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最終話 たったひとつの愛を
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だれにでもたったひとつの愛がある。
ルイジのたったひとつの愛は元子爵令嬢のアンナだ。
彼女がこれまで住んでいた国の王家の命令で公爵令息と婚約するまでは、以前から親友だったルイジの父とアンナの父は家族ぐるみで付き合っていた。
本人は地味だと悩んでいたアンナの茶色い髪と瞳が光を浴びて明るく煌めくたびに、北国生まれの銀髪のルイジは、春の化身が現れたかのように感じていた。
アンナが王命で婚約して、互いに会わないことを選んだ後も、ルイジは彼女を愛し続けていた。
幸いなことにルイジには弟妹がいるので、家の後継のことなど気にしなくても良い。弟妹がいなかったとしても、経営している商会をちゃんと引き継いでくれる人間がいれば、両親は気にしなかっただろう。
ルイジが身を引いたのは、他国の王命だったからではない。
真面目なアンナが、婚約相手の公爵令息ジェレミアに対して真摯に向き合っていたからだ。
魔力減衰病で寝たきりの彼を見舞いに行ったら歓迎されたと、その笑顔に応えたいと、ルイジが彼女の家を訪れなくなる直前の手紙に書いてあった。
だから、婚約破棄を知ったルイジは、アンナに婚約を申し込むよりも先に、彼女とジェレミアが再構築出来る道を模索したのだ。
公爵令息の浮気相手ディッタトゥーラには本命がいた。
魔力減衰病で神殿の療養所にいるというその本命を助けたら、浮気相手はいなくなるのではないか、そう思ったわけだ。
(あそこまで性質の悪い女だとは思わなかったな)
ディッタトゥーラの本命のはずのイザッコと会って話して、調査した彼の恋人の末路にルイジは愕然とした。
根は善良なジェレミアがディッタトゥーラに誘惑されたのは、回復した彼と従妹の王女を結び付けたい公爵夫婦と王家の企みがあるのには勘付いていた。
正直なところ、真っ当な人間がやり手の詐欺師に騙されないでいることは難しい。
(別れて立ち直ってくれるのなら、と思っていたが、あそこまで邪悪な存在を察せずに溺れているのは……お花畑にもほどがある)
これからも同じようなことが繰り返されるのは想像に難くなかった。
それに、根は善良だったとはいうものの、結局ジェレミアは浮気の快楽を選んだのだ。
善良だからこそ禁じられた不貞の関係に酔いしれていたのだ。本人の選択なのだから他者にはなにも出来ない。
アンナの父は爵位を返上して祖国へ戻ることを決めていたし、もうこのまま放っておこうかとルイジは一度考えた。
しかしアンナの父が品種改良した魔力草の行方を調査しているうちに、公爵家が盗んだ魔力草の栽培に失敗していることと、自家のメイドを脅してなにやら企んでいるらしいことに気づいてしまったのだ。
公爵家は魔力草の栽培失敗を王家にも秘密にしていた。王家と情報を共有されていたら、アンナの家は王宮に登城する日をズラされていたかもしれない。ジェレミアの結婚式の日にディッタトゥーラを襲撃したのは、アンナだという嘘をもっともらしく見せるために。
ルイジはアンナの今後を守るためにも、イザッコの復讐に手を貸した。
といっても大したことはしていない。
彼に薬を与え、神殿の人間に鼻薬を利かせただけだ。良い薬を投与したといっても治療期間は短かった。完治したとはいえないが、イザッコは動けるだけで良いと言った。
(メイドの安全も確保したか)
あのふたりのメイドは今も公爵家に仕えている。
生活があるからだ。
ルイジの正体は知らせずに、メイドを始末したら魔力草の盗難、アンナの仕業に見せかけてディッタトゥーラを殺そうとしたこと等々──を公表すると伝えさせた。
(婚約破棄のときの言いがかりも早く是正したいが……)
それをしてしまうと、今となってはアンナの家を手放したくないだろう王家や公爵家が婚約破棄を無効として、彼女をこの王国に縛り付けようとする危険がある。
嫌がる浮気相手に執着して自害に追い込んだという公爵令息の悪評で、今はアンナの婚約破棄にまつわる噂は上書きされている。
真実をすべて暴露して王家と公爵家を叩き潰すのは、アンナがこの王国と完全に絶縁してからだ。
(アンナがこの王国に来ることは、もうないしな)
すでに移住済みの兄を除くアンナ一家とルイジは、これから船で北の国へ帰るのだ。
「アンナ! 今日は晴天で良かったね。素敵な船旅になりそうだ」
「ええ、ルイジ!」
港に立って思索に耽っていたルイジは、家族とともにやって来たアンナを迎えた。
アンナ一家がいなくなった後で、王家と公爵家のすべての愚行が明かされた後で、この国がどうなるのかはルイジにはどうでも良いことだ。
学園在学中はジェレミアに夢中だった従妹王女が自国の貴族家や他国の王家に釣り書きを送り始めているという噂も掴んでいるが、それもルイジには関係ない。祖国で賭場が開かれていたら、相手が見つからないほうに賭けたらぼろ儲け出来そうだと思うくらいである。
★ ★ ★ ★ ★
私はルイジに手を預けて、北の国へ向かう船に乗り込みました。
魔力減衰病が再発したように見えたジェレミア様のことが気にならないと言ったら嘘になりますが、今の私の婚約者はルイジなのです。
銀の髪に黒い瞳、冷たい冬のようでいて優しい雪解けを思わせる彼です。
だれにでも、大切なたったひとつの愛があります。
残念ながら失ってしまうこともあります。
それでもいつかまた巡り合えるのかもしれません。
最後にジェレミア様の健康をお祈りして、私は生まれ育った国に別れを告げました。
これからたったひとつの愛になる、ルイジに寄り添って──この愛を大切にすると心に誓いながら。
ルイジのたったひとつの愛は元子爵令嬢のアンナだ。
彼女がこれまで住んでいた国の王家の命令で公爵令息と婚約するまでは、以前から親友だったルイジの父とアンナの父は家族ぐるみで付き合っていた。
本人は地味だと悩んでいたアンナの茶色い髪と瞳が光を浴びて明るく煌めくたびに、北国生まれの銀髪のルイジは、春の化身が現れたかのように感じていた。
アンナが王命で婚約して、互いに会わないことを選んだ後も、ルイジは彼女を愛し続けていた。
幸いなことにルイジには弟妹がいるので、家の後継のことなど気にしなくても良い。弟妹がいなかったとしても、経営している商会をちゃんと引き継いでくれる人間がいれば、両親は気にしなかっただろう。
ルイジが身を引いたのは、他国の王命だったからではない。
真面目なアンナが、婚約相手の公爵令息ジェレミアに対して真摯に向き合っていたからだ。
魔力減衰病で寝たきりの彼を見舞いに行ったら歓迎されたと、その笑顔に応えたいと、ルイジが彼女の家を訪れなくなる直前の手紙に書いてあった。
だから、婚約破棄を知ったルイジは、アンナに婚約を申し込むよりも先に、彼女とジェレミアが再構築出来る道を模索したのだ。
公爵令息の浮気相手ディッタトゥーラには本命がいた。
魔力減衰病で神殿の療養所にいるというその本命を助けたら、浮気相手はいなくなるのではないか、そう思ったわけだ。
(あそこまで性質の悪い女だとは思わなかったな)
ディッタトゥーラの本命のはずのイザッコと会って話して、調査した彼の恋人の末路にルイジは愕然とした。
根は善良なジェレミアがディッタトゥーラに誘惑されたのは、回復した彼と従妹の王女を結び付けたい公爵夫婦と王家の企みがあるのには勘付いていた。
正直なところ、真っ当な人間がやり手の詐欺師に騙されないでいることは難しい。
(別れて立ち直ってくれるのなら、と思っていたが、あそこまで邪悪な存在を察せずに溺れているのは……お花畑にもほどがある)
これからも同じようなことが繰り返されるのは想像に難くなかった。
それに、根は善良だったとはいうものの、結局ジェレミアは浮気の快楽を選んだのだ。
善良だからこそ禁じられた不貞の関係に酔いしれていたのだ。本人の選択なのだから他者にはなにも出来ない。
アンナの父は爵位を返上して祖国へ戻ることを決めていたし、もうこのまま放っておこうかとルイジは一度考えた。
しかしアンナの父が品種改良した魔力草の行方を調査しているうちに、公爵家が盗んだ魔力草の栽培に失敗していることと、自家のメイドを脅してなにやら企んでいるらしいことに気づいてしまったのだ。
公爵家は魔力草の栽培失敗を王家にも秘密にしていた。王家と情報を共有されていたら、アンナの家は王宮に登城する日をズラされていたかもしれない。ジェレミアの結婚式の日にディッタトゥーラを襲撃したのは、アンナだという嘘をもっともらしく見せるために。
ルイジはアンナの今後を守るためにも、イザッコの復讐に手を貸した。
といっても大したことはしていない。
彼に薬を与え、神殿の人間に鼻薬を利かせただけだ。良い薬を投与したといっても治療期間は短かった。完治したとはいえないが、イザッコは動けるだけで良いと言った。
(メイドの安全も確保したか)
あのふたりのメイドは今も公爵家に仕えている。
生活があるからだ。
ルイジの正体は知らせずに、メイドを始末したら魔力草の盗難、アンナの仕業に見せかけてディッタトゥーラを殺そうとしたこと等々──を公表すると伝えさせた。
(婚約破棄のときの言いがかりも早く是正したいが……)
それをしてしまうと、今となってはアンナの家を手放したくないだろう王家や公爵家が婚約破棄を無効として、彼女をこの王国に縛り付けようとする危険がある。
嫌がる浮気相手に執着して自害に追い込んだという公爵令息の悪評で、今はアンナの婚約破棄にまつわる噂は上書きされている。
真実をすべて暴露して王家と公爵家を叩き潰すのは、アンナがこの王国と完全に絶縁してからだ。
(アンナがこの王国に来ることは、もうないしな)
すでに移住済みの兄を除くアンナ一家とルイジは、これから船で北の国へ帰るのだ。
「アンナ! 今日は晴天で良かったね。素敵な船旅になりそうだ」
「ええ、ルイジ!」
港に立って思索に耽っていたルイジは、家族とともにやって来たアンナを迎えた。
アンナ一家がいなくなった後で、王家と公爵家のすべての愚行が明かされた後で、この国がどうなるのかはルイジにはどうでも良いことだ。
学園在学中はジェレミアに夢中だった従妹王女が自国の貴族家や他国の王家に釣り書きを送り始めているという噂も掴んでいるが、それもルイジには関係ない。祖国で賭場が開かれていたら、相手が見つからないほうに賭けたらぼろ儲け出来そうだと思うくらいである。
★ ★ ★ ★ ★
私はルイジに手を預けて、北の国へ向かう船に乗り込みました。
魔力減衰病が再発したように見えたジェレミア様のことが気にならないと言ったら嘘になりますが、今の私の婚約者はルイジなのです。
銀の髪に黒い瞳、冷たい冬のようでいて優しい雪解けを思わせる彼です。
だれにでも、大切なたったひとつの愛があります。
残念ながら失ってしまうこともあります。
それでもいつかまた巡り合えるのかもしれません。
最後にジェレミア様の健康をお祈りして、私は生まれ育った国に別れを告げました。
これからたったひとつの愛になる、ルイジに寄り添って──この愛を大切にすると心に誓いながら。
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