この誓いを違えぬと

豆狸

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 城門を出ようとしていたジェイクは振り返り、自分と大して年齢の変わらない養子に答えた。

「隣国だよ。国境の川近くの村が良い魔獣馬を産出しているらしい。……このままでは次の大暴走スタンピードを生き残れないだろう?」
「それなら正式に隣国へ要請してください」
「そんなことをしたら足元を見られるじゃないか。我が国と隣国の間には女神の泉が水源だと言われている聖なる川があって、我が国で発生した大暴走スタンピードの魔獣があちらに雪崩れ込むことはないんだから他人事だよ」

 逆に隣国の大暴走スタンピードがオルベール王国を害することもなかった。

「安く買い付けて、可能なら魔獣馬の生産牧場の人間を勧誘して来るね」
「ほどほどにしてくださいよ。大暴走スタンピードが近づいているときに、隣国と諍いを起こしたくはありません」
「わかってる。今の俺は国王ではなく、魔獣馬を求めるただの旅人だよ」
「ちゃんと髪を隠してくださいね。そのすみれ色の髪を見られたら、すぐに義父上だとわかってしまいます」

 すみれ色の髪は珍しい。
 ジェイクの母親は、山脈で竜を神と崇めていた邪教団の人間だった。
 旅人を襲って竜に生贄を捧げる一族を嫌って山から下りてきたところをジェイクの父に見初められたのだという。ジェイクの髪は彼女譲りだった。

「……ああ、そうだね」

 ジェイクは来ていたマントのフードを深く被った後で、自分の髪を摘まんだ。
 この髪を、この髪と同じ色の瞳を大好きだと言ってくれた少女がいた。
 彼女の笑顔が好きだった。喪った母への思慕と若い欲望で年上の愛人に縛り付けられながらも、心の底から求めていたのは彼女の笑顔だった。

(苦しむ顔は見たくなかった……だけど)

 浮気したジェイクに怒ったり泣いたりしていた少女の顔に、瞳から光を失った女性の顔が重なる。女性は、成長した少女のように見えた。
 既視感を飲み込んで、ジェイクは城門を出た。
 もしあのときカサンドラと結婚していても、ジェイクは彼女の笑顔を失っていただろう。彼女の笑顔を守る努力などしたことがない。彼女の笑顔が消えたとき、ジェイクはいつも逃げ出していた。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 竜の邪気から生じた魔獣の血を引く魔獣馬は、聖なる川には入れない。
 もし生産牧場から買い取れたとしたら、橋か船を作って運ぶしかないだろう。隣国とは仲が良いとは言い難い関係なので、これまで交流は最低限だった。ふたつの国をつなぐものは少ない。
 自分の魔獣馬から降り、ジェイクは聖なる川を眺めた。

(勝手に橋など作ったら隣国になにを言われるかわからないだろうな。じゃあ船か……)

 オルベール王国は海に面していない。
 渡し舟はあるのだが、魔獣馬を運ぶのには大きさも強度も足りない。
 ジェイクの頭に黒髪の青年の顔が浮かんできた。カサンドラの従者だった男だ。山脈の一族に殺された彼の両親は東方の行商人で、この大陸へは大きな船に乗って来たのだという。彼がいれば、大きな船の製造方法もわかったかもしれない。

 自分の立場を考えて、ジェイクは渡し舟を使わず浅瀬で幅の狭い部分を泳いで聖なる川を渡った。少しでも接触する人間を少なくしたかったのだ。
 服とマントを脱いで絞り、湿ったまま纏って歩き始める。
 しばらくすると村が見えた。村の手前に噂の牧場もある。牧場まで辿り着いて、ジェイクは中の様子を窺った。普通の馬の牧場かと思うほど、馬場を歩く魔獣馬達はおとなしかった。

「こら、待ちなさい!」
「やー!」

 牧場主の家族だろうか。
 敷地の隅にある建物から、黒い髪の子どもとひとりの女性が現れた。
 女性の焦げ茶色の髪が風になびき、陽光に照らされている。この辺りの既婚女性が頭にかぶる白い布を子どもが持っているからだ。子どもの頭に乗っている小鳥は魔獣のようだ。魔獣使いの家系だから魔獣馬の生産牧場を営んでいるのだろうか。魔獣使いは大暴走スタンピードを引き起こすとも治めるとも言われる特殊な能力の持ち主のことだ。

「お母さんの布を返して」
「やなの。母ちゃんの髪、見えてるほうが良いの」

 ふたりに続いて、黒髪の男も現れた。子どもの父親だろう。

「私もそのほうが好きですよ」
「俺もー」

 男の足元には、もうひとり子どもがいた。
 さして近い距離でもないのに、なぜかとてもはっきりと声が聞こえて姿が見えた。
 緑色の瞳の女性は幸せそうに微笑んでいる。ジェイクの好きだった笑顔だ。

「だれかいる!」
「……お客さん?」

 子どもが叫び、ジェイクに注目が集まった。
 ジェイクはすみれ色の髪が見えないように深くフードを被り、その場を立ち去った。
 従兄弟の言った通り、魔獣馬の件は正式に隣国を通そう。彼女は誓いをたがえない。あの日神殿で女神に誓った通り、ジェイクを愛することはない。彼女は命ある限り誓いをたがえない人間だと、ジェイクはなぜか知っていた。
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