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第一話 彼という男性
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久しぶりに会う元婚約者は、体の右側さえ視界に入れなければ正気に見えた。
「一ヶ月ぶりだね、カルロタ」
亡くなったお母様が私に遺してくださった王都の屋敷の応接室で、右利きだったベネデットが左手で器用にお茶を唇に運ぶ。
いつつ年上の彼は黄金色の髪に青い瞳、青く見えるほど透き通った白い肌を持ついかにも貴族といった雰囲気の男性だ。
彼の背後に立つ研究員を確認して、私は答えた。
「いいえ。一年以上ぶりよ、ベネデット様」
ベネデットが瞳を見開くより先に、彼の左に立つ侍女が顔色を変えた。
──プニツィオーネ。
かつては私付きの侍女だった女。年齢が近いからと信用して、私の悩みや学園での生活を話していたら、それを捻じ曲げてベネデットに伝えていた女だ。私に放逐された後で、精神魔術研究所に拾われていたらしい。
精神魔術研究所はかつてのベネデットの職場で、今は住居だ。
「なにを言っているんだい、カルロタ。婚約者同士のお茶会は月に一度だろう」
ベネデットが笑って言ったので、プニツィオーネは胸を撫で下ろしていた。
記憶を取り戻したときのベネデットは、とてつもなく恐ろしいようだ。毎月壊されかけていた、この屋敷の玄関扉のことを考えれば想像がつく。
彼が座るソファの後ろの研究員は無言で記録を取っている。
「しかし……こんなに天気が良いのだから、中庭でのお茶会でも良かったのではないかな?」
眩しい陽光を差し込んでくる窓の外の青空を見ながら尋ねてくるベネデットに、私は首を横に振った。
「ベネデット様。わざわざ中庭に出なくても、インチテンデはいつも貴方のお隣にいますわ」
インチテンデは私の異母妹。
伯爵だった父が外で作った子どもだ。
裕福だが平民で商家の出だったお母様と違い、彼女の母親は下位貴族の令嬢だった。伯爵は身分の違いを理由に求婚を拒むお母様を拝み倒して強引に籍を入れた。しかし、その裏で愛人とも関係を持ち続けていたのだ。なにしろ異母妹は私と同い年だったのだから。
私はお母様と祖父に対する人質だった。
伯爵家の正式な跡取りとして届け出られたことで、お母様は伯爵と離縁しても私を家から連れ出すことが出来なくなった。
お母様の死後、平民である祖父が私の後見人になることも不可能だった。
私の言葉を聞いてベネデットの表情が硬くなる。
「なにを言っているんだい。君の異母妹だから家族として仲良くなりたいとは思っているけれど、今日の僕は君に会いに来たんだよ。そもそも僕の隣にはだれもいないじゃないか」
研究員が筆を走らせる。
ベネデットは左に立つプニツィオーネに視線を送ったが、侯爵家の次男として生まれ育った彼にとって、使用人は動く家具に過ぎない。
すぐにプニツィオーネから視線を外して、私へと戻した彼が微笑む。
貴族然とした優雅な微笑みを浮かべるベネデットを愛していたこともある。
そう、婚約を破棄されるまでは、どんなに彼の瞳がインチテンデを追っていても、月に一度のお茶会で乱入してくる異母妹とばかり語らっていても、私が彼女を虐めていると決めつけて罵って来ても、彼を愛していた。愛そうと努力していた。
すべては無駄だったけれど。
私は、私が座るソファの後ろに立つゴッフレードから書類を受け取った。
研究員に止める素振りはない。
プニツィオーネは嫌がっているみたいだけれど、彼女に従う義理はない。たとえ真実を思い出したベネデットが暴れ出したとしても、研究員の隣に控えた逞しい男性達が彼を取り押さえてくれる。
そして私にはゴッフレードがいる。
ゴッフレードはいつも側にいて私を支えてくれる大切な人だ。
ベネデットに書類を渡して、私は告げた。
「ベネデット様。私と貴方の婚約は一年以上前に破棄されています。貴方はインチテンデを選んで私を捨てたのです。彼女は今も貴方の隣にいます」
「一ヶ月ぶりだね、カルロタ」
亡くなったお母様が私に遺してくださった王都の屋敷の応接室で、右利きだったベネデットが左手で器用にお茶を唇に運ぶ。
いつつ年上の彼は黄金色の髪に青い瞳、青く見えるほど透き通った白い肌を持ついかにも貴族といった雰囲気の男性だ。
彼の背後に立つ研究員を確認して、私は答えた。
「いいえ。一年以上ぶりよ、ベネデット様」
ベネデットが瞳を見開くより先に、彼の左に立つ侍女が顔色を変えた。
──プニツィオーネ。
かつては私付きの侍女だった女。年齢が近いからと信用して、私の悩みや学園での生活を話していたら、それを捻じ曲げてベネデットに伝えていた女だ。私に放逐された後で、精神魔術研究所に拾われていたらしい。
精神魔術研究所はかつてのベネデットの職場で、今は住居だ。
「なにを言っているんだい、カルロタ。婚約者同士のお茶会は月に一度だろう」
ベネデットが笑って言ったので、プニツィオーネは胸を撫で下ろしていた。
記憶を取り戻したときのベネデットは、とてつもなく恐ろしいようだ。毎月壊されかけていた、この屋敷の玄関扉のことを考えれば想像がつく。
彼が座るソファの後ろの研究員は無言で記録を取っている。
「しかし……こんなに天気が良いのだから、中庭でのお茶会でも良かったのではないかな?」
眩しい陽光を差し込んでくる窓の外の青空を見ながら尋ねてくるベネデットに、私は首を横に振った。
「ベネデット様。わざわざ中庭に出なくても、インチテンデはいつも貴方のお隣にいますわ」
インチテンデは私の異母妹。
伯爵だった父が外で作った子どもだ。
裕福だが平民で商家の出だったお母様と違い、彼女の母親は下位貴族の令嬢だった。伯爵は身分の違いを理由に求婚を拒むお母様を拝み倒して強引に籍を入れた。しかし、その裏で愛人とも関係を持ち続けていたのだ。なにしろ異母妹は私と同い年だったのだから。
私はお母様と祖父に対する人質だった。
伯爵家の正式な跡取りとして届け出られたことで、お母様は伯爵と離縁しても私を家から連れ出すことが出来なくなった。
お母様の死後、平民である祖父が私の後見人になることも不可能だった。
私の言葉を聞いてベネデットの表情が硬くなる。
「なにを言っているんだい。君の異母妹だから家族として仲良くなりたいとは思っているけれど、今日の僕は君に会いに来たんだよ。そもそも僕の隣にはだれもいないじゃないか」
研究員が筆を走らせる。
ベネデットは左に立つプニツィオーネに視線を送ったが、侯爵家の次男として生まれ育った彼にとって、使用人は動く家具に過ぎない。
すぐにプニツィオーネから視線を外して、私へと戻した彼が微笑む。
貴族然とした優雅な微笑みを浮かべるベネデットを愛していたこともある。
そう、婚約を破棄されるまでは、どんなに彼の瞳がインチテンデを追っていても、月に一度のお茶会で乱入してくる異母妹とばかり語らっていても、私が彼女を虐めていると決めつけて罵って来ても、彼を愛していた。愛そうと努力していた。
すべては無駄だったけれど。
私は、私が座るソファの後ろに立つゴッフレードから書類を受け取った。
研究員に止める素振りはない。
プニツィオーネは嫌がっているみたいだけれど、彼女に従う義理はない。たとえ真実を思い出したベネデットが暴れ出したとしても、研究員の隣に控えた逞しい男性達が彼を取り押さえてくれる。
そして私にはゴッフレードがいる。
ゴッフレードはいつも側にいて私を支えてくれる大切な人だ。
ベネデットに書類を渡して、私は告げた。
「ベネデット様。私と貴方の婚約は一年以上前に破棄されています。貴方はインチテンデを選んで私を捨てたのです。彼女は今も貴方の隣にいます」
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