この恋は幻だから

豆狸

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「本当ですか、お父様」
「ああ」

 私の前に座った父が重々しく頷く。
 我が家は王国一の忠臣として知られている侯爵家。
 侯爵令嬢である私は、幼いころから王太子殿下と婚約をしていた。

「王太子殿下から正式な婚約解消の話があった。殿下は例の男爵令嬢とのご結婚をお望みらしい」

 体が強張る。
 父は私に幻滅しているだろうか。父と、文官として王宮で働いている兄は、母亡き後私を慈しみ、大切に育ててくれた。だからこそ厳しい王妃教育にも耐えられたのだ。
 それがこの有様では、王太子殿下の御心ひとつ掴んでおけない情けない娘、家の恥だと罵られても仕方がない。

「……すまなかったな」
「お父様?」
「こんなことになるのなら、お前を王太子殿下と婚約させるのではなかった。お前にこんな辛い思いをさせるだなんて、亡くなったお前の母に申し訳が立たない」
「お父様……」

 病弱だった母が亡くなったときにも泣かなかった父の涙を初めて見た。

「わ、私に魅力がないのがいけないのです」
「そんなことあるものか! お前はどこへ出しても恥ずかしくない立派な娘だ。いずれ王妃になるのだからと距離を置き厳しくしてきたが、本当はいつでもだれにでも自慢したかった。嫁になどやらんと我儘を言いたかった。それを……あの色ボケ王太子め……」

 最後の言葉は聞かなかった振りをした。
 我が家は王国一の忠臣として知られている。
 父が王族に対して不忠な発言をするのは、これが最初で最後だろう。

 ──と、思ったのだけれど、父は連絡を受けて王宮から戻ってきた兄と酒を飲みながら王家を罵りまくった。

 あの……お父様、お兄様。
 私のために怒ってくださるのは大変嬉しいのですが、この国から出ていくわけではないので、ほどほどにしてくださいましね。
 だれかに聞かれたらエライことでしてよ?

 酔っぱらったお父様とお兄様は私を抱き締めて、一生この家にいればいいと言ってくださった。
 王太子殿下に婚約を破棄された侯爵令嬢だなんて、どこにも貰い手がないものね。
 ありがとうございます、お父様お兄様。でも少々飲み過ぎだと思います。お酒臭いです。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 王国一の忠臣の家としては、粛々と婚約解消を受け入れるしかなかった。
 けれどお父様とお兄様は私に、王太子殿下に言いたいことがあったら言えばいいとおっしゃってくださった。それで罰を受けるなら、家族でこの国を出ようとまで。
 だから、少々恨み言を言わせていただこうと思います。恨み言というより忠告かしら。

 翌日の学園で、私は王太子殿下を探した。
 殿下はいつものように男爵令嬢と一緒に廊下を歩いていた。
 周囲には殿下の側近達もいる。彼らもまた、男爵令嬢の取り巻きなのだ。

「王太子殿下」

 決意を胸に呼びかける。
 私を映す殿下の瞳は冷たい。

「なんの用だ? 婚約解消に不満でもあるのか?」
「いいえ。婚約解消については粛々とお受けいたします」
「それは重畳」
「ですが、殿下に申し上げたいことがございます!」
「俺にはそなたの話を聞く無駄な時間はない」
「殿下っ!」
「やだ、怖ーい」
「「「無礼者、ご令嬢に近寄るなっ!」」」

 殿下に向かって一歩踏み出しただけなのに、男爵令嬢が怯えた声を上げる。
 その瞬間、取り巻き達が一斉に私を睨みつけた。
 王太子殿下の護衛騎士が腕を伸ばし、私を突き飛ばす。

「……え?」

 私は床に尻餅をついた。
 ……武器も持たない、なんの攻撃もしていない女を軍人である騎士が突き飛ばす?
 これが、この王国の未来を担う王太子の側近のすることなのかしら。

「お待ちなさいっ!」

 立ち去ろうとする彼らに呼びかけたが、振り返ったのは男爵令嬢だけだった。
 ニヤニヤと人の悪そうな笑みで見つめてくる。
 彼女は王太子殿下の腕に抱きついた。

「殿下ぁ、あの人が睨みつけてくるー」
「……王国一の忠臣と言われている侯爵家の令嬢であろうとも、俺の恋人に危害を加えるようなら容赦はしないぞ」

 私を見るときは冷たく凍りついていた瞳は、男爵令嬢を見つめるときだけ熱を帯びる。
 ああ、もうダメなのだ。
 昔の殿下なら、たとえ私が罪人であろうとも手を貸して立ち上がらせてくれただろうに。王太子殿下は彼女への恋で変わってしまったのだ。彼の耳には私の言葉は届かない。どんな忠告も諫言も聞く耳がなければ消えていくだけだ。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 どれだけ呆然としていたのだろう。
 そろそろ次の授業が始まる。

「……痛っ」

 立ち上がろうとして、私は自分が足を挫いていることに気づいた。
 どうしよう。助けを求められそうな方が近くにいなかった。
 私のお友達は王太子殿下の側近達の婚約者が多い。常に婚約者よりも男爵令嬢を優先する殿方に傷ついて、ほとんどのご令嬢が休学してらっしゃる。

「足を挫かれたのですか? 僕でよろしければ手をお貸ししますよ、侯爵令嬢」
「まあ、ありがとうございます」

 声をかけてくれたのは、大きな三角形の耳とフカフカの尻尾を持つ獣人の青年だった。
 狐獣人だ。
 人間至上主義の教団に集落を滅ぼされて王国へ逃げてきたのだと聞いている。……行く当てのない彼らの受け入れに尽力したのは、かつての王太子殿下だった。

 ──狐獣人の彼の手は、なんだかとても温かかった。
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