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七月・八月:狂恋
恋は、病(やまい)【真実の愛】
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「そなたは病で亡くなることになった」
侯爵子息ハーバートは、王太子の淡々とした言葉の意味が理解出来なかった。
ハーバートは先日、三年間の白い結婚を理由に妻だった伯爵令嬢クララと離縁をした。
王太子から王城へ招かれたのは、再婚の話だと思っていた。
ハーバートはずっとずっと前から、王太子の異母妹ポピー王女と愛し合っていた。
真実の愛だ。
身分も財産もない愛妾の娘だということで正妃に疎まれている彼女を守るのが、自分の使命だと感じていた。
ポピー王女は隣国の大公と婚約していた。
王女と大公の年齢差は大きい。
隣国は正妃の故郷だ。国王に溺愛されている王女を厄介払いするための婚約だということは明らかだった。
いや、王女の父である国王ですら、いつからか彼女を冷遇するようになった。
すべてがポピー王女の敵となったこの国で、彼女を守れるのはハーバートだけだ。
自分にも婚約者がいることなど、ハーバートは気にもしなかった。真実の愛の前にはすべてがひれ伏すべきなのだ。
国と国を繋ぐ婚約だから、婚約自体は破棄出来ない。
だから三年前、ポピー王女は隣国へ嫁いだ。
ハーバートも家族に煩く言われて、婚約者のクララを娶った。
それでも、ふたりの最愛はお互いのままだった。
真実の愛なのだ。
三年間の白い結婚の末に離縁して、愛を実らせるつもりだったのだ。
(もしかしてポピー王女殿下に新しい縁談があるのだろうか。あり得る。彼女はだれよりも美しく魅力的な女性だ。だから俺達を死んだことにして結ばせてくれるのかもしれない)
ハーバートが考えていると、異母妹に好意的だった王太子が口を開いた。
「隣国の大公と異母妹ポピーの婚約が結ばれたのは、私のためだ」
「え?」
「当時の父王はポピーを溺愛していた。隣国の姫であった母王妃を娶ったときの約束を違えて、私ではなくあの子を跡取りに据えるのではないかと周囲が思うほどに」
ああ、やはり厄介払いだったのだ、とハーバートは項垂れる。
これまでのポピーの苦しみを癒すために、真実の愛の相手である自分がこれからは愛を注いでいこうと思っていると、王太子が言葉を続けた。
「だが父王の愛は失われた。ポピーの母である愛妾がほかの男の子どもを産んだからだ。父王はあの子もそうなのではないかと疑っている」
「!」
「愛妾の死を母王妃の仕業であると考えているものも多いだろう。見栄っ張りの父王が真実を公表しなかったからな。……愛妾を殺したのは、明らかに自分の種でない子どもを見て狂乱した父王だ」
なんという悲劇なのか、とハーバートは唇を噛んだ。
それは、ポピー王女の罪ではない。
「そのとき、あの子の婚約を白紙撤回しておけば良かったと今は思う。隣国に嫁がせなくても、父王はもうポピーを跡取りにしようとはしない。だが……父王に疎まれながらこの国にいるよりは、と考えて私は婚約継続を大公にお願いしてしまったのだ」
王太子の言葉を聞いていると、ハーバートの心にさまざまな思いが去来した。
彼女の婚約が白紙撤回されていたら自分達はこんな回り道をしなくても良かったのではないか、愛してもいない相手と結婚しなくても良かったのではないか、そんな恨み言が浮かんでは消えていく。
「ポピーと大公は白い結婚だった。……そなたとそう約束していたからだと聞いているが、相違ないか」
「はい」
ハーバートは力強く答えた。
異母兄だといっても、好意的だったといっても、王太子が一番に考えるのは国のことだ。異母妹のことではない。
彼女のことを第一に考えて、守り大切に出来るのは自分だけなのだ。
「そなたも伯爵家のクララ嬢と白い結婚をし、先日離縁したということで間違いがないな?」
「はい」
王太子は長い溜息を漏らした後で、再び話し始めた。
「侯爵子息のそなたと伯爵令嬢の縁談は大切なものだった。文官派閥筆頭の侯爵家と武官派閥筆頭の伯爵家が結びつくことで、両派閥の不和が解消されるはずだったのだ。……不和の理由を知っているか? 武官派閥出身の外交官がこの国のために結んだ隣国王女との婚姻を無視して、文官派閥が父王に愛妾を宛がったからだ。国王の愛妾となりながら、ほかの男の子を産むような人間をな」
「……」
「隣国の大公はポピーとは年齢差が大きい。あの子との婚約が結ばれるまで、彼に相手がいなかったと思うか? 大公は両国に争いの種を蒔かぬために、ご自身の気持ちを殺してあの子を受け入れてくださったのだ。そんな方に、白い結婚と三年後の離縁を要求するような娘を嫁がせてしまったのだぞ。どれだけの無礼か、そなたもわかるだろう?」
「……」
「尻の軽い愛妾の娘として生まれたことは罪ではない。しかし、婚約者のいる身で婚約者のいる人間との愛を選んで本来の相手を侮辱したのは、ポピー自身の罪だ」
「……ポピー王女殿下は、今……」
「あの子は病で亡くなった。……真実の愛で結ばれたそなたを待っている」
ハーバートは、王太子の言葉の意味を理解した。
★ ★ ★ ★ ★
恋の病は治らないと聞きます。
私の婚約者で、白い結婚によって無効になりましたが夫でもあった侯爵家のハーバート様は恋の病に殉じました。
隣国に嫁いで儚くなられたポピー王女殿下の後を追って亡くなられたのです。詳しい死因は公表されていません。
おふたりは真実の愛で強く結ばれていらっしゃいました。
この王国の貴族子女と裕福な平民が通う学園に在学していたころも、おふたりが離れている姿を見ることはございませんでした。
婚約者の私とハーバート様が過ごした時間? そんなものはありませんでしたね。結婚してからも、それは変わりませんでした。
「実は僕、ハーバート殿には感謝してるんだよね」
王都伯爵邸の中庭で、私の新しい婚約者のジェイコブ様が言いました。
「そうなんですの?」
「だって僕、クララよりみっつも年下だろ? 学園で在学していた期間が重なったこともない。ハーバート殿のせいでクララの三年間が浪費されてなかったら、絶対嫁入り先の選択肢に入れなかったよ!」
そうかもしれません。
ジェイコブ様は文官派閥の伯爵家のご子息で、以前から両派閥の不和を案じて、王都の我が家を訪れてくださっていました。
この中庭で我が家の跡取りの弟と話す彼の姿を、何度か二階にある自室の窓から見た覚えがあります。
「あ、でもクララは辛い思いをしたんだよね? やっぱり僕、ハーバート殿嫌いだよ」
「ふふふ、私のことを慮ってくださってありがとうございます」
「当然だよ。僕はクララの婚約者なんだから!……年下で子どもな僕に恋することは出来ないかもしれないけど、クララがいつか僕を愛してくれたら嬉しいよ」
澄んだ瞳に私を映して熱く語ってくださるジェイコブ様のこと、私はもう愛し始めているのだと思います。だって、見つめ合っているだけで、こんなに幸せな気持ちなのですもの。
「ああ、でも本当は、クララが僕に恋してくれたら嬉しいな! だって僕、ずっと前から君が気になっていたんだもん。莫迦王女に夢中の婚約者を支えて、両派閥の不和を癒そうと頑張っていたクララのこと、いつも弟君から聞いてたからね。派閥間に不和があったのにこの家へ通っていたのは、もしかしたらクララを垣間見られるかもしれないと思っていたからなんだよ。こんなことになって、縁が出来て新しい婚約者になれて……僕は君に恋したんだ」
恋は治ることのない病です。
自分で選ぶことも出来ません。
でも恋に落ちてしまっても、間違った関係なら気持ちを飲み込んで諦めることも必要なのではないでしょうか。いえ、どこかのだれかのことを言っているのではありませんが。
「そう言っていただけて嬉しいですわ、ジェイコブ様。……私、私も貴方のことが……」
だれ憚ることのない関係の彼を見つめて、私は微笑みました。
私達はきっと、婚約関係になる前に想いが重なっていたとしても自分自身の意志でそれを殺していたことでしょう。
回り道だったかもしれませんけれど、私達はこれで良かったのだと思うのです。
<終>
侯爵子息ハーバートは、王太子の淡々とした言葉の意味が理解出来なかった。
ハーバートは先日、三年間の白い結婚を理由に妻だった伯爵令嬢クララと離縁をした。
王太子から王城へ招かれたのは、再婚の話だと思っていた。
ハーバートはずっとずっと前から、王太子の異母妹ポピー王女と愛し合っていた。
真実の愛だ。
身分も財産もない愛妾の娘だということで正妃に疎まれている彼女を守るのが、自分の使命だと感じていた。
ポピー王女は隣国の大公と婚約していた。
王女と大公の年齢差は大きい。
隣国は正妃の故郷だ。国王に溺愛されている王女を厄介払いするための婚約だということは明らかだった。
いや、王女の父である国王ですら、いつからか彼女を冷遇するようになった。
すべてがポピー王女の敵となったこの国で、彼女を守れるのはハーバートだけだ。
自分にも婚約者がいることなど、ハーバートは気にもしなかった。真実の愛の前にはすべてがひれ伏すべきなのだ。
国と国を繋ぐ婚約だから、婚約自体は破棄出来ない。
だから三年前、ポピー王女は隣国へ嫁いだ。
ハーバートも家族に煩く言われて、婚約者のクララを娶った。
それでも、ふたりの最愛はお互いのままだった。
真実の愛なのだ。
三年間の白い結婚の末に離縁して、愛を実らせるつもりだったのだ。
(もしかしてポピー王女殿下に新しい縁談があるのだろうか。あり得る。彼女はだれよりも美しく魅力的な女性だ。だから俺達を死んだことにして結ばせてくれるのかもしれない)
ハーバートが考えていると、異母妹に好意的だった王太子が口を開いた。
「隣国の大公と異母妹ポピーの婚約が結ばれたのは、私のためだ」
「え?」
「当時の父王はポピーを溺愛していた。隣国の姫であった母王妃を娶ったときの約束を違えて、私ではなくあの子を跡取りに据えるのではないかと周囲が思うほどに」
ああ、やはり厄介払いだったのだ、とハーバートは項垂れる。
これまでのポピーの苦しみを癒すために、真実の愛の相手である自分がこれからは愛を注いでいこうと思っていると、王太子が言葉を続けた。
「だが父王の愛は失われた。ポピーの母である愛妾がほかの男の子どもを産んだからだ。父王はあの子もそうなのではないかと疑っている」
「!」
「愛妾の死を母王妃の仕業であると考えているものも多いだろう。見栄っ張りの父王が真実を公表しなかったからな。……愛妾を殺したのは、明らかに自分の種でない子どもを見て狂乱した父王だ」
なんという悲劇なのか、とハーバートは唇を噛んだ。
それは、ポピー王女の罪ではない。
「そのとき、あの子の婚約を白紙撤回しておけば良かったと今は思う。隣国に嫁がせなくても、父王はもうポピーを跡取りにしようとはしない。だが……父王に疎まれながらこの国にいるよりは、と考えて私は婚約継続を大公にお願いしてしまったのだ」
王太子の言葉を聞いていると、ハーバートの心にさまざまな思いが去来した。
彼女の婚約が白紙撤回されていたら自分達はこんな回り道をしなくても良かったのではないか、愛してもいない相手と結婚しなくても良かったのではないか、そんな恨み言が浮かんでは消えていく。
「ポピーと大公は白い結婚だった。……そなたとそう約束していたからだと聞いているが、相違ないか」
「はい」
ハーバートは力強く答えた。
異母兄だといっても、好意的だったといっても、王太子が一番に考えるのは国のことだ。異母妹のことではない。
彼女のことを第一に考えて、守り大切に出来るのは自分だけなのだ。
「そなたも伯爵家のクララ嬢と白い結婚をし、先日離縁したということで間違いがないな?」
「はい」
王太子は長い溜息を漏らした後で、再び話し始めた。
「侯爵子息のそなたと伯爵令嬢の縁談は大切なものだった。文官派閥筆頭の侯爵家と武官派閥筆頭の伯爵家が結びつくことで、両派閥の不和が解消されるはずだったのだ。……不和の理由を知っているか? 武官派閥出身の外交官がこの国のために結んだ隣国王女との婚姻を無視して、文官派閥が父王に愛妾を宛がったからだ。国王の愛妾となりながら、ほかの男の子を産むような人間をな」
「……」
「隣国の大公はポピーとは年齢差が大きい。あの子との婚約が結ばれるまで、彼に相手がいなかったと思うか? 大公は両国に争いの種を蒔かぬために、ご自身の気持ちを殺してあの子を受け入れてくださったのだ。そんな方に、白い結婚と三年後の離縁を要求するような娘を嫁がせてしまったのだぞ。どれだけの無礼か、そなたもわかるだろう?」
「……」
「尻の軽い愛妾の娘として生まれたことは罪ではない。しかし、婚約者のいる身で婚約者のいる人間との愛を選んで本来の相手を侮辱したのは、ポピー自身の罪だ」
「……ポピー王女殿下は、今……」
「あの子は病で亡くなった。……真実の愛で結ばれたそなたを待っている」
ハーバートは、王太子の言葉の意味を理解した。
★ ★ ★ ★ ★
恋の病は治らないと聞きます。
私の婚約者で、白い結婚によって無効になりましたが夫でもあった侯爵家のハーバート様は恋の病に殉じました。
隣国に嫁いで儚くなられたポピー王女殿下の後を追って亡くなられたのです。詳しい死因は公表されていません。
おふたりは真実の愛で強く結ばれていらっしゃいました。
この王国の貴族子女と裕福な平民が通う学園に在学していたころも、おふたりが離れている姿を見ることはございませんでした。
婚約者の私とハーバート様が過ごした時間? そんなものはありませんでしたね。結婚してからも、それは変わりませんでした。
「実は僕、ハーバート殿には感謝してるんだよね」
王都伯爵邸の中庭で、私の新しい婚約者のジェイコブ様が言いました。
「そうなんですの?」
「だって僕、クララよりみっつも年下だろ? 学園で在学していた期間が重なったこともない。ハーバート殿のせいでクララの三年間が浪費されてなかったら、絶対嫁入り先の選択肢に入れなかったよ!」
そうかもしれません。
ジェイコブ様は文官派閥の伯爵家のご子息で、以前から両派閥の不和を案じて、王都の我が家を訪れてくださっていました。
この中庭で我が家の跡取りの弟と話す彼の姿を、何度か二階にある自室の窓から見た覚えがあります。
「あ、でもクララは辛い思いをしたんだよね? やっぱり僕、ハーバート殿嫌いだよ」
「ふふふ、私のことを慮ってくださってありがとうございます」
「当然だよ。僕はクララの婚約者なんだから!……年下で子どもな僕に恋することは出来ないかもしれないけど、クララがいつか僕を愛してくれたら嬉しいよ」
澄んだ瞳に私を映して熱く語ってくださるジェイコブ様のこと、私はもう愛し始めているのだと思います。だって、見つめ合っているだけで、こんなに幸せな気持ちなのですもの。
「ああ、でも本当は、クララが僕に恋してくれたら嬉しいな! だって僕、ずっと前から君が気になっていたんだもん。莫迦王女に夢中の婚約者を支えて、両派閥の不和を癒そうと頑張っていたクララのこと、いつも弟君から聞いてたからね。派閥間に不和があったのにこの家へ通っていたのは、もしかしたらクララを垣間見られるかもしれないと思っていたからなんだよ。こんなことになって、縁が出来て新しい婚約者になれて……僕は君に恋したんだ」
恋は治ることのない病です。
自分で選ぶことも出来ません。
でも恋に落ちてしまっても、間違った関係なら気持ちを飲み込んで諦めることも必要なのではないでしょうか。いえ、どこかのだれかのことを言っているのではありませんが。
「そう言っていただけて嬉しいですわ、ジェイコブ様。……私、私も貴方のことが……」
だれ憚ることのない関係の彼を見つめて、私は微笑みました。
私達はきっと、婚約関係になる前に想いが重なっていたとしても自分自身の意志でそれを殺していたことでしょう。
回り道だったかもしれませんけれど、私達はこれで良かったのだと思うのです。
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