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第二話 初恋の人はだれ?
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「お帰り。今日は会頭殿が来ているよ。学園の卒業パーティに向けて、好きな装身具を選ぶといい。……どうせ、殿下はなにも贈っては来ないだろうからね」
馬車の中で考え事をしていたとき、侍女が用意してくれた濡れた布を目に当てていたせいか、迎えてくれた兄は私が泣いていたことには気づいていません。
学園の行き帰りに付き添ってくれている侍女は、もちろんかつての意地悪な侍女ではありません。
昔の侍女はもう侯爵邸にはいないのです。
どこかの貴族令嬢だった彼女は父の後妻になりたがっていました。そのために行儀見習いの侍女として我が家へ来たのです。
でも父にその気がなかったので、私や兄に嫌がらせをすることで鬱憤を晴らしていたのだそうです。
実家に戻された彼女は、たぶんもう貴族社会自体にいません。
応接室には、昔から我が家と関係の深い大きな商会の若き会頭がいらっしゃっていました。
真っすぐでサラサラの金髪を長く伸ばして背中に垂らした、春の新緑のように淡く柔らかな緑色の瞳を持つ青年です。
髪の色の違いさえなければ、私は彼が初恋の人だと思っていたでしょう。髪質だけでなく髪の色も変わることがあります。でもそれは濃いほうに、たとえば金髪が赤毛になるというような変化のほうが多いと聞きます。
「お帰りなさいませ、お嬢様。お気に召していただける商品があると良いのですが」
「貴方が持ってきてくださる商品が気に入らなかったことはありませんわ」
「嬉しいことをおっしゃってくださいますね」
私の言葉は嘘ではありません。
優しく微笑むこの方は、私の好みを熟知しているかのように素敵なものを持ってきてくださいます。ときには彼の持ってきた商品を見て、自分でも気づかないでいた好みに目覚めることもありました。
彼が私の好みに合った商品を持ってきてくださるのは、商人としての才覚によるものなのでしょうか。
「真珠や貝殻……今日も海を思わせる意匠の装身具が多いのですね」
「お好きでしょう?」
「はい」
なぜかしら、私は昔から海が好きでした。
海の青と波の白が、自分の瞳や髪の色と同じだからかもしれません。
もっとも先ほどの兄の言葉に従って、学園の卒業パーティにこの白と青を基調とした装身具をつけていくような真似は出来ません。
私は第一王子殿下の婚約者なのです。
たとえ彼が婚約者用の準備金を侍らせている下位貴族のご令嬢達にばら撒いて、本当の婚約者にはなんの贈り物もしてくださらなかったとしても、私が彼の色を無視して自分の好みで着飾るわけにはいかないのです。
とはいえ好みの装身具は、見ているだけで心を弾ませてくれました。
私と会頭の話を聞いていた兄が、ああ、と呟きました。
「どうなさいましたの、お兄様」
「お前達の会話を聞いて思い出したんだ。……お前が母上のお腹にいたころ、海を舞台にした物語の絵本を母上にせがんで読んでもらっていたことを」
「まあ、そんなことがありましたの」
「あのころの私は海に憧れていたんだ。なにしろ同い年のコイツが、先代の会頭殿に連れられて海に出ていたものだから」
我が家と商会の付き合いは長く、兄と会頭は幼馴染のような関係でもあります。
先代の会頭は、今の彼の祖父でした。
彼の両親は海難事故でお亡くなりになったのだと聞いています。
「父は祖父が年を取ってから出来た子でしたからね。息子が亡くなった以上、自分が元気なうちに孫を鍛えておかなくては、と思ったのでしょう」
「今もたまには船に乗っているんだろう?」
「ええ、私でなければならない商談がありますからね。とはいえ昔と違って、船に乗っても部屋に閉じ籠っていますよ。子どものころは甲板を走り回っていたのですが」
「そうそう! 肌も髪も日に焼けて真っ赤になっていたよな。私はそれが羨ましかったんだ。海賊みたいで強そうだったからな」
兄のその言葉に、ドキン、と胸が高鳴りました。
「……そうだったのですか?」
「そうなんだ。船を降りて日焼けが治まったコイツと会ったとき、お前はそれまでにも会ったことがあったのに、初めまして、と挨拶したんだぞ」
「それは……失礼いたしました」
「よろしいのですよ、お嬢様。あのときは数か月ぶりでしたし、前にお会いしたときとはかなり変わっておりましたから」
うんうん、と兄が会頭の言葉に頷きます。
「髪を伸ばしてたから、私も驚いた。どうして伸ばし始めたんだ? 船に乗っていたころは短く切っていただろう」
「願懸けです」
「ほう。会頭殿の商会が世界中に販路を広げられたのは、その願懸けのおかげかな」
「ご想像にお任せしますよ」
笑い合う兄と会頭を見つめながら、私は自分の胸に手を当てました。
先ほど高鳴った心臓は、今も静まっていません。
もしかして、私の初恋の人は──
馬車の中で考え事をしていたとき、侍女が用意してくれた濡れた布を目に当てていたせいか、迎えてくれた兄は私が泣いていたことには気づいていません。
学園の行き帰りに付き添ってくれている侍女は、もちろんかつての意地悪な侍女ではありません。
昔の侍女はもう侯爵邸にはいないのです。
どこかの貴族令嬢だった彼女は父の後妻になりたがっていました。そのために行儀見習いの侍女として我が家へ来たのです。
でも父にその気がなかったので、私や兄に嫌がらせをすることで鬱憤を晴らしていたのだそうです。
実家に戻された彼女は、たぶんもう貴族社会自体にいません。
応接室には、昔から我が家と関係の深い大きな商会の若き会頭がいらっしゃっていました。
真っすぐでサラサラの金髪を長く伸ばして背中に垂らした、春の新緑のように淡く柔らかな緑色の瞳を持つ青年です。
髪の色の違いさえなければ、私は彼が初恋の人だと思っていたでしょう。髪質だけでなく髪の色も変わることがあります。でもそれは濃いほうに、たとえば金髪が赤毛になるというような変化のほうが多いと聞きます。
「お帰りなさいませ、お嬢様。お気に召していただける商品があると良いのですが」
「貴方が持ってきてくださる商品が気に入らなかったことはありませんわ」
「嬉しいことをおっしゃってくださいますね」
私の言葉は嘘ではありません。
優しく微笑むこの方は、私の好みを熟知しているかのように素敵なものを持ってきてくださいます。ときには彼の持ってきた商品を見て、自分でも気づかないでいた好みに目覚めることもありました。
彼が私の好みに合った商品を持ってきてくださるのは、商人としての才覚によるものなのでしょうか。
「真珠や貝殻……今日も海を思わせる意匠の装身具が多いのですね」
「お好きでしょう?」
「はい」
なぜかしら、私は昔から海が好きでした。
海の青と波の白が、自分の瞳や髪の色と同じだからかもしれません。
もっとも先ほどの兄の言葉に従って、学園の卒業パーティにこの白と青を基調とした装身具をつけていくような真似は出来ません。
私は第一王子殿下の婚約者なのです。
たとえ彼が婚約者用の準備金を侍らせている下位貴族のご令嬢達にばら撒いて、本当の婚約者にはなんの贈り物もしてくださらなかったとしても、私が彼の色を無視して自分の好みで着飾るわけにはいかないのです。
とはいえ好みの装身具は、見ているだけで心を弾ませてくれました。
私と会頭の話を聞いていた兄が、ああ、と呟きました。
「どうなさいましたの、お兄様」
「お前達の会話を聞いて思い出したんだ。……お前が母上のお腹にいたころ、海を舞台にした物語の絵本を母上にせがんで読んでもらっていたことを」
「まあ、そんなことがありましたの」
「あのころの私は海に憧れていたんだ。なにしろ同い年のコイツが、先代の会頭殿に連れられて海に出ていたものだから」
我が家と商会の付き合いは長く、兄と会頭は幼馴染のような関係でもあります。
先代の会頭は、今の彼の祖父でした。
彼の両親は海難事故でお亡くなりになったのだと聞いています。
「父は祖父が年を取ってから出来た子でしたからね。息子が亡くなった以上、自分が元気なうちに孫を鍛えておかなくては、と思ったのでしょう」
「今もたまには船に乗っているんだろう?」
「ええ、私でなければならない商談がありますからね。とはいえ昔と違って、船に乗っても部屋に閉じ籠っていますよ。子どものころは甲板を走り回っていたのですが」
「そうそう! 肌も髪も日に焼けて真っ赤になっていたよな。私はそれが羨ましかったんだ。海賊みたいで強そうだったからな」
兄のその言葉に、ドキン、と胸が高鳴りました。
「……そうだったのですか?」
「そうなんだ。船を降りて日焼けが治まったコイツと会ったとき、お前はそれまでにも会ったことがあったのに、初めまして、と挨拶したんだぞ」
「それは……失礼いたしました」
「よろしいのですよ、お嬢様。あのときは数か月ぶりでしたし、前にお会いしたときとはかなり変わっておりましたから」
うんうん、と兄が会頭の言葉に頷きます。
「髪を伸ばしてたから、私も驚いた。どうして伸ばし始めたんだ? 船に乗っていたころは短く切っていただろう」
「願懸けです」
「ほう。会頭殿の商会が世界中に販路を広げられたのは、その願懸けのおかげかな」
「ご想像にお任せしますよ」
笑い合う兄と会頭を見つめながら、私は自分の胸に手を当てました。
先ほど高鳴った心臓は、今も静まっていません。
もしかして、私の初恋の人は──
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