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第一話 公爵令嬢
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「王太子殿下!」
王国の貴族子女が通う学園の廊下で私が呼びかけると、王太子殿下は男爵令嬢の腰を抱いたまま振り向いた。
ふたりの周りには多くの取り巻き達がいる。
殿下の婚約者であり、公爵令嬢でもある私の周囲にはだれもいない。
「……なんだ」
不機嫌そうな顔で殿下が言う。
男爵令嬢は嘲笑を浮かべ、取り巻き達は侮蔑の視線を私へと向ける。
いつものこととはいえ、他人から害意を向けられるのは心地の良いことではない。それでも王太子殿下の婚約者として、私は言わなくてはいけない。
「王太子殿下は、そちらの男爵令嬢のことをいかがなさるおつもりなのでしょうか?」
「そなたが気にするようなことではない」
「いいえ。殿下の婚約者として、この学園で殿下に次ぐ身分の公爵家の娘として申し上げます。男爵令嬢では殿下の側妃にすることも出来ません。たとえ学園の間だけの関係だとしても、殿下との不貞で誇りを傷つけられるのは彼女のほうです。彼女のことを想うのならなおさら、噂になるようなおこないは慎むべきでしょう」
「うるさい、黙れ! 男爵令嬢の悪評をばら撒いているのはそなたであろう! 私はそなたが婚約者だとは認めていない。不貞ではない。男爵令嬢こそが私の真実の愛の相手だ」
「嬉しいですぅ~」
笑みを浮かべて王太子殿下に抱き着く男爵令嬢。
「……嫉妬に狂った女というのは見苦しいものだな」
「……公爵家の力を使って無理矢理婚約者になっておいて図々しいわね」
「……愛されない自分を恥じて消えてしまえば良いのに」
取り巻き達や少し離れて眺めている教室を出たばかりの同級生達の口から、私に対する悪意に満ちた言葉がこぼれ落ちる。
何度聞いても心が凍りつく。
そもそも私が望んだ婚約ではない。先代公爵であった私の両親が領地から王都へ向かう途中の馬車の事故で亡くなった後、当時は学園に入学したところでまだ力のなかったお兄様が、王命に逆らえずに受け入れた婚約だ。
もしも公爵家の力を使えば愛する人が手に入るというのなら、私、私は──
遠い記憶が頭を過ぎる。
あのとき我儘を言わなければ、彼は今も私のところにいてくれたのだろうか。
俯いて思索に耽りかけた私は殿下の足音に顔を上げた。
「お待ちください、殿下。男爵令嬢のことを想うのなら……」
「うるさいと言っている!」
「殿下の邪魔をするなっ!」
王太子殿下の取り巻きのひとり、子爵令息が私に風の魔法で攻撃してきた。
これまでも魔法の実習などで誤ったふりをして攻撃されることはよくあった。
さすがに担任教師や学園長に報告したのだけれど、些細な事故を大げさに騒ぐなと言われて、私のほうが注意を受けた。
諦めて自分で防御魔法を使って防ぐようにしていたのだが、ここは魔法の実習用に結界が張られた場所ではない。
私は防御魔法を発動出来なかった。
慌てて避けようとしたものの、足がもつれて転びかける。そこに直撃ではないとはいえ、風の攻撃魔法の風圧がかかった。
私は激しい勢いで学園の壁に叩きつけられた。
背中が痛い。
この痛みは知っている。あのとき、樹上から落ちたときと同じだ。また数日間意識を失ってしまうのだろうか。それとも、今度こそ死んでしまうのかもしれない。あのときも助かったのは奇跡だと公爵家の主治医が言っていた。
私は死ぬのかしら。死んだら彼に会えるのかしら。
でも彼は許してくれないかもしれない。彼とお兄様に危ないと止められたのに、我儘を言って木に登った私のことを。
そう、きっと許してくれない。
私の木登りを止めなかったという罪で、私の知らぬ間に処分されてしまった彼は──
王国の貴族子女が通う学園の廊下で私が呼びかけると、王太子殿下は男爵令嬢の腰を抱いたまま振り向いた。
ふたりの周りには多くの取り巻き達がいる。
殿下の婚約者であり、公爵令嬢でもある私の周囲にはだれもいない。
「……なんだ」
不機嫌そうな顔で殿下が言う。
男爵令嬢は嘲笑を浮かべ、取り巻き達は侮蔑の視線を私へと向ける。
いつものこととはいえ、他人から害意を向けられるのは心地の良いことではない。それでも王太子殿下の婚約者として、私は言わなくてはいけない。
「王太子殿下は、そちらの男爵令嬢のことをいかがなさるおつもりなのでしょうか?」
「そなたが気にするようなことではない」
「いいえ。殿下の婚約者として、この学園で殿下に次ぐ身分の公爵家の娘として申し上げます。男爵令嬢では殿下の側妃にすることも出来ません。たとえ学園の間だけの関係だとしても、殿下との不貞で誇りを傷つけられるのは彼女のほうです。彼女のことを想うのならなおさら、噂になるようなおこないは慎むべきでしょう」
「うるさい、黙れ! 男爵令嬢の悪評をばら撒いているのはそなたであろう! 私はそなたが婚約者だとは認めていない。不貞ではない。男爵令嬢こそが私の真実の愛の相手だ」
「嬉しいですぅ~」
笑みを浮かべて王太子殿下に抱き着く男爵令嬢。
「……嫉妬に狂った女というのは見苦しいものだな」
「……公爵家の力を使って無理矢理婚約者になっておいて図々しいわね」
「……愛されない自分を恥じて消えてしまえば良いのに」
取り巻き達や少し離れて眺めている教室を出たばかりの同級生達の口から、私に対する悪意に満ちた言葉がこぼれ落ちる。
何度聞いても心が凍りつく。
そもそも私が望んだ婚約ではない。先代公爵であった私の両親が領地から王都へ向かう途中の馬車の事故で亡くなった後、当時は学園に入学したところでまだ力のなかったお兄様が、王命に逆らえずに受け入れた婚約だ。
もしも公爵家の力を使えば愛する人が手に入るというのなら、私、私は──
遠い記憶が頭を過ぎる。
あのとき我儘を言わなければ、彼は今も私のところにいてくれたのだろうか。
俯いて思索に耽りかけた私は殿下の足音に顔を上げた。
「お待ちください、殿下。男爵令嬢のことを想うのなら……」
「うるさいと言っている!」
「殿下の邪魔をするなっ!」
王太子殿下の取り巻きのひとり、子爵令息が私に風の魔法で攻撃してきた。
これまでも魔法の実習などで誤ったふりをして攻撃されることはよくあった。
さすがに担任教師や学園長に報告したのだけれど、些細な事故を大げさに騒ぐなと言われて、私のほうが注意を受けた。
諦めて自分で防御魔法を使って防ぐようにしていたのだが、ここは魔法の実習用に結界が張られた場所ではない。
私は防御魔法を発動出来なかった。
慌てて避けようとしたものの、足がもつれて転びかける。そこに直撃ではないとはいえ、風の攻撃魔法の風圧がかかった。
私は激しい勢いで学園の壁に叩きつけられた。
背中が痛い。
この痛みは知っている。あのとき、樹上から落ちたときと同じだ。また数日間意識を失ってしまうのだろうか。それとも、今度こそ死んでしまうのかもしれない。あのときも助かったのは奇跡だと公爵家の主治医が言っていた。
私は死ぬのかしら。死んだら彼に会えるのかしら。
でも彼は許してくれないかもしれない。彼とお兄様に危ないと止められたのに、我儘を言って木に登った私のことを。
そう、きっと許してくれない。
私の木登りを止めなかったという罪で、私の知らぬ間に処分されてしまった彼は──
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