たとえ番でないとしても

豆狸

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エピローグ・愛し愛されることが出来るなら

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「脇が甘いですよ!」
「あ!」

 アンドレウに鍛錬用の剣を飛ばされたマニウスは、たちまち泣き顔になって私のところへ戻ってきました。

「母上ー、アンドレウが意地悪しますー」
「あらあら。アンドレウは手加減してくれていましたよ? それで調子に乗って油断してしまったのはマニウスのほうでしょう?」
「うー」

 私はしゃがんでマニウスと視線を合わせました。
 マニウスはまだ五歳です。十五歳のアンドレウとは体格も腕力も違い過ぎます。
 成長しても、ヒト族の私の血を引くマニウスは純粋な竜人族のアンドレウに力で敵うことはないでしょう。魔導でなら対抗出来るかもしれません。マニウスは私に似て闇の魔力が強そうなのです。

「よーし、マニウス。父が仇を取ってやろう」
「父上、頑張れー」
「ディアナ様の前で恥を掻かないと良いですね、ソティリオス様」
「言ったな」

 ディアナが竜王ニコラオス陛下と離縁してリナルディ王国へ戻ってから、十年が経ちます。
 七年前に結婚して、五歳になる息子がひとりいます。
 私の夫で息子の父親は──ソティリオス様です。

 ソティリオス様との縁談は竜王陛下もお望みのことでした。
 精霊王様の愛し子となった私をカサヴェテス竜王国に留めておきたかったのでしょう。
 ですが私は、最初この縁談をお断りいたしました。ソティリオス様が嫌だったわけではありません。リナルディ王国へ戻ったら、私の立場が前とは変わっていたからです。

 今の私はパルミエリ辺境伯なのです。
 従姉のミネルヴァ様が国王である異母弟に嫁いだため、王妃が辺境伯でもあるのは権力が集中し過ぎるのではないかと物言いがつき、パルミエリ辺境伯家当主の座が従妹である私に転がり込んでいたのです。
 異母弟とミネルヴァ様は、最初からこれを考えていたのかもしれません。

 ふたりは竜王陛下にサギニ様がいらっしゃることは知っていましたし、ヒト族の私が陛下のつがいのはずはないと思っていたことでしょう。
 あの一年間は、牢から出たばかりで世間知らずの私を利用しに近寄ってくるだろう人間を排除し、私をパルミエリ辺境伯に据えるための準備期間だったのかもしれません。
 もちろん、私が取り扱いに困る厄介者だったのも事実です。

 八年間牢で暮らしていた私には、なにもかもわからないことだらけでした。
 それでも辺境伯領の主要産業となった魔道具制作の重鎮であるルキウスが私を支持してくれ、オレステス様にガヴラス大公家を譲ってリナルディ王国へ移住してきてくださったソティリオス様に支えられて、なんとかやって来ました。
 カサヴェテス竜王国はあれから魔物の大暴走スタンピードも減少して、平穏な日々が流れているようです。そうでなければ竜王陛下以外でただひとり巨竜化出来るソティリオス様がリナルディ王国へ移住したり出来ませんしね。

 カサヴェテス竜王国が平和なので、精霊王様とご家族もよくお忍びでこちらへいらっしゃいます。
 精霊王様に未来をせたお子様は赤ちゃん仔犬から少年仔犬に成長されて、将来はうちのマニウスを守護したいとおっしゃってくれています。たぶんパルミエリ辺境伯領特産の美味しい海産物と毎回私がご用意させていただいている蜂蜜たっぷりパンケーキ目当てです。
 ……ふふっ。ソティリオス様も海産物を気に入ってくださって、あの収穫祭の日に話した焼き貝を肴によく晩酌を楽しんでいらっしゃいます。

「母上、アンドレウが押しています。もしかして今日はアンドレウが勝ってしまうのでしょうか?」
「いいえ。今日もお父様がお勝ちになりますよ」

 私はドレスの裾を握って不安そうな顔をするマニウスの頭を撫でました。
 剣術など齧ったこともない私ですが、結婚してから毎日ソティリオス様の鍛錬の様子を見てきたことで戦いの流れくらいは読み取れるようになったのです。
 三年前にまだ十五歳じゃないけど強くなったから、と言って私のところへ来たアンドレウはソティリオス様にコテンパンにされ、以来従者として彼に仕えています。あの日剣のオモチャ目当てで去っていったのは、ソティリオス様の私への想いを悟って対抗するためだったと言われたのは本当でしょうか。

「ああっ!」

 息子のマニウスの稽古を任されるほどの腕前になったアンドレウも、さすがにカサヴェテス竜王国の元近衛騎士隊長のソティリオス様には勝てません。
 先ほどのマニウスのように剣を飛ばされてしまいました。
 ソティリオス様が私のもとへ戻っていらっしゃいます。

「俺の勝ちだ。……ディアナ。勝者にキスをくれないか」
「そんな約束していませんよ」

 夫婦になったので、ソティリオス様は私に丁寧な口調で話すのをやめています。
 白銀色の瞳で悲しそうに見つめられて、私は小さく吹き出してしまいました。
 彼は私のつがいではありません。私も彼のつがいではありません。

「……仕方がありませんね」

 私は軽くかがんで見つめてくる愛しい人の頬に唇を重ねました。

「あー、父上ズルいー。母上、僕にもキスしてくださいー」
「マニウス様は俺に勝ってないから駄目ですよ」
「今度は勝ちます!」

 嬉し気に微笑んだソティリオス様に肩を抱かれて、私はアンドレウに向かっていくマニウスを見送りました。
 マニウスという名前は、あの竜人族特有の病気でお亡くなりになったソティリオス様の弟君のお名前です。
 縁起が悪いかもしれないけれどディアナならあの病気を治せるからこの名前をつけて欲しい、とオレステス様に願われたのです。

 リナルディ王国もパルミエリ辺境伯領も平穏な毎日です。
 黒い髪に紫の瞳、夜の化身のようだと言われた私の隣には、白銀色に輝く月のようなソティリオス様がいつもいてくださいます。
 つがいではないけれど、愛しい人です。ずっと見守ってくださっていた優しい人です。政治的な思惑がなにもなかったとは言えませんが、私が選び私を選んでくれた方です。

 たとえつがいでないとしても、これからもずっと私はソティリオス様を愛し続けていくのです。
 そして、ソティリオス様もずっと私を愛してくださったら嬉しいのにと願っています。
 いつまでもこうして清々しい麝香草タイムの香りで包んでいただけたら、どんなに幸せなことでしょう。私は隣に立つ彼の肩に、そっと頭を預けたのでした。
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