上 下
9 / 10

第九話 その後の彼

しおりを挟む
 ピラール様は八年前にお亡くなりになりました。
 私が看病しなかったから、だなんて自惚れるつもりはありませんし、罪悪感に囚われるつもりもありません。
 出来るだけのことはしたのです。──夫のホセが。

 アロンソ商会と帝国は、以前から赤炎豆の危険性に気づいていました。
 赤炎豆とは貧者の救いとも呼ばれている食材で、やせた土地でも良く育ち大量に収穫出来て栄養もあるという優れた作物です。
 ですが赤炎豆には毒があり、十歳以下のときに食べないと耐性が出来ず、耐性のないものが食べると死に至ることもありました。

 戻る前の私が死んだのは、赤炎豆のせいだろうと夫は言いました。
 ピラール様の看病をしていたときに吐しゃ物や排泄物から吸収して蓄積していた赤炎豆の毒が、ロコさんとの出会いで発症する量になったのではないかと。
 ロコさんも悪意があったのではなく、仕事の都合で気づかぬところに赤炎豆の粉を帯びていたのではないかという話です。

「今はアロンソ商会 うち の呼びかけで禁止されていますが、以前は赤炎豆を粉にしてパンに混ぜるという行為が普通だったんです。量が増えてお腹が膨れますし、耐性のある平民なら毒を気にする必要もないですからね」

 ロコさんは下町の衛兵詰所で料理人をしていたと聞きました。
 体が資本で平民出身の衛兵なら、赤炎豆粉入りのパンを食べていても不思議はありません。
 料理人のロコさんが赤炎豆の粉を帯びているのも当然です。潮風を浴びた後の髪に残る砂や塩のように、粉状のものを完全に排除するのは難しいことですから。

「たぶん前のときの俺は貴女に振られて、あまり王国には関わらないようにしていたのでしょう。今回は王国を第二の本拠地と考えて、いくつもの商会を買収して配下に取り込みましたからね。従業員の健康に留意するのは当然のことです」

 赤炎豆は王国平民の食生活を支配していました。
 水に晒せば多少毒が抜けるのですが、毎日の生活でそんな手間はかけられません。貧しい人々は忙しいのです。
 それに、耐性のある自分達には毒は効かないのですから、する意味がありません。

 夫はアロンソ商会で働く船医を支援して赤炎豆の毒を研究させ、同時に商会と契約している農家で毒のない赤炎豆を作る品種改良をさせました。
 大量に収穫出来る赤炎豆は、その分個々の違いが大きく、品種改良は一気に進みました。
 今は毒がなく収穫量が多い紫色の豆が主流となりつつあります。ただ毒と栄養が密接に結びついていたらしく、栄養量は少し赤炎豆に劣るようです。

「その辺りはこれからの改良次第ですね。……いくら紫色だからといって、アロンソのホセ豆なんて呼ぶのはやめて欲しいんですけど」
「ふふふ。それだけ貴方が慕われているということですわ」

 九年前、やまいで子爵家に戻ったピラール様に、ホセは赤炎豆の毒を研究していた船医を紹介してくれました。
 考えてみると前のとき、ピラール様を診ていた貴族出身の医者は体調を崩して何度も交代していました。
 私のようにピラール様の吐しゃ物や排泄物から赤炎豆の毒を受けてしまったのでしょう。

 船医は王国出身の平民のため赤炎豆の毒に耐性がありました。
 アロンソ商会の支援を受ける前から、船員の健康を守るために食材の研究をされていた方だったのです。
 耐性がついている王国民でも長い船上生活で疲労が溜まれば発病する可能性もありましたし、赤炎豆を食べない他国民との交流でやまいを広げてしまうこともあったからです。

 ピラール様は前のように完治はなさいませんでしたが、意識は早めに取り戻されました。
 お亡くなりになる直前まで、熱はあっても簡単な書き物は出来るくらいの小康状態だったようです。私のことを知って、結婚への祝福と婚約破棄の謝罪を告げる手紙をくださいました。
 平民は罹らないと言われても心配だったのでしょう、ピラール様はロコさんと再会することはありませんでした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されない令嬢は全てを諦めた

ツカノ
恋愛
繰り返し夢を見る。それは男爵令嬢と真実の愛を見つけた婚約者に婚約破棄された挙げ句に処刑される夢。 夢を見る度に、婚約者との顔合わせの当日に巻き戻ってしまう。 令嬢が諦めの境地に至った時、いつもとは違う展開になったのだった。 三話完結予定。

彼女を殺してはいけません。

豆狸
恋愛
『私がお守りします。ずっとずっと、ロドルフ様のことを愛します』 幼い私がそう約束したとき、父の不貞で光を失った髪飾りの白い花が輝いていたと悪魔が教えてくれました。あのとき悪魔もいたのでしょうか? だけど髪飾りが砕けた以上その約束も無効になるでしょう。 悪魔にこの身を捧げる前に大精霊様方から罰を受けるかもしれませんね、愛するべきではない方を愛した罪で。

あなたの秘密を知っています。

豆狸
恋愛
ならず者を雇わない系の令嬢。

【完結】どうか私を思い出さないで

miniko
恋愛
コーデリアとアルバートは相思相愛の婚約者同士だった。 一年後には学園を卒業し、正式に婚姻を結ぶはずだったのだが……。 ある事件が原因で、二人を取り巻く状況が大きく変化してしまう。 コーデリアはアルバートの足手まといになりたくなくて、身を切る思いで別れを決意した。 「貴方に触れるのは、きっとこれが最後になるのね」 それなのに、運命は二人を再び引き寄せる。 「たとえ記憶を失ったとしても、きっと僕は、何度でも君に恋をする」

殿下の御心のままに。

cyaru
恋愛
王太子アルフレッドは呟くようにアンカソン公爵家の令嬢ツェツィーリアに告げた。 アルフレッドの側近カレドウス(宰相子息)が婚姻の礼を目前に令嬢側から婚約破棄されてしまった。 「運命の出会い」をしたという平民女性に傾倒した挙句、子を成したという。 激怒した宰相はカレドウスを廃嫡。だがカレドウスは「幸せだ」と言った。 身分を棄てることも厭わないと思えるほどの激情はアルフレッドは経験した事がなかった。 その日からアルフレッドは思う事があったのだと告げた。 「恋をしてみたい。運命の出会いと言うのは生涯に一度あるかないかと聞く。だから――」 ツェツィーリアは一瞬、貴族の仮面が取れた。しかし直ぐに微笑んだ。 ※後半は騎士がデレますがイラっとする展開もあります。 ※シリアスな話っぽいですが気のせいです。 ※エグくてゲロいざまぁはないと思いますが作者判断ですのでご留意ください  (基本血は出ないと思いますが鼻血は出るかも知れません) ※作者の勝手な設定の為こうではないか、あぁではないかと言う一般的な物とは似て非なると考えて下さい ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。  史実などに基づいたものではない事をご理解ください。 ※作者都合のご都合主義、創作の話です。至って真面目に書いています。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

それでも、私は幸せです~二番目にすらなれない妖精姫の結婚~

柵空いとま
恋愛
家族のために、婚約者である第二王子のために。政治的な理由で選ばれただけだと、ちゃんとわかっている。 大好きな人達に恥をかかせないために、侯爵令嬢シエラは幼い頃からひたすら努力した。六年間も苦手な妃教育、周りからの心無い言葉に耐えた結果、いよいよ来月、婚約者と結婚する……はずだった。そんな彼女を待ち受けたのは他の女性と仲睦まじく歩いている婚約者の姿と一方的な婚約解消。それだけではなく、シエラの新しい嫁ぎ先が既に決まったという事実も告げられた。その相手は、悪名高い隣国の英雄であるが――。 これは、どんなに頑張っても大好きな人の一番目どころか二番目にすらなれなかった少女が自分の「幸せ」の形を見つめ直す物語。 ※他のサイトにも投稿しています

【完結】愛していないと王子が言った

miniko
恋愛
王子の婚約者であるリリアナは、大好きな彼が「リリアナの事など愛していない」と言っているのを、偶然立ち聞きしてしまう。 「こんな気持ちになるならば、恋など知りたくはなかったのに・・・」 ショックを受けたリリアナは、王子と距離を置こうとするのだが、なかなか上手くいかず・・・。 ※合わない場合はそっ閉じお願いします。 ※感想欄、ネタバレ有りの振り分けをしていないので、本編未読の方は自己責任で閲覧お願いします。

もうあなたを離さない

梅雨の人
恋愛
幸せ真っただ中の夫婦に突如訪れた異変。 ある日夫がレズリーという女を屋敷に連れてきたことから、決定的にその幸せは崩れていく。 夫は本当に心変わりしたのか、それとも…。 幸せ夫婦を襲った悲劇とやり直しの物語。

処理中です...