8 / 10
第八話 ソフィーの父
しおりを挟む
「愛されたことが……ない?」
娘の言葉を繰り返して、ソフィーの父はそれが真実だと気づいた。
真正面から顔を合わせたのもこれが初めてかもしれない。
王太子が婚約の顔合わせに来たときはどうだったろうかと思い返し、妻とふたりで侯爵邸の中庭ではしゃぐ王太子とベーゼを追いかけていた記憶しかないことに愕然とする。
妻──後妻ブーゼ。
先妻から彼女の名前を聞いたことはなかったが、彼女は葬儀にやって来て先妻の親友だったと侯爵に告げた。
よちよち歩きがやっとで、意味をなさない片言しか発せない年ごろのソフィーを育てるのが不安だと吐露したら、自分が母親代わりになると言ってくれた。一緒に暮らしているうちに関係を持ち、再婚した。先妻を喪った悲しみから癒してくれた恩人だと思っていた。
(そうだ。どうして物心もつかない年ごろのソフィーが私を嫌っているなどと言われて、それを信じたんだ。話をしなければ誤解も解けないし仲直りも出来ないじゃないか。病気のときに見舞いもしない親に愛されてるだなんて、だれが思う?)
先ほど言葉を失った侯爵に対して、ソフィーは最後まで謝り続けていた。
愛した女性の産んでくれた子どもに、自分の存在が迷惑だっただなんて思わせたくはなかった。なのに思わせていたのだ。
考えてみれば、侯爵にはソフィーに嫌われているから見舞いに行かないほうが良いと言いながら、ブーゼ自身もソフィーの看病などしていなかった。
(いつからそうだったんだ? 正式に結婚してからか? 先妻の本当の親友だった女王陛下が私の再婚を祝福するとき、複雑そうな顔をしていたのはなぜだ?)
地図から地名を探す遊戯をしているとき大きな地名ほど案外気づかないように、侯爵は目の前で娘のソフィーが置かれている状況にこれまで気づいていなかった。
先妻の実家が滅んでいなければ、親族がひとりでも生き残っていれば、だれかがソフィーの置かれている状況の異常さに気づいてくれていたかもしれない。
しかしだれもいなかった。婚約者の王太子でさえベーゼとの不貞に浮かれて、ソフィーを見てはいなかった。
使用人達が異常だと感じていたとしても口を開くわけがない。
亡くなった先妻とよりも新しい侯爵夫人となったブーゼと過ごした時間のほうが長いし、侯爵自身がなにも言わない以上、これがこの家の普通だと受け止めるしかなかったのだ。
ソフィー自身も物心がつく前からのことだから、これが当たり前だと思っていたのだろう。それでもソフィーは侯爵に愛されたかったと言ってくれた。
(そもそもソフィーの婚約者である王太子殿下に妹のベーゼが擦り寄るのを注意もしていなかった時点でおかしいじゃないか)
侯爵はブーゼが得体の知れない化け物のように思えてきた。
今だって部屋に籠もったベーゼと一緒にいるのは事件を起こしたことを叱るためではなく、王太子の新しい婚約者となれなくて落ち込んでいる娘を慰めるためだと聞いている。
どうもあの親娘は恋愛のためなら、なにもしても良いと考えているように感じられた。
お茶会の場にスズメバチの巣を投げ込むだなんて、嫌がらせを通り越して殺人未遂である。
不貞には王太子の責任もあるからと、女王がなんとか罪にせず収めてくれたのだ。
本来なら死罪になっていてもおかしくない。
(いや、化け物なのは私もだ。妻を喪った悲しみから目を逸らし、幼いソフィーと向き合うこともせず、ブーゼの言うがままになっていたのだから)
これからの自分に出来るのは、あの親娘を封じることだけだ。
ベーゼは王太子を諦めないだろうし、ブーゼはベーゼを止めないだろう。
他家の令嬢となったソフィーにまで累が及ばないよう、あのふたりの行動を監視して、これ以上問題を起こさせないようにするしかない。それがもうひとりの娘であるベーゼのためでもあるはずだ。いざとなったら──
「……ソフィー……」
何年も呼んでいなかった名前を呟くと、幼い彼女が嬉し気に笑う姿が脳裏を横切った。
娘の言葉を繰り返して、ソフィーの父はそれが真実だと気づいた。
真正面から顔を合わせたのもこれが初めてかもしれない。
王太子が婚約の顔合わせに来たときはどうだったろうかと思い返し、妻とふたりで侯爵邸の中庭ではしゃぐ王太子とベーゼを追いかけていた記憶しかないことに愕然とする。
妻──後妻ブーゼ。
先妻から彼女の名前を聞いたことはなかったが、彼女は葬儀にやって来て先妻の親友だったと侯爵に告げた。
よちよち歩きがやっとで、意味をなさない片言しか発せない年ごろのソフィーを育てるのが不安だと吐露したら、自分が母親代わりになると言ってくれた。一緒に暮らしているうちに関係を持ち、再婚した。先妻を喪った悲しみから癒してくれた恩人だと思っていた。
(そうだ。どうして物心もつかない年ごろのソフィーが私を嫌っているなどと言われて、それを信じたんだ。話をしなければ誤解も解けないし仲直りも出来ないじゃないか。病気のときに見舞いもしない親に愛されてるだなんて、だれが思う?)
先ほど言葉を失った侯爵に対して、ソフィーは最後まで謝り続けていた。
愛した女性の産んでくれた子どもに、自分の存在が迷惑だっただなんて思わせたくはなかった。なのに思わせていたのだ。
考えてみれば、侯爵にはソフィーに嫌われているから見舞いに行かないほうが良いと言いながら、ブーゼ自身もソフィーの看病などしていなかった。
(いつからそうだったんだ? 正式に結婚してからか? 先妻の本当の親友だった女王陛下が私の再婚を祝福するとき、複雑そうな顔をしていたのはなぜだ?)
地図から地名を探す遊戯をしているとき大きな地名ほど案外気づかないように、侯爵は目の前で娘のソフィーが置かれている状況にこれまで気づいていなかった。
先妻の実家が滅んでいなければ、親族がひとりでも生き残っていれば、だれかがソフィーの置かれている状況の異常さに気づいてくれていたかもしれない。
しかしだれもいなかった。婚約者の王太子でさえベーゼとの不貞に浮かれて、ソフィーを見てはいなかった。
使用人達が異常だと感じていたとしても口を開くわけがない。
亡くなった先妻とよりも新しい侯爵夫人となったブーゼと過ごした時間のほうが長いし、侯爵自身がなにも言わない以上、これがこの家の普通だと受け止めるしかなかったのだ。
ソフィー自身も物心がつく前からのことだから、これが当たり前だと思っていたのだろう。それでもソフィーは侯爵に愛されたかったと言ってくれた。
(そもそもソフィーの婚約者である王太子殿下に妹のベーゼが擦り寄るのを注意もしていなかった時点でおかしいじゃないか)
侯爵はブーゼが得体の知れない化け物のように思えてきた。
今だって部屋に籠もったベーゼと一緒にいるのは事件を起こしたことを叱るためではなく、王太子の新しい婚約者となれなくて落ち込んでいる娘を慰めるためだと聞いている。
どうもあの親娘は恋愛のためなら、なにもしても良いと考えているように感じられた。
お茶会の場にスズメバチの巣を投げ込むだなんて、嫌がらせを通り越して殺人未遂である。
不貞には王太子の責任もあるからと、女王がなんとか罪にせず収めてくれたのだ。
本来なら死罪になっていてもおかしくない。
(いや、化け物なのは私もだ。妻を喪った悲しみから目を逸らし、幼いソフィーと向き合うこともせず、ブーゼの言うがままになっていたのだから)
これからの自分に出来るのは、あの親娘を封じることだけだ。
ベーゼは王太子を諦めないだろうし、ブーゼはベーゼを止めないだろう。
他家の令嬢となったソフィーにまで累が及ばないよう、あのふたりの行動を監視して、これ以上問題を起こさせないようにするしかない。それがもうひとりの娘であるベーゼのためでもあるはずだ。いざとなったら──
「……ソフィー……」
何年も呼んでいなかった名前を呟くと、幼い彼女が嬉し気に笑う姿が脳裏を横切った。
応援ありがとうございます!
108
お気に入りに追加
2,265
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる