魅了だったら良かったのに

豆狸

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前編 見知らぬ少年

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 ひとりになりたくて訪れた学園の裏庭で、ストゥルトゥスは彼に会った。
 ストゥルトゥスはこの王国の王太子であり、この学園の生徒会長でもある。
 なのに、その少年のことを知らなかった。どこかで見たような覚えはあるのだが、どうしても思い出せない。

 自分に気づいた彼に青い瞳を向けられて、そこに煌めく銀の光に射られた途端、ストゥルトゥスは尋ねていた。

「……私は魅了されているのだろうか?」

 ストゥルトゥスは先日、長年の婚約者だった侯爵令嬢サーシャとの婚約を解消したばかりだった。
 そのときは彼女が悪いのだと思っていたけれど、国王夫婦である両親や側近達に諭されているうちに気持ちは変わっていった。
 男爵令嬢ミセリアに心を移した婚約者に、サーシャが怒りを覚えるのは当然のことだったのではないだろうか。サーシャがミセリアを虐めていたと思っていたが、自分の婚約者と浮気している相手に優しく振る舞える人間などいるはずがない。侯爵令嬢の言動が荒々しくなるのは当たり前だった。

 ストゥルトゥスは自分が愚かだと理解した。
 王太子として生きるためにはサーシャの実家である侯爵家の支援が失えないことも。
 しかし、それでもストゥルトゥスは今もなお男爵令嬢ミセリアを愛しているのだった。いっそこの気持ちが魅了によるものなら打ち消してしまえるのに、そんな気持ちが溢れてしまったのだろう。

 少年の青い瞳がストゥルトゥスを映す。
 銀の光は煌めいているものの、彼の瞳に生命の輝きはないように見えた。
 長い年月の間ずっと怒りと悲しみを飲み込んできた人間の瞳だ、ストゥルトゥスはそんなことを思い、自分がどうしてそんなことを思ったのか不思議に感じる。

 少年は感情のない微笑を浮かべて、ストゥルトゥスに答えた。

「だったらなにか変わるんですか?」

 その声にもどこか聞き覚えを感じた。
 いつつ年下の弟、第二王子の声に似ている。いや、もっと似ている人間がいる。
 思い出せないでいるストゥルトゥスに、少年は言葉を続けた。

「貴方が魅了されていたとしたら、あの人の悲しみが消え失せるんですか? 僕の人生に光が戻るんですか?……貴方は心変わりをした、それだけのことですよ」
「あの人とはだれだ? 君は一体……うわっ!」

 ストゥルトゥスに激しい風が吹き寄せる。
 一瞬閉じた瞼を開けたときには、少年の姿はどこにもなかった。
 そして、ストゥルトゥスは気づいた。

 あの少年の顔は、毎日鏡で見ている自分の顔に似ていたのだと。
 そもそも悪しきものを祓う浄眼と呼ばれている銀の光が煌めく青い瞳は、王家の直系だけに受け継がれるものだ。王家から分かれた公爵家にも受け継がれることはない。
 父親同士が従兄弟の公爵令息ジェイミーはストゥルトゥスとよく似ているが、その青い瞳に銀の光が煌めくことはない。

 だけど少年はストゥルトゥスにそっくりというわけではなかった。
 吊り目がちの自分と違い、少し垂れ目気味だったのだ。
 それは元婚約者である侯爵令嬢サーシャの特徴であった。

「あの人とは、もしかして……」

 少年は、声も自分によく似ていた。
 声変わりしたばかりの弟の小柄な体に似合わない重く響く声でもなく、女性に人気のあるジェイミーの掠れた声とも違った。
 ストゥルトゥスの男にしては少し甲高い声とよく似ていた。

 どうしても男爵令嬢ミセリアと結ばれたいというストゥルトゥスに、周囲はふたつの選択肢を用意してくれた。
 ひとつは王族籍を抜けてミセリアの実家に婿入りし、男爵となること。もうひとつはミセリアを側妃として、サーシャを正妃にすることだった。
 ミセリアと別れろと言われていないのは、彼女がストゥルトゥスの子を身籠っているからだ。

(子ども……)

 もし自分がサーシャを正妃に迎えて、彼女と子どもを作ったならば、その子はさっきの少年のような姿に育つのではないだろうか。
 ストゥルトゥスはだれもいない裏庭でぼんやり思う。側近達は裏庭の入り口で待たせている。彼らはだれも裏庭に入れることはない。
 だれもいないから、だれも入ってこないから、ストゥルトゥスはここにいたのだ。
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