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第五話 貴方は私の
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「ん……俺は大魔林で魔獣と戦っていたはずなのに、ここは……?」
長く伸ばした絹糸のように細い黒髪が汗ばんだ顔から流れ落ち、潤んだような切れ長の瞳が開きました。
髪と同じく黒い瞳です。黒いようで、さまざまな色が混ざり合っているようにも見えます。
夜の底を思わせるその瞳に吸い込まれそうになりましたが、私はすぐに我に返って彼に話しかけました。
「お目覚めになられましたか、ウーゴ殿下」
「真っ赤な髪……カーラお気に入りの薬師だね。コルミナちゃんだっけ」
「はい、そうです」
「そうか。大魔林の魔獣と戦って毒を受けた俺を君が治療してくれたのか」
「お目覚めになられて良かったです。殿下は何日も高熱を発していらっしゃいました。お水をお飲みになられますか?」
「んー。まだ体を起こせないな。水は君が口移しで飲ませてよ」
ウーゴ殿下は片目を閉じておっしゃいました。
「え」
確かに酷い状況でしたから、毒が消えたからといっていきなり回復はしません。
ですが意識のない方に薬を飲ませるためならともかく、はっきり意識のある方に口移しをするのには抵抗を感じます。だってキスみたいじゃないですか。
でも体調の悪い方の願いを断るわけにも──と思っていたら、部屋にカーラ様が入って来られました。ここは帝国の宮殿なのです。
「お兄様がそういう軽口を叩いたときは殴っていいわよ、コルミナ」
「軽口じゃないよー。魔獣の毒で死にかけたお兄様を労わってよ、カーラ」
「死にかけたという割にはお元気に見えますけれど?」
「……空元気だよ。俺達は周りに弱いとこ見せられないじゃない」
「だからコルミナに看病を頼んだのよ。彼女は徹夜までしてくれていたのだから、もう充分でしょう?」
カーラ様とウーゴ殿下のおふたりは正直なところ帝国で冷遇されています。
第二皇子とはいえ正妻の息子であるにも関わらずウーゴ殿下は、魔獣の多い帝国でひっきりなしに発生する大暴走を収めるため日夜戦いの日々を送っていらっしゃいました。
ウーゴ殿下とその部下の方々の部隊には薬も治療師も満足に与えられていないといいます。まるで、早く死んでしまえとでも言うように。
「そうだねー。うん、ありがとう。残念ながらまた生き延びちゃったよ」
「あら、そんな憎まれ口を叩くの? 私が愛する男に嫁ぐまでは生き延びると、亡くなったお母様に約束してくださったのではなくて?」
「したねー。あんな約束しなきゃ良かった。カーラとの約束なら平気で破れるけど、お亡くなりになった母上との約束は破れないからなー」
おふたりの母君は数年前にお亡くなりになっていました。
新しい正妻は決まっていないようですが、それが皇帝陛下の愛ゆえなのか、側妃達の権力争いが収まらないからかなのかはわかりません。
カーラ様が私を見ました。
「コルミナ。あなたのクズ異母妹、あの浮気男にも毒を飲ませてたみたいよ」
「ニコロ殿下にですか? 新しい婚約者として認められていたのに、どうしてそんなことを!」
婚約者として認められましたが、結婚の代償はニコロ殿下の廃太子と平民落ちでした。
ベラドンナ達は、それが気に食わなくて国王陛下ご夫妻に毒を盛ったのです。
でもニコロ殿下に毒を盛る理由などないではないですか。
「王宮で暮らすようになって、あの浮気男もあなたのクズ異母妹の本性に気づいたんじゃない? 距離を置かれたから、病気にして看病することで愛情を取り返そうと思ったみたいよ」
「あー。苦しいときに助けてもらうと好きになっちゃうよね。俺もコルミナちゃんに恋しちゃったかもー」
「はいはい。お兄様の恋の話はお腹いっぱいですわ」
ウーゴ殿下は恋多き男として知られています。
カーラ様とは仲の良いご兄妹のようですが、ウーゴ殿下の女性関係については学園にいたころからカーラ様によく愚痴を聞かされていました。
私が帝国へ来てからのウーゴ殿下はずっと魔獣討伐に飛び回っていらしたので、お会いするのは今回が初めてです。細く長い絹糸のような髪も、逞しいのにしなやかな体躯も、潤んだような切れ長の瞳も、耳をくすぐる掠れた声もすべてどこか艶っぽく感じられるウーゴ殿下が女性にモテるのは当然のような気がしました。
「それでね、コルミナ」
「は、はい。なんでしょう、カーラ様」
「あの浮気男は毒の後遺症に苦しんでいるみたいなの。あなたなら治療出来ると思うのだけど……どうしたい?」
あんな夢を見たのはそのせいだったのでしょうか。
確かに可能でしょう。私の研究はお母様を救うためのものでした。お母様と同じ毒を使われたのなら、私の技術で治療可能でしょう。
お母様には間に合わなかったし、国王陛下ご夫妻のときは王宮にいなかったので役に立ったことはありませんが。
色褪せた想い出の花が脳裏を過ぎります。
もう初恋は吹っ切りました。
吹っ切ったはずなのです。それでも、それでも苦しんでいるニコロ殿下の姿を想像すると胸が痛みます。貴方は私の──
長く伸ばした絹糸のように細い黒髪が汗ばんだ顔から流れ落ち、潤んだような切れ長の瞳が開きました。
髪と同じく黒い瞳です。黒いようで、さまざまな色が混ざり合っているようにも見えます。
夜の底を思わせるその瞳に吸い込まれそうになりましたが、私はすぐに我に返って彼に話しかけました。
「お目覚めになられましたか、ウーゴ殿下」
「真っ赤な髪……カーラお気に入りの薬師だね。コルミナちゃんだっけ」
「はい、そうです」
「そうか。大魔林の魔獣と戦って毒を受けた俺を君が治療してくれたのか」
「お目覚めになられて良かったです。殿下は何日も高熱を発していらっしゃいました。お水をお飲みになられますか?」
「んー。まだ体を起こせないな。水は君が口移しで飲ませてよ」
ウーゴ殿下は片目を閉じておっしゃいました。
「え」
確かに酷い状況でしたから、毒が消えたからといっていきなり回復はしません。
ですが意識のない方に薬を飲ませるためならともかく、はっきり意識のある方に口移しをするのには抵抗を感じます。だってキスみたいじゃないですか。
でも体調の悪い方の願いを断るわけにも──と思っていたら、部屋にカーラ様が入って来られました。ここは帝国の宮殿なのです。
「お兄様がそういう軽口を叩いたときは殴っていいわよ、コルミナ」
「軽口じゃないよー。魔獣の毒で死にかけたお兄様を労わってよ、カーラ」
「死にかけたという割にはお元気に見えますけれど?」
「……空元気だよ。俺達は周りに弱いとこ見せられないじゃない」
「だからコルミナに看病を頼んだのよ。彼女は徹夜までしてくれていたのだから、もう充分でしょう?」
カーラ様とウーゴ殿下のおふたりは正直なところ帝国で冷遇されています。
第二皇子とはいえ正妻の息子であるにも関わらずウーゴ殿下は、魔獣の多い帝国でひっきりなしに発生する大暴走を収めるため日夜戦いの日々を送っていらっしゃいました。
ウーゴ殿下とその部下の方々の部隊には薬も治療師も満足に与えられていないといいます。まるで、早く死んでしまえとでも言うように。
「そうだねー。うん、ありがとう。残念ながらまた生き延びちゃったよ」
「あら、そんな憎まれ口を叩くの? 私が愛する男に嫁ぐまでは生き延びると、亡くなったお母様に約束してくださったのではなくて?」
「したねー。あんな約束しなきゃ良かった。カーラとの約束なら平気で破れるけど、お亡くなりになった母上との約束は破れないからなー」
おふたりの母君は数年前にお亡くなりになっていました。
新しい正妻は決まっていないようですが、それが皇帝陛下の愛ゆえなのか、側妃達の権力争いが収まらないからかなのかはわかりません。
カーラ様が私を見ました。
「コルミナ。あなたのクズ異母妹、あの浮気男にも毒を飲ませてたみたいよ」
「ニコロ殿下にですか? 新しい婚約者として認められていたのに、どうしてそんなことを!」
婚約者として認められましたが、結婚の代償はニコロ殿下の廃太子と平民落ちでした。
ベラドンナ達は、それが気に食わなくて国王陛下ご夫妻に毒を盛ったのです。
でもニコロ殿下に毒を盛る理由などないではないですか。
「王宮で暮らすようになって、あの浮気男もあなたのクズ異母妹の本性に気づいたんじゃない? 距離を置かれたから、病気にして看病することで愛情を取り返そうと思ったみたいよ」
「あー。苦しいときに助けてもらうと好きになっちゃうよね。俺もコルミナちゃんに恋しちゃったかもー」
「はいはい。お兄様の恋の話はお腹いっぱいですわ」
ウーゴ殿下は恋多き男として知られています。
カーラ様とは仲の良いご兄妹のようですが、ウーゴ殿下の女性関係については学園にいたころからカーラ様によく愚痴を聞かされていました。
私が帝国へ来てからのウーゴ殿下はずっと魔獣討伐に飛び回っていらしたので、お会いするのは今回が初めてです。細く長い絹糸のような髪も、逞しいのにしなやかな体躯も、潤んだような切れ長の瞳も、耳をくすぐる掠れた声もすべてどこか艶っぽく感じられるウーゴ殿下が女性にモテるのは当然のような気がしました。
「それでね、コルミナ」
「は、はい。なんでしょう、カーラ様」
「あの浮気男は毒の後遺症に苦しんでいるみたいなの。あなたなら治療出来ると思うのだけど……どうしたい?」
あんな夢を見たのはそのせいだったのでしょうか。
確かに可能でしょう。私の研究はお母様を救うためのものでした。お母様と同じ毒を使われたのなら、私の技術で治療可能でしょう。
お母様には間に合わなかったし、国王陛下ご夫妻のときは王宮にいなかったので役に立ったことはありませんが。
色褪せた想い出の花が脳裏を過ぎります。
もう初恋は吹っ切りました。
吹っ切ったはずなのです。それでも、それでも苦しんでいるニコロ殿下の姿を想像すると胸が痛みます。貴方は私の──
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