私の知らぬ間に

豆狸

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第七話 王太子③

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「子どもに罪はないからこそ、ちゃんとそちに真実を伝えておくべきだった。そうしていれば、そちはもっと公爵令嬢に思いやりを持って接していただろうに。あんな罪人達に騙されることもなかっただろうに。……いや」

 愛妾とは学園在学中だけの関係で、卒業したらちゃんと婚約者の隣国王女を娶って大切にするという息子の言葉を信じるのではなかった。
 そもそも婚約者が隣国にいるのだから気づかれないなどと思って、学園での愛妾との関係を許すのではなかった。
 と、祖父王は嘆き続けた。

 いつもは大きく見えていた祖父王が、急に小さく干からびた哀れな老人に見えてきて、王太子は瞼を閉じた。
 暗闇の中に婚約者だった公爵令嬢の笑顔が浮かんでくる。
 王太子は思い出した。

(ああ、そうだ。彼女が凍りついたような表情しか見せなくなったのは、婚約して初めて会ったときに、私が笑うなと命じたからだ)

 基本的な顔の造作はまるで違うのだが、公爵令嬢の笑顔は彼女の母親の従妹である正妃によく似ていた。
 母親の言葉をすべて信じていた王太子にとって、正妃は母を苛めて苦しめる悪党だった。
 だから、正妃に似た公爵令嬢の笑顔は見たくなかったのだ。

(お爺様が怒る気にもなれないはずだ……)

 王太子は唇を噛んで、湧き上がって来た涙を飲み込んだ。
 自分には泣く資格もないと思ったからだ。
 母の罪を思ったからではない。王太子が泣きたくなったのは自分自身の罪のせいだ。

 担任教師も男爵令嬢も、王太子関係なく屑だった。
 けれど王太子が男爵令嬢を特別扱いしていたことで、彼らは『力』を持ったのだ。
 その『力』が無ければ、彼らとてここまで大それたことは考えなかったかもしれない。

 王太子が男爵令嬢に篭絡されなかったら。
 公爵令嬢を尊重し、その言葉を聞いていたら。
 今不幸になっている人間の数は減っていたかもしれない。今さら考えても仕方がないことなのだけれど──

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 公爵令嬢は、相変わらず学園には登校していない。
 意識が戻ったかどうかも王太子は知らない。
 あのとき謝罪も見舞いもしなかった時点で、祖父王は氷の公爵と王太子を公爵家に関わらせないという契約を結んでいた。

 契約を違反すれば、氷の公爵はこの国を捨てる。
 契約さえ守っていれば、氷の公爵自身は貴族としてこの国のために行動してくれるという。無辜の民のためだ。
 王太子が自分の罪悪感を解消するためだけに契約を違反することは出来なかった。

 公爵令嬢だけでなく、ほかの同級生達も教室にはいなくなっていた。国家反逆罪の共犯として処刑された者もいるし、家の恥だと廃嫡された者もいるようだ。
 一族郎党が巻き添えになったのは、担任教師と男爵令嬢、そして学園長だけだった。
 ほかの人間は当人のみの処刑で済んだ。

 なにも知らなかった人間が巻き添えになるのはどうかと思ったものの、二度と繰り返させないためにも見せしめが必要だと祖父王に言われると、なにも言えなかった。
 結局のところは王太子が男爵令嬢達から離れていれば良かったという話になる。

 王太子は自分以外だれもいなくなった教室で、ひとり授業を受ける。
 新しい教師は王家の影ではなく、学園にわずかに残っていた真っ当な教師だ。
 これなら王宮で家庭教師に習ったほうが良いのではないかと思うときもあるが、これだけの醜聞の後で王太子まで登校しなくなったら学園自体が無くなってしまうかもしれない。

 学園の生徒は王太子の同級生達だけではないし、支援を受けて通っている平民もいる。学園が無くなったら、彼らは学ぶ場を失ってしまう。
 王太子は学園に通い続けなくてはいけない。
 これ以上不幸な人間を増やさないためにも、学園を存続させなくてはならないのだ。甘い言葉に騙されるのではなく、甘い言葉の裏にあるものを読み取れる人間を育てるためにも。

(時間が戻ったら、もう間違えないのに。この手を汚してでも母を止めるのに……)

 ときおりそう思うこともあるけれど、なにも知らなかったころの時間はもう戻ってこない。
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