たとえ番でないとしても

豆狸

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38・たとえあなたにとってはそうでないとしても

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「……いいえ……」

 私は嘘をつきました。
 いいえ、嘘ではありません。私にとってのつがいが竜王ニコラオス陛下でも、陛下にとってのつがいは私ではないのです。最初からわかっていたことです。
 ソティリオス様の形の良い眉が少し歪みました。

「ですが妃殿下は陛下の暴走をお鎮めになりました。つがいでなければ出来ないことです」
「そんなことありませんわ。陛下はきっと暴走されていたのではなかったのです。少し疲れていらしたから、周りの呼びかけに応えられなかっただけでしょう」
「ではなぜ陛下はサギニ様のいらっしゃる本宮殿ではなく、こちらの離宮にいらっしゃのですか? 陛下は真っ直ぐにあなたのところへ飛んでこられたではないですか」

 周囲の近衛騎士達が期待に満ちた瞳で私を見つめています。
 今回は前とは違います。
 私は作物の魔物化や民の病気をもたらした諸悪の根源とは思われていません。今なら竜王陛下のつがいだと叫んでも聞いてもらえるかもしれません。少なくとも前のように、罠をかけて自分で癒してみせたのだ、などと言われることはないでしょう。

「……離宮に来られたのではないですわ。疲れでなかなか巨竜化を解けなかったので、本宮殿に降りて建物を壊すのを恐れられたのでしょう。ほんの少しでもかすれば、聖なるつがいであるサギニ様に怪我をさせてしまうかもしれませんもの。ここなら森に囲まれて安全です」

 私は嘘をつき続けました。
 いいえ、本当のことなどわかりません。暴走なさっていた陛下に尋ねてもはっきりした答えは返ってこないでしょう。
 サギニ様を案じたから、どうでもいい形だけの妃が住む離宮近くに降り立ったというのが今も前も変わらない真実だったのかもしれません。

 白銀色の瞳が私を射ます。

「では後ほどお目覚めになられた陛下に確認してみます」
「……暴走していらっしゃらなかったとしても疲れで朦朧とされていたでしょうから、どうしてなのかまでは覚えていらっしゃらないのではないでしょうか。いいえ、そもそも森に囲まれた離宮とはいえ同じ敷地内です。私が陛下を鎮めたのではなく、サギニ様のお近くに来られたことで巨竜化が解けたのではありませんか?」

 ソティリオス様は私から目を逸らしました。

「以前妃殿下は、俺達竜人族が魔力を纏った姿を見ても不快には感じないだろうとおっしゃいましたね」
「ええ、そうでしたね」
「病気で魔力の鱗が飛び出した竜人族を癒してくださったときに、そのお言葉が真実だとわかりました。そもそも巨竜化して迎えに行った俺を見たときも怯えないでいてくださった」
「そうでしたね」

 ソティリオス様の背に乗ってこの国へ来たのが、遠い昔のように思えます。
 世界が終わる前を含めても一年半しか経っていないのに不思議なことです。
 前のとき半年竜王陛下のお顔を見なくてもつがいだと叫ぶ心は元気なままでしたのにね。……いいえ、今も心は騒いでいます。陛下が近くにいらっしゃる、ただそれだけで。

「妃殿下は、俺達竜人族が見ても恐ろしいニコラオス陛下の巨竜姿にさえ怯えることはないのですね。それこそが陛下のつがいだという証拠ではないのですか?」
「いいえ。竜王陛下のつがいはサギニ様ですわ」

 あの方が、竜王ニコラオス陛下ご自身がおっしゃったのですもの。
 初めて会ったとき、心も体もあの方を求めていた私におっしゃったのですもの。
 今さっき、運命は変わったのではないかと期待する私に冷水を浴びせるかのようにおっしゃったのですもの。なにをしても運命は変わらないのかもしれません。竜王陛下は前と同じように暴走なさいました。前と同じ言葉を私に投げかけました。

 それでも……未来は変わると信じたいのです。
 私が口を噤めば、私こそが竜王ニコラオス陛下のつがいだと叫ぶ思いを封じ込むことが出来れば、陛下はお亡くなりにならず世界も終わらないと信じていたいのです。
 願懸けのようなものですね。

 そうです、願懸けです。口に出した途端前のように周囲に厭われるのが怖いから、どんなに叫んでもあの方の耳には入れてもらえないのが恐ろしいからではありません。
 いいえ、怖いのです。恐ろしいのです。私は莫迦で臆病な娘なのです。
 もし世界が終わらなければ、予定通り一年間の白い結婚の末に離縁してお別れすることになったなら、そのときだけ口に出しても良いことにしましょう。

 ──竜王ニコラオス陛下。あなたは私のつがいです。
 あなたにとってはそうでないとしても。
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