好きにしろ、とおっしゃられたので好きにしました。

豆狸

文字の大きさ
上 下
2 / 5

第二話 初恋の人はだれ?

しおりを挟む
「お帰り。今日は会頭殿が来ているよ。学園の卒業パーティに向けて、好きな装身具を選ぶといい。……どうせ、殿下はなにも贈っては来ないだろうからね」

 馬車の中で考え事をしていたとき、侍女が用意してくれた濡れた布を目に当てていたせいか、迎えてくれた兄は私が泣いていたことには気づいていません。
 学園の行き帰りに付き添ってくれている侍女は、もちろんかつての意地悪な侍女ではありません。
 昔の侍女はもう侯爵邸にはいないのです。

 どこかの貴族令嬢だった彼女は父の後妻になりたがっていました。そのために行儀見習いの侍女として我が家へ来たのです。
 でも父にその気がなかったので、私や兄に嫌がらせをすることで鬱憤を晴らしていたのだそうです。
 実家に戻された彼女は、たぶんもう貴族社会自体にいません。

 応接室には、昔から我が家と関係の深い大きな商会の若き会頭がいらっしゃっていました。
 真っすぐでサラサラの金髪を長く伸ばして背中に垂らした、春の新緑のように淡く柔らかな緑色の瞳を持つ青年です。
 髪の色の違いさえなければ、私は彼が初恋の人だと思っていたでしょう。髪質だけでなく髪の色も変わることがあります。でもそれは濃いほうに、たとえば金髪が赤毛になるというような変化のほうが多いと聞きます。

「お帰りなさいませ、お嬢様。お気に召していただける商品があると良いのですが」
「貴方が持ってきてくださる商品が気に入らなかったことはありませんわ」
「嬉しいことをおっしゃってくださいますね」

 私の言葉は嘘ではありません。
 優しく微笑むこの方は、私の好みを熟知しているかのように素敵なものを持ってきてくださいます。ときには彼の持ってきた商品を見て、自分でも気づかないでいた好みに目覚めることもありました。
 彼が私の好みに合った商品を持ってきてくださるのは、商人としての才覚によるものなのでしょうか。

「真珠や貝殻……今日も海を思わせる意匠の装身具が多いのですね」
「お好きでしょう?」
「はい」

 なぜかしら、私は昔から海が好きでした。
 海の青と波の白が、自分の瞳や髪の色と同じだからかもしれません。
 もっとも先ほどの兄の言葉に従って、学園の卒業パーティにこの白と青を基調とした装身具をつけていくような真似は出来ません。

 私は第一王子殿下の婚約者なのです。
 たとえ彼が婚約者用の準備金をはべらせている下位貴族のご令嬢達にばら撒いて、本当の婚約者にはなんの贈り物もしてくださらなかったとしても、私が彼の色を無視して自分の好みで着飾るわけにはいかないのです。
 とはいえ好みの装身具は、見ているだけで心を弾ませてくれました。

 私と会頭の話を聞いていた兄が、ああ、と呟きました。

「どうなさいましたの、お兄様」
「お前達の会話を聞いて思い出したんだ。……お前が母上のお腹にいたころ、海を舞台にした物語の絵本を母上にせがんで読んでもらっていたことを」
「まあ、そんなことがありましたの」
「あのころの私は海に憧れていたんだ。なにしろ同い年のコイツが、先代の会頭殿に連れられて海に出ていたものだから」

 我が家と商会の付き合いは長く、兄と会頭は幼馴染のような関係でもあります。
 先代の会頭は、今の彼の祖父でした。
 彼の両親は海難事故でお亡くなりになったのだと聞いています。

「父は祖父が年を取ってから出来た子でしたからね。息子が亡くなった以上、自分が元気なうちに孫を鍛えておかなくては、と思ったのでしょう」
「今もたまには船に乗っているんだろう?」
「ええ、私でなければならない商談がありますからね。とはいえ昔と違って、船に乗っても部屋に閉じ籠っていますよ。子どものころは甲板を走り回っていたのですが」
「そうそう! 肌も髪も日に焼けて真っ赤になっていたよな。私はそれが羨ましかったんだ。海賊みたいで強そうだったからな」

 兄のその言葉に、ドキン、と胸が高鳴りました。

「……そうだったのですか?」
「そうなんだ。船を降りて日焼けが治まったコイツと会ったとき、お前はそれまでにも会ったことがあったのに、初めまして、と挨拶したんだぞ」
「それは……失礼いたしました」
「よろしいのですよ、お嬢様。あのときは数か月ぶりでしたし、前にお会いしたときとはかなり変わっておりましたから」

 うんうん、と兄が会頭の言葉に頷きます。

「髪を伸ばしてたから、私も驚いた。どうして伸ばし始めたんだ? 船に乗っていたころは短く切っていただろう」
「願懸けです」
「ほう。会頭殿の商会が世界中に販路を広げられたのは、その願懸けのおかげかな」
「ご想像にお任せしますよ」

 笑い合う兄と会頭を見つめながら、私は自分の胸に手を当てました。
 先ほど高鳴った心臓は、今も静まっていません。
 もしかして、私の初恋の人は──
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

貴方は何も知らない

富士山のぼり
恋愛
「アイラ、君との婚約は破棄させて欲しい。」 「破棄、ですか?」 「ああ。君も薄々気が付いていただろう。私に君以外の愛する女性が居るという事に。」 「はい。」 「そんな気持ちのまま君と偽りの関係を続けていく事に耐えられないんだ。」 「偽り……?」

元婚約者の落ちぶれた公爵と寝取った妹が同伴でやって来た件

岡暁舟
恋愛
「あらあら、随分と落ちぶれたんですね」 私は元婚約者のポイツ公爵に声をかけた。そして、公爵の傍には彼を寝取った妹のペニーもいた。

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

初対面の婚約者に『ブス』と言われた令嬢です。

甘寧
恋愛
「お前は抱けるブスだな」 「はぁぁぁぁ!!??」 親の決めた婚約者と初めての顔合わせで第一声で言われた言葉。 そうですかそうですか、私は抱けるブスなんですね…… って!!こんな奴が婚約者なんて冗談じゃない!! お父様!!こいつと結婚しろと言うならば私は家を出ます!! え?結納金貰っちゃった? それじゃあ、仕方ありません。あちらから婚約を破棄したいと言わせましょう。 ※4時間ほどで書き上げたものなので、頭空っぽにして読んでください。

わたしのことはお気になさらず、どうぞ、元の恋人とよりを戻してください。

ふまさ
恋愛
「あたし、気付いたの。やっぱりリッキーしかいないって。リッキーだけを愛しているって」  人気のない校舎裏。熱っぽい双眸で訴えかけたのは、子爵令嬢のパティだ。正面には、伯爵令息のリッキーがいる。 「学園に通いはじめてすぐに他の令息に熱をあげて、ぼくを捨てたのは、きみじゃないか」 「捨てたなんて……だって、子爵令嬢のあたしが、侯爵令息様に逆らえるはずないじゃない……だから、あたし」  一歩近付くパティに、リッキーが一歩、後退る。明らかな動揺が見えた。 「そ、そんな顔しても無駄だよ。きみから侯爵令息に言い寄っていたことも、その侯爵令息に最近婚約者ができたことも、ぼくだってちゃんと知ってるんだからな。あてがはずれて、仕方なくぼくのところに戻って来たんだろ?!」 「……そんな、ひどい」  しくしくと、パティは泣き出した。リッキーが、うっと怯む。 「ど、どちらにせよ、もう遅いよ。ぼくには婚約者がいる。きみだって知ってるだろ?」 「あたしが好きなら、そんなもの、解消すればいいじゃない!」  パティが叫ぶ。無茶苦茶だわ、と胸中で呟いたのは、二人からは死角になるところで聞き耳を立てていた伯爵令嬢のシャノン──リッキーの婚約者だった。  昔からパティが大好きだったリッキーもさすがに呆れているのでは、と考えていたシャノンだったが──。 「……そんなにぼくのこと、好きなの?」  予想もしないリッキーの質問に、シャノンは目を丸くした。対してパティは、目を輝かせた。 「好き! 大好き!」  リッキーは「そ、そっか……」と、満更でもない様子だ。それは、パティも感じたのだろう。 「リッキー。ねえ、どうなの? 返事は?」  パティが詰め寄る。悩んだすえのリッキーの答えは、 「……少し、考える時間がほしい」  だった。

どうやら婚約者が私と婚約したくなかったようなので婚約解消させて頂きます。後、うちを金蔓にしようとした事はゆるしません

しげむろ ゆうき
恋愛
 ある日、婚約者アルバン様が私の事を悪く言ってる場面に遭遇してしまい、ショックで落ち込んでしまう。  しかもアルバン様が悪口を言っている時に側にいたのは、美しき銀狼、又は冷酷な牙とあだ名が付けられ恐れられている、この国の第三王子ランドール・ウルフイット様だったのだ。  だから、問い詰めようにもきっと関わってくるであろう第三王子が怖くて、私は誰にも相談できずにいたのだがなぜか第三王子が……。 ○○sideあり 全20話

「大嫌い」と結婚直前に婚約者に言われた私。

狼狼3
恋愛
婚約してから数年。 後少しで結婚というときに、婚約者から呼び出されて言われたことは 「大嫌い」だった。

処理中です...