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第一話 好きにしろ、と言われた侯爵令嬢
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学園の卒業を数か月後に控えた、ある日の放課後、私はこの国の第一王子である婚約者を呼び止めました。
いつものように下位貴族のご令嬢達を侍らせた殿下は、不機嫌そうな顔で振り向きました。
私が彼に苦言を呈するため口を開くより早く、彼はおっしゃいました。
「黙っていろ、お前の小言など聞きたくはない。この婚約は王命だ。家と家が結びつくための政略的なものだから、俺達にはどうにもできない。結婚はしてやるから、それまでは好きにさせろ。……なんなら、結婚まではお前も好きにしろ」
そんなことができるはずがありません。
世間というのは男性の浮気には寛容なところがありますが、女性の浮気にはとても厳しいものです。
あまりの言葉に声を失った私を残し、嘲笑を浮かべた殿下とその取り巻きのご令嬢達は立ち去って行ったのでした。
──しばらく経って、私は自分が泣いていることに気づきました。
去っていく婚約者の真っ赤な髪が瞳の奥に焼き付いています。緑色の瞳に宿っていた冷たい光も。
どうして、私はまだあの方を好きなのでしょうか。
幼いころの、あの方ご自身は覚えてもいらっしゃらないだろう想い出に、なぜ今も縛られているのでしょうか。
わかりません。
わかりませんけれど……私は今もなお第一王子殿下をお慕いしているのです。
婚約者として会った日から冷たくて、学園に入学して下位貴族のご令嬢達を侍らせるようになってからは夜会のエスコートをしてくださることもなく、婚約者として注意をすれば嫉妬しているのかと鼻で笑って嘲笑するあの方が。
でもあの日あの方とお会いしなかったら、私は自分自身を憎んでいたことでしょう。
死んでしまいたいと思って、父や兄の気持ちを誤解して自分を傷つけていたかもしれません。
やっぱりあの方は私の恩人で、大切な初恋の人なのです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
あれは私が五歳のころでした。
婚約者として第一王子殿下と引き合わされる二年ほど前のことです。
今にして思えば、殿下が王都にある侯爵邸へいらっしゃっていたことが不思議なのですが──帰ったら父か兄に詳細を聞いてみましょう。
当時私の世話をしていたのは、とても意地悪な侍女でした。
毎日嫌なことを言われ、服で隠れたところを抓られたりしていました。
その日も、私を産んだせいで母が亡くなったのだから私は父にも兄にも愛されていないのだと言われてしまいました。
彼女から離れて、庭の植え込みに隠れて泣いていた私を見つけてくださったのが彼だったのです。
赤い髪に緑の瞳、私よりも少し大きな男の子。
そんなことを思い出していた私は、家へ帰る馬車に揺られながら首を傾げました。第一王子殿下の髪はくせ毛なのですけれど、記憶にある『彼』の髪はサラサラだったのです。成長によって髪質が変わるのは珍しいことではないので、あまり気にしていなかったのですが、今日は不思議と気になりました。
泣いている私の話を聞いた彼は、白い陶器の宝石入れと中の真珠の首飾りを見せてくださいました。
父と兄が、私の六歳の誕生日のために取り寄せてくれたものだというのです。
彼は私に微笑んで、
『どうですか?』
『とても素敵です!』
『貴女の好みではないですか?』
『ええ、とても好みですわ』
『でしょう? 貴女のご家族はあれでもない、これでもないとお悩みになった上でこの商品にお決めになられたのですよ。好きでもない相手の好みを気にしたりすると思いますか?』
そう言ってくださったので、私は……またおかしなことに気づいてしまいました。
第一王子殿下が、侯爵家の当主と跡取りが令嬢に贈るための商品を持ってきたりはしませんよね?
考えてみれば、髪と瞳の色が同じでも顔立ちは第一王子殿下とはまるで違ったような気がします。
第一王子殿下の母君は妾妃様です。
男爵令嬢だった妾妃様が王宮へ上がった際にご実家は伯爵に陞爵されているものの、目立った活躍はなく財産も権力もお持ちではありません。
我が家を後ろ盾にして財産と権力だけ利用したいという第一王子殿下は、私のことを愛してはいません。愛されていなくても王命の婚約を解消することは出来ないと知っていたから、私は必死に殿下を初恋の人だと思い込もうとしていたのかもしれません。
もし、殿下が私の初恋の人ではないのだとしたら──
いつものように下位貴族のご令嬢達を侍らせた殿下は、不機嫌そうな顔で振り向きました。
私が彼に苦言を呈するため口を開くより早く、彼はおっしゃいました。
「黙っていろ、お前の小言など聞きたくはない。この婚約は王命だ。家と家が結びつくための政略的なものだから、俺達にはどうにもできない。結婚はしてやるから、それまでは好きにさせろ。……なんなら、結婚まではお前も好きにしろ」
そんなことができるはずがありません。
世間というのは男性の浮気には寛容なところがありますが、女性の浮気にはとても厳しいものです。
あまりの言葉に声を失った私を残し、嘲笑を浮かべた殿下とその取り巻きのご令嬢達は立ち去って行ったのでした。
──しばらく経って、私は自分が泣いていることに気づきました。
去っていく婚約者の真っ赤な髪が瞳の奥に焼き付いています。緑色の瞳に宿っていた冷たい光も。
どうして、私はまだあの方を好きなのでしょうか。
幼いころの、あの方ご自身は覚えてもいらっしゃらないだろう想い出に、なぜ今も縛られているのでしょうか。
わかりません。
わかりませんけれど……私は今もなお第一王子殿下をお慕いしているのです。
婚約者として会った日から冷たくて、学園に入学して下位貴族のご令嬢達を侍らせるようになってからは夜会のエスコートをしてくださることもなく、婚約者として注意をすれば嫉妬しているのかと鼻で笑って嘲笑するあの方が。
でもあの日あの方とお会いしなかったら、私は自分自身を憎んでいたことでしょう。
死んでしまいたいと思って、父や兄の気持ちを誤解して自分を傷つけていたかもしれません。
やっぱりあの方は私の恩人で、大切な初恋の人なのです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
あれは私が五歳のころでした。
婚約者として第一王子殿下と引き合わされる二年ほど前のことです。
今にして思えば、殿下が王都にある侯爵邸へいらっしゃっていたことが不思議なのですが──帰ったら父か兄に詳細を聞いてみましょう。
当時私の世話をしていたのは、とても意地悪な侍女でした。
毎日嫌なことを言われ、服で隠れたところを抓られたりしていました。
その日も、私を産んだせいで母が亡くなったのだから私は父にも兄にも愛されていないのだと言われてしまいました。
彼女から離れて、庭の植え込みに隠れて泣いていた私を見つけてくださったのが彼だったのです。
赤い髪に緑の瞳、私よりも少し大きな男の子。
そんなことを思い出していた私は、家へ帰る馬車に揺られながら首を傾げました。第一王子殿下の髪はくせ毛なのですけれど、記憶にある『彼』の髪はサラサラだったのです。成長によって髪質が変わるのは珍しいことではないので、あまり気にしていなかったのですが、今日は不思議と気になりました。
泣いている私の話を聞いた彼は、白い陶器の宝石入れと中の真珠の首飾りを見せてくださいました。
父と兄が、私の六歳の誕生日のために取り寄せてくれたものだというのです。
彼は私に微笑んで、
『どうですか?』
『とても素敵です!』
『貴女の好みではないですか?』
『ええ、とても好みですわ』
『でしょう? 貴女のご家族はあれでもない、これでもないとお悩みになった上でこの商品にお決めになられたのですよ。好きでもない相手の好みを気にしたりすると思いますか?』
そう言ってくださったので、私は……またおかしなことに気づいてしまいました。
第一王子殿下が、侯爵家の当主と跡取りが令嬢に贈るための商品を持ってきたりはしませんよね?
考えてみれば、髪と瞳の色が同じでも顔立ちは第一王子殿下とはまるで違ったような気がします。
第一王子殿下の母君は妾妃様です。
男爵令嬢だった妾妃様が王宮へ上がった際にご実家は伯爵に陞爵されているものの、目立った活躍はなく財産も権力もお持ちではありません。
我が家を後ろ盾にして財産と権力だけ利用したいという第一王子殿下は、私のことを愛してはいません。愛されていなくても王命の婚約を解消することは出来ないと知っていたから、私は必死に殿下を初恋の人だと思い込もうとしていたのかもしれません。
もし、殿下が私の初恋の人ではないのだとしたら──
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