中に収めるべき知識はとうに学び終わり、王太子との結婚後に学ぶべき領域にまで踏み込んでいた。門外不出の王家の秘に当たる領域だ。だから、死ぬか記憶を失うかでもしない限り、バルバラは王太子の婚約者を辞することが出来ない。
(あのことでアルトゥールに見切りをつけて、婚約を解消するために六歳に戻った振りをしているのではなかったの? ああ、でもそうだったわ。バルバラは婚約を結んだばかりのときから、アルトゥールのことを慕っていた。だけど本当に記憶を失って六歳に戻っているのだとしたら……)
王妃が顔をしかめたのは考え事を始めてしまったからだったが、バルバラはそれを否定として受け取ったようだ。
幼い子どものようにドレスの裾を摘まみ、俯いて涙を堪えている。
しばらくして彼女は、震える声で王妃に尋ねた。
「心が六歳だと、十八歳のアルトゥール王太子殿下の婚約者ではいられませんか?」
「……」
結局は政略結婚だ。
第一王子のアルトゥールは確かに優秀な子供だったけれど、わずか六歳で王太子に選ばれたのは、婚約者が同い年のバルバラに内定してからのことだ。
メーラー侯爵家自体の力はともかくとして、バルバラの母の実家であるフォーゲル辺境伯家はこの王国で王家に並ぶ権勢を誇っていた。魔の森に面した国境沿いの領地で外敵と魔獣を打ち倒して王国を守り、魔獣から取れる魔石によって富をもたらしてくれる貴族家なのである。
辺境伯家の王家への忠誠を疑うものなど王国にはいない。
しかし、だからこそ王家はもっと深いつながりを求めていた。
バルバラの母と現王の年齢も釣り合っているのだが、本来なら彼女は隣の帝国へ嫁ぐ予定だった。婚約者の皇子が流行り病で亡くなってしまったため、メーラー侯爵家へ嫁ぐことになったのである。
この結婚は王命で、王都に辺境伯家の血筋を留め、困窮していた侯爵家を辺境伯家の支援によって立て直すという、ふたつの目的を叶えるものであった。
先代メーラー侯爵は数十年ぶりに王都を襲撃した飛行魔獣から先王を庇って命を落とした王家の恩人で、彼の死後の侯爵家が年若い当主を傀儡にした佞臣達の暴虐によって落ちぶれたのは王家の失態だったのだから。
当代メーラー侯爵が恩知らずの愚か者でなければ、王家の目論見は上手く行っていたことだろう。
彼は自家の下働きだった恋人を結婚式直前に家から出したものの、辺境伯令嬢が身籠ると役目は果たしたとばかりによりを戻した。
正妻の生前は自宅近くに用意した家で囲い、正妻の死後は自宅に引き入れた。
王家や辺境伯家の手前再婚まではしていないが、恋人の娘であるゲファレナ、バルバラの異母妹を溺愛し、無理を言ってこの国の貴族子女が通う学園に通わせている。
辺境伯領で王都を襲った飛行魔獣に触発された魔獣の特大暴走が発生し、解決後も後始末に手間取って王都へ嫁がせた娘のことにまで気を配れなかったことが、彼にとっては都合の良い結果をもたらした。
そうでなければ身内への情に厚い辺境伯が娘と孫を彼から奪い返し、武力と経済の両刀でメーラー侯爵家を叩き潰していたに違いない。
いっそそのほうが良かったのではないかと、今となっては王妃は思う。バルバラは婚約者になったときからアルトゥールを愛していたし、アルトゥールも昔はバルバラに好意を抱いていた。
すべての間違いは──
見事なカーテシーで挨拶をしたバルバラに、王妃は冷たい視線を向ける。
「記憶を失って六歳のころに戻ったにしては、ちゃんとカーテシーが出来るのですね」
今日の名目はお茶会だ。
中庭の花園でテーブルの上に並べられた国一番の品質を誇るお菓子の山にちらりと目を向けた後で、バルバラは満面に笑みを浮かべる。
「はい! ヘレーネが教えてくれました。体が覚えている、のです! ダンスも踊れます!……だから、アルトゥール王太子殿下の婚約者を辞めさせないでください。お勉強は思い出せないけど、これから一所懸命に頑張ります」
言葉の途中で真剣な表情になり、真っすぐに自分を見つめてそんなことを言い出したバルバラに、王妃は顔をしかめた。
王妃はバルバラを好いていた。男ばかり三人産んだ彼女は、息子の婚約者達を実の娘と思って厳しく躾けると同時に溺愛していた。
幼くして母を亡くしたバルバラへの憐れみもあって、実の息子である王太子アルトゥールよりも侯爵令嬢を可愛がっていると言われていたほどだ。
先ほどの王妃が冷たい視線をバルバラに向けていたのは、彼女の記憶喪失を演技だと疑っていたからだった。
王妃の愛情に応えるようにバルバラは妃教育で優秀な結果を出していた。
学園在学中に収めるべき知識はとうに学び終わり、王太子との結婚後に学ぶべき領域にまで踏み込んでいた。門外不出の王家の秘に当たる領域だ。だから、死ぬか記憶を失うかでもしない限り、バルバラは王太子の婚約者を辞することが出来ない。
(あのことでアルトゥールに見切りをつけて、婚約を解消するために六歳に戻った振りをしているのではなかったの? ああ、でもそうだったわ。バルバラは婚約を結んだばかりのときから、アルトゥールのことを慕っていた。だけど本当に記憶を失って六歳に戻っているのだとしたら……)
王妃が顔をしかめたのは考え事を始めてしまったからだったが、バルバラはそれを否定として受け取ったようだ。
幼い子どものようにドレスの裾を摘まみ、俯いて涙を堪えている。
しばらくして彼女は、震える声で王妃に尋ねた。
「心が六歳だと、十八歳のアルトゥール王太子殿下の婚約者ではいられませんか?」
「……」
結局は政略結婚だ。
第一王子のアルトゥールは確かに優秀な子供だったけれど、わずか六歳で王太子に選ばれたのは、婚約者が同い年のバルバラに内定してからのことだ。
メーラー侯爵家自体の力はともかくとして、バルバラの母の実家であるフォーゲル辺境伯家はこの王国で王家に並ぶ権勢を誇っていた。魔の森に面した国境沿いの領地で外敵と魔獣を打ち倒して王国を守り、魔獣から取れる魔石によって富をもたらしてくれる貴族家なのである。
辺境伯家の王家への忠誠を疑うものなど王国にはいない。
しかし、だからこそ王家はもっと深いつながりを求めていた。
バルバラの母と現王の年齢も釣り合っているのだが、本来なら彼女は隣の帝国へ嫁ぐ予定だった。婚約者の皇子が流行り病で亡くなってしまったため、メーラー侯爵家へ嫁ぐことになったのである。
この結婚は王命で、王都に辺境伯家の血筋を留め、困窮していた侯爵家を辺境伯家の支援によって立て直すという、ふたつの目的を叶えるものであった。
先代メーラー侯爵は数十年ぶりに王都を襲撃した飛行魔獣から先王を庇って命を落とした王家の恩人で、彼の死後の侯爵家が年若い当主を傀儡にした佞臣達の暴虐によって落ちぶれたのは王家の失態だったのだから。
当代メーラー侯爵が恩知らずの愚か者でなければ、王家の目論見は上手く行っていたことだろう。
彼は自家の下働きだった恋人を結婚式直前に家から出したものの、辺境伯令嬢が身籠ると役目は果たしたとばかりによりを戻した。
正妻の生前は自宅近くに用意した家で囲い、正妻の死後は自宅に引き入れた。
王家や辺境伯家の手前再婚まではしていないが、恋人の娘であるゲファレナ、バルバラの異母妹を溺愛し、無理を言ってこの国の貴族子女が通う学園に通わせている。
辺境伯領で王都を襲った飛行魔獣に触発された魔獣の特大暴走が発生し、解決後も後始末に手間取って王都へ嫁がせた娘のことにまで気を配れなかったことが、彼にとっては都合の良い結果をもたらした。
そうでなければ身内への情に厚い辺境伯が娘と孫を彼から奪い返し、武力と経済の両刀でメーラー侯爵家を叩き潰していたに違いない。
いっそそのほうが良かったのではないかと、今となっては王妃は思う。バルバラは婚約者になったときからアルトゥールを愛していたし、アルトゥールも昔はバルバラに好意を抱いていた。
すべての間違いは──
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