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「私達体の相性が良いみたいね、ってあの女は言ったでしょう?」
子爵邸からの帰り道、俺は行きつけの酒場に寄った。
ジャージダの昔の男だという店主が、ぽつりぽつりと語り始める。
今は友達だと笑い合うふたりに嫉妬したのも、ジャージダに溺れた一因だった。
「そうじゃなきゃいけないんですよね、浮気なんだから。大切な人を裏切ってまで体を交わしたんだから、普段より気持ち良くなくちゃいけない。罪を犯した上に気持ち良くなかったら、自分が莫迦みたいじゃないですか。だから、彼女の言葉を受け入れる。体の相性が良かったんだ、気持ち良かったんだ、浮気しただけの価値はあったんだ、そう思い込む」
彼はジャージダと別れて妻と再構築した。
この酒場は今日で閉店だ。
妻と幼い息子を連れて、この町を出て行くのだという。
「一度浮気したらね、元になんか戻れないんですよ。妻はもう二度と、心から俺を信じてくれることはないんです。だって浮気したんだから。これから浮気しないなんて保証どこにもない、出せない。だって浮気したんだから。浮気する男だって、自分で証明したんですから!……すみません、興奮してしまいました」
別れてもジャージダはこの店に来る。客として来られたら冷たくあしらうことは出来ない。店の評判に関わる。
それが嫌でべつの町へ行くのだという。
子どもがいなかったら捨てられていただろうと、彼は微笑む。
「あの女に手を出してしまったのは、妻が出産した直後でした。妊娠中に散々気を遣ったのに、子どもが生まれたら子どもに付きっ切りだなんて、って子どもにヤキモチ妬いて当てつけに浮気しちゃったんですよね。……俺にそっくりな、俺の子なのに」
店主は溜息をついた。
「ごめんなさい、お客さん。閉店準備があるので、次が最後のお酒になります」
「わかった。……この店がなくなると寂しくなるな」
「酒場なんていくらでもありますよ」
最後の酒を飲んで、俺はひとり帰路に就いた。
あの酒場がなければジャージダと浮気しなかったかもしれないなんて、責任転嫁が頭に浮かぶ。
なにを考えてももう遅い。時間は戻らないのだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
家に帰ってぼんやりしていると、夜遅くにジャージダが現れた。
ライサと離縁した後にせがまれて家の合鍵を渡していたのだ。
「急にごめんね、ピョートル。しばらく泊めてくれないかしら。……まあ、そのまま結婚してもいいけどね」
「学園の教員寮の部屋はどうしたんだ」
「ちょっとね」
俺は閉店記念にと余った酒瓶を何本かもらっていた。
盃に移すのも面倒で、瓶に直接口をつけて飲んでいる。
ライサがいたら、飲み過ぎよ、と心配そうな顔で見つめてくれているだろう。
「……生徒に手を出して免職処分を受けたんだって?」
「なんで知ってるの?」
ジャージダは俺と同じ平民だ。彼女には貴族に対する憧れがあるらしい。
在学時に口説こうとしていた教員が、結局自分ではなく婚約者の貴族令嬢を選んだという過去のせいだろうか。本人は愛し合っていたが引き裂かれた、と言っていたけれど本当のところはわからない。
教員として活動しながら、彼女は学園に通う貴族子息に粉をかけていた。
俺や酒場の店主と不倫したのは、不特定多数と付き合っているから自分ひとりに執着しないだろうと、貴族子息に思わせて油断させるためではないかと酒場の店主は言っていた。
相手をする生徒も少しはいたようだが、今回近づいた生徒は拒むだけでなく嫌悪を露わにした。彼が学園に届け出て、これまでの乱行が明らかになったのだ。
ジャージダはちらちらと俺を見る。
「ち、違うわよ。免職処分を受けたのは事実だけど、生徒に手を出したりはしてないわ。あなたと、その……今は違うけど、前は不倫だったでしょ? それで、ね?」
「俺のせいだって言うのか?」
「そうじゃないわ。恋愛は自由だもの。でもほら、あなたには奥さんがいたから……っ!」
俺は振り上げた酒瓶をジャージダに向けて振り下ろした。
「お前のせいでっ!」
「ちょ、なに、やめてピョートル!」
「お前のせいでっ!」
貴族街にある子爵邸を訪ねても、当然ながら門前払いを喰らわされた。
とぼとぼと帰る途中、伯爵家の紋章のついた馬車とすれ違った。
窓の向こうにライサの姿が見えた気がした。
「お前のせいでっ! お前のせいでっ!」
「いやっ! やめてっ!」
ジャージダだけが悪いわけではない。そんなことはわかっている。
それでも彼女が、この女がいなければ、俺とライサをつなぐ運命の糸が断ち切られることはなかった。離縁なんてしなかった。
俺は酒瓶を振るう手を止めることは出来なかった。
子爵邸からの帰り道、俺は行きつけの酒場に寄った。
ジャージダの昔の男だという店主が、ぽつりぽつりと語り始める。
今は友達だと笑い合うふたりに嫉妬したのも、ジャージダに溺れた一因だった。
「そうじゃなきゃいけないんですよね、浮気なんだから。大切な人を裏切ってまで体を交わしたんだから、普段より気持ち良くなくちゃいけない。罪を犯した上に気持ち良くなかったら、自分が莫迦みたいじゃないですか。だから、彼女の言葉を受け入れる。体の相性が良かったんだ、気持ち良かったんだ、浮気しただけの価値はあったんだ、そう思い込む」
彼はジャージダと別れて妻と再構築した。
この酒場は今日で閉店だ。
妻と幼い息子を連れて、この町を出て行くのだという。
「一度浮気したらね、元になんか戻れないんですよ。妻はもう二度と、心から俺を信じてくれることはないんです。だって浮気したんだから。これから浮気しないなんて保証どこにもない、出せない。だって浮気したんだから。浮気する男だって、自分で証明したんですから!……すみません、興奮してしまいました」
別れてもジャージダはこの店に来る。客として来られたら冷たくあしらうことは出来ない。店の評判に関わる。
それが嫌でべつの町へ行くのだという。
子どもがいなかったら捨てられていただろうと、彼は微笑む。
「あの女に手を出してしまったのは、妻が出産した直後でした。妊娠中に散々気を遣ったのに、子どもが生まれたら子どもに付きっ切りだなんて、って子どもにヤキモチ妬いて当てつけに浮気しちゃったんですよね。……俺にそっくりな、俺の子なのに」
店主は溜息をついた。
「ごめんなさい、お客さん。閉店準備があるので、次が最後のお酒になります」
「わかった。……この店がなくなると寂しくなるな」
「酒場なんていくらでもありますよ」
最後の酒を飲んで、俺はひとり帰路に就いた。
あの酒場がなければジャージダと浮気しなかったかもしれないなんて、責任転嫁が頭に浮かぶ。
なにを考えてももう遅い。時間は戻らないのだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
家に帰ってぼんやりしていると、夜遅くにジャージダが現れた。
ライサと離縁した後にせがまれて家の合鍵を渡していたのだ。
「急にごめんね、ピョートル。しばらく泊めてくれないかしら。……まあ、そのまま結婚してもいいけどね」
「学園の教員寮の部屋はどうしたんだ」
「ちょっとね」
俺は閉店記念にと余った酒瓶を何本かもらっていた。
盃に移すのも面倒で、瓶に直接口をつけて飲んでいる。
ライサがいたら、飲み過ぎよ、と心配そうな顔で見つめてくれているだろう。
「……生徒に手を出して免職処分を受けたんだって?」
「なんで知ってるの?」
ジャージダは俺と同じ平民だ。彼女には貴族に対する憧れがあるらしい。
在学時に口説こうとしていた教員が、結局自分ではなく婚約者の貴族令嬢を選んだという過去のせいだろうか。本人は愛し合っていたが引き裂かれた、と言っていたけれど本当のところはわからない。
教員として活動しながら、彼女は学園に通う貴族子息に粉をかけていた。
俺や酒場の店主と不倫したのは、不特定多数と付き合っているから自分ひとりに執着しないだろうと、貴族子息に思わせて油断させるためではないかと酒場の店主は言っていた。
相手をする生徒も少しはいたようだが、今回近づいた生徒は拒むだけでなく嫌悪を露わにした。彼が学園に届け出て、これまでの乱行が明らかになったのだ。
ジャージダはちらちらと俺を見る。
「ち、違うわよ。免職処分を受けたのは事実だけど、生徒に手を出したりはしてないわ。あなたと、その……今は違うけど、前は不倫だったでしょ? それで、ね?」
「俺のせいだって言うのか?」
「そうじゃないわ。恋愛は自由だもの。でもほら、あなたには奥さんがいたから……っ!」
俺は振り上げた酒瓶をジャージダに向けて振り下ろした。
「お前のせいでっ!」
「ちょ、なに、やめてピョートル!」
「お前のせいでっ!」
貴族街にある子爵邸を訪ねても、当然ながら門前払いを喰らわされた。
とぼとぼと帰る途中、伯爵家の紋章のついた馬車とすれ違った。
窓の向こうにライサの姿が見えた気がした。
「お前のせいでっ! お前のせいでっ!」
「いやっ! やめてっ!」
ジャージダだけが悪いわけではない。そんなことはわかっている。
それでも彼女が、この女がいなければ、俺とライサをつなぐ運命の糸が断ち切られることはなかった。離縁なんてしなかった。
俺は酒瓶を振るう手を止めることは出来なかった。
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