たったひとつの愛を

豆狸

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第一話 再会

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 だれにでも、大切なたったひとつの愛があります。
 私、元子爵令嬢アンナのたったひとつの愛は──元婚約者の公爵令息ジェレミア様でした。
 少なくとも婚約をしてからは、公爵邸の寝台で震えていた病弱だった幼い彼に微笑まれてからは。

 私はジェレミア様をお慕いして参りました。
 一年と一ヶ月前、この王国の貴族子女と裕福な平民が通う学園の卒業式で婚約破棄されて、公爵家で下働きをしていた下町育ちの美しい少女ディッタトゥーラを選ばれるまでは、ずっと。
 浮気相手ディッタトゥーラを虐めていると誤解されて、理不尽に責められても、病弱だった彼と没落寸前だった公爵家を支え続けてきました。

 もちろん浮気相手を害するような真似をしていないと反論はしていたのですけれど……ジェレミア様には信じていただけなかったのです。

 公爵家にとってもこの縁談が無くなるのは都合の良いことだったのでしょう。
 没落寸前だった公爵家は、我が家の援助で立ち直りました。
 懸念だった跡取りの健康事情も回復しました。くすんでいた金髪は光り輝き、淀んでいた青い瞳は宝石のように煌めいていました。だれもが憧れる美しい公爵令息に、豪商から叙爵された子爵家の地味な令嬢との縁談など不要です。

 それで後ろ盾のない下町育ちの下働きの少女を新しい縁談相手にするのはおかしいように思えますが、あっさりに乗り換えるよりも途中に真実の愛を挟んで子爵令嬢を貶めておいたほうが自分達の評判を守れるとお考えになったのでしょうね。
 もっともジェレミア様ご自身は、周囲がそんな企みを巡らせているなどとは考えもせず、ディッタトゥーラとの不貞の関係に酔いしれていたのでしょうけれど。
 溺愛されて育った彼は、他人の悪意に鈍感だったのです。浮気相手のディッタトゥーラの本心にもお気づきではなかったのですもの。

 一年と一ヶ月ぶりに再会したジェレミア様は、真実の愛のお相手ディッタトゥーラを喪った衝撃からかやつれていらっしゃいました。
 美しい金髪が昔のようにくすんで見えます。
 王都子爵邸の応接間で、ジェレミア様は怪訝そうに室内を見回しています。

「アンナ……なんだかずいぶん部屋の様子が変わっているね」
「はい。ご存じかも知れませんが、父が爵位を返上して祖国へ戻ることになりましたのでこの家の家具や装飾はほとんど処分いたしました。このようなお部屋に公爵令息であるジェレミア様をお招きするのは失礼とは思ったのですけれど、どうしてもとおっしゃられましたので……本日はどのようなご用件でしょうか」

 ジェレミア様は居心地悪そうに視線を落としました。
 私の父はこの国の人間ではありませんでした。
 世界を股にかけた豪商だった父は、この王国の貴族令嬢だった母に恋をして、結婚を許してもらうために金で爵位を買ったのです。そんな始まりだったものの、両親の仲は良くて、今日はふたりで最後の王都観光を楽しんでいます。公爵家に嫁ぐ予定だった私と違って子爵家を継ぐはずだった兄は、ひと足先に父の祖国へ移住済みです。

「……アンナ」

 絞り出すように私の名前を呼んで、しばらく沈黙してからジェレミア様はおっしゃいました。

「一ヶ月前の結婚式でディッタトゥーラが亡くなった」
「ええ、噂は聞いております。……私の仕業だとでもお思いなのですか? 生憎ですがジェレミア様の結婚式の日は、元子爵家総出で王宮へ爵位返上の手続きに参っておりました。ああ、でも人を雇うことも出来ますわね」

 それで? と私はジェレミア様を見つめました。

「なにか私を犯人にする証拠でもおありなのですか? 卒業式でのご発言にも、なんの根拠もございませんでしたよね? それでも公爵令息であるジェレミア様がおっしゃって従妹姫様が肯定なさった以上、しがない子爵令嬢の反論など聞かれもせず私が婚約者の浮気相手を害したということが事実になってしまいましたけれど」

 ジェレミア様だけが知らない彼の本命は、彼の従妹である王家の姫君です。
 病弱だった彼が寝台から離れられなかったころに国王陛下ご夫妻の命で渋々見舞いに行って、くすんだ金髪を藁くずのようだと笑い、澱んだ瞳で見るなと罵声を浴びせた方です。
 そのことに傷ついたジェレミア様は、婚約した私が見舞いに行って会話をするだけで喜んでくださいました。私と会えると思うと、苦い薬を飲むのも楽しくなると言ってくださいました。そんな彼だから、私も王家に強要された突然の婚約を受け入れることが出来たのです。

 しかし、没落寸前の公爵家への援助をいとって王命の婚約で裕福な子爵家へ押し付けた王家は、公爵家が立ち直り跡取り息子が健康になって美しく成長した途端、手のひらを返したのです。
 学園でジェレミア様と再会した従妹姫が、彼に恋をしたからです。
 本来ならディッタトゥーラがいなくなった後で、従妹姫が傷心のジェレミア様を慰めて結ばれるという結末が公爵家と王家の方々のだったのでしょう。
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