たとえ番でないとしても

豆狸

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10・たとえ悪意無くお名前を出したのだとしても

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「そろそろ夕食の時間ですよ、妃殿下」
「そのようですね」
「たぶん交代のついでに兄上が……あー隊長のほうが良いですかね」

 オレステス様は去年十五歳で成人して即位した異母弟クィントゥスと同年代に見えます。
 互いの生まれによる政治的な問題はありますが、個人的には異母弟クィントゥスのことは大切に思っています。
 私は、気安い口調で話してくださるオレステス様に彼を重ねていました。

「オレステス様の話しやすいように話してくださいな」
「ありがとうございます。夕食は兄上が持ってきますよ。離宮に僕達がいなかったら、怒られちゃうかもしれません」

 結界があったと思しき場所を確認した後も、私は離宮を囲む森を散歩していました。
 いつの間にか空が色づいています。
 この森に巨竜姿の竜王ニコラオス陛下がお降りになられたことを思い出して、足が止まらなくなったのです。黄金色に輝く美しい……私のつがい。心の中だけでなら、そう思っていても良いですよね?

「では急いで帰らなくてはいけませんね。長らくつき合わせて申し訳ありませんでした」
「これが任務ですからお気になさらず。あ、でももし忠実な護衛にご褒美をくださりたいとお思いなら、僕にもお茶をご馳走してください」
「お茶ですか?」
「兄上がとても美味しかったと自慢げに話していました」
「ふふふ、ソティリオス様に気に入っていただけたのなら光栄ですわ。オレステス様がお望みなら夕食の……」

 途中で言葉が止まってしまったのは、本宮殿のほうからなにかが走ってくる気配を感じたからです。地面の落ち葉が踏みしめられる音がします。
 離宮を囲む森は、森とはいえカサヴェテス竜王国王宮の敷地内にあります。
 どんなに自然の森と変わらないように見えても、実際は庭師によって整えられているのです。リスや小鳥はいるものの、危険な大型の獣はいません。

「人間ではない。しかしこの魔力……魔物か? 妃殿下、僕の後ろに」
「はい!」

 こんな事件、起こった記憶がありません。
 私が離宮を出て森をうろついたせいでしょうか。
 それとも前のときは、私が気づく前に近衛騎士達が始末してくれていたのでしょうか。

「っ?」

 木々の間から現れたのは黒い狼でした。
 幼いころお母様と訪れたパルミエリ辺境伯領で見た、猟犬や牧羊犬よりも遥かに大きい気がします。私を背中に乗せて走れそうなくらいです。
 もしかしたら、オレステス様がおっしゃったように魔物かもしれません。活発化した魔物が、竜王国の王宮にまで侵入してきたのでしょうか。

 私の前に立つオレステス様が息を呑みました。
 巨狼は足を止め、紫色の瞳で私達ふたりを見回します。
 黒い毛皮に紫の瞳、私と同じだと思いました。

『……そなただ……』

 狼が私を見つめて、音の無い声で言いました。
 それと同時に、オレステス様が地面に跪きます。

「……精霊王様」
「精霊王様?」

 私も慌ててオレステス様の後ろで膝をつきました。頭も下げます。
 魔物蔓延るこの土地に追いやられた竜人族を救った精霊王様の姿は、はっきりと語られることはありません。尊い存在に対する畏敬の念から語られないのだと思って深く考えたこともなかったのですが、まさか獣の姿をなさっていたとは驚きました。
 もしかして、昨夜私がお名前を出したことに怒っていらっしゃるのでしょうか。
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