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第二話 百度目の戦いの前に
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ひゅー。
不意に耳朶を打った口笛に振り向くと、辺境伯閣下のお姿があった。私と目が合って、ニヤリと笑う。
血のように赤い瞳が印象的な、このファッブリ王国一の武人。
忌まわしい魔獣を生み出す呪いの土地だった大魔林を開拓中の英雄だ。
「エスポージト公爵家のアンドレア嬢だな。……なにがあった? あんたの目は死線を潜り抜けたものだけが持つ光を放ってる。王太子殿下の婚約者ってのは、そんなに危険な生活を送ってるのか? 十年前、聖殿で会ったあんたはもっと幸せそうな顔をしていたぞ」
十年前──そう、十年前、私と彼は王都の聖殿で会ったことがある。
私は七歳の魔力測定の儀で、八歳上の彼は十五歳の成人の儀で聖殿へ行っていたのだ。
そのとき私は国内一の魔力量の多さを見出され、彼は戦神の加護を認められた。それを思い出したのは五十六度目、彼に戦い方を教えてくれと頼んだときだ。
五十七度目、五十八度目と彼に教えを受けた。
もちろんたった半刻ですべてが身につくわけではない。それに、いつも最初からやり直しになる。
どんなに願っても私以外に巻き戻り前の記憶を持つ人はいなかった。
五十八回目の最後に、弟子である私を庇った彼がアイツに殺されてから、私は辺境伯閣下に近寄るのをやめた。
一番大切なことは教えてもらっている。自領の開拓地でも民や部下のために自分を投げ出してしまう優しい閣下に、これ以上甘えられない。
これは私の戦いだ。
「死線を潜り抜けたことなどありませんわ」
いつも負けて死んでいる。
今回も相打ち覚悟だ。
だけどいつか私は勝利する。それが戦い方を教えてくれた、命をかけて庇ってくれた辺境伯閣下へのお礼になるだろう。お辞儀をして、その場を立ち去る。追いかけて来ない彼に安堵すると同時に、少しだけ寂しさを感じた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
だれもいない裏庭で、大きく深呼吸して準備運動を始める。
どんなに心を落ち着かせていても、腕が足が、頭が口が動かなくては意味がない。
いざとなれば噛みついてでもアイツを殺してやる。そのためにもダンスと乗馬くらいしかしたことない令嬢の体を戦士の体に作り直さなくてはいけない。
どんなに繰り返しても半刻の鍛錬では筋肉などつかない。
多少鍛えても巻き戻れば元の令嬢の体に戻ってしまう。──普通なら。
魔術として外に放出することも出来ず、フランカ様やカルラ様のように魔獣素材に浸透させて錬金術をおこなうことも出来なかった私の魔力は、自分の体を高めることには向いていた。準備運動という名の武術の型を繰り返していると、魔力が全身に満ち皮膚を硬化させ筋肉を強化していく。
頭の中は園遊会会場の中庭にある噴水の水のように澄み渡っていく。
底が見えるほど透明の水だ。川や湖のように水草や魚が揺蕩うこともない。
鳥の羽音、虫の足音、風の動きさえ感じ取れる。動くものの気配が伝わってくる。
「……っ!」
突然現れた気配に手刀を叩き込みかけて、私はギリギリで止めた。
莫迦なことを。アイツの気配とはまるで違うのに。
そこには、青い瞳を丸くしたベニアミーノ王太子殿下の姿があった。
「アンドレア」
「申し訳ありませんでした、殿下」
「い、いや、声をかけずに近づいた私のほうが悪かった。しかし……君にそんな才能があるとは知らなかった。先ほどは辺境伯と話していたし、いつから武術を学んでいるのかい?」
「……今日からです」
九十九回繰り返して、今が百度目でも今日は今日だ。
私は明日を知らない。
不意に耳朶を打った口笛に振り向くと、辺境伯閣下のお姿があった。私と目が合って、ニヤリと笑う。
血のように赤い瞳が印象的な、このファッブリ王国一の武人。
忌まわしい魔獣を生み出す呪いの土地だった大魔林を開拓中の英雄だ。
「エスポージト公爵家のアンドレア嬢だな。……なにがあった? あんたの目は死線を潜り抜けたものだけが持つ光を放ってる。王太子殿下の婚約者ってのは、そんなに危険な生活を送ってるのか? 十年前、聖殿で会ったあんたはもっと幸せそうな顔をしていたぞ」
十年前──そう、十年前、私と彼は王都の聖殿で会ったことがある。
私は七歳の魔力測定の儀で、八歳上の彼は十五歳の成人の儀で聖殿へ行っていたのだ。
そのとき私は国内一の魔力量の多さを見出され、彼は戦神の加護を認められた。それを思い出したのは五十六度目、彼に戦い方を教えてくれと頼んだときだ。
五十七度目、五十八度目と彼に教えを受けた。
もちろんたった半刻ですべてが身につくわけではない。それに、いつも最初からやり直しになる。
どんなに願っても私以外に巻き戻り前の記憶を持つ人はいなかった。
五十八回目の最後に、弟子である私を庇った彼がアイツに殺されてから、私は辺境伯閣下に近寄るのをやめた。
一番大切なことは教えてもらっている。自領の開拓地でも民や部下のために自分を投げ出してしまう優しい閣下に、これ以上甘えられない。
これは私の戦いだ。
「死線を潜り抜けたことなどありませんわ」
いつも負けて死んでいる。
今回も相打ち覚悟だ。
だけどいつか私は勝利する。それが戦い方を教えてくれた、命をかけて庇ってくれた辺境伯閣下へのお礼になるだろう。お辞儀をして、その場を立ち去る。追いかけて来ない彼に安堵すると同時に、少しだけ寂しさを感じた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
だれもいない裏庭で、大きく深呼吸して準備運動を始める。
どんなに心を落ち着かせていても、腕が足が、頭が口が動かなくては意味がない。
いざとなれば噛みついてでもアイツを殺してやる。そのためにもダンスと乗馬くらいしかしたことない令嬢の体を戦士の体に作り直さなくてはいけない。
どんなに繰り返しても半刻の鍛錬では筋肉などつかない。
多少鍛えても巻き戻れば元の令嬢の体に戻ってしまう。──普通なら。
魔術として外に放出することも出来ず、フランカ様やカルラ様のように魔獣素材に浸透させて錬金術をおこなうことも出来なかった私の魔力は、自分の体を高めることには向いていた。準備運動という名の武術の型を繰り返していると、魔力が全身に満ち皮膚を硬化させ筋肉を強化していく。
頭の中は園遊会会場の中庭にある噴水の水のように澄み渡っていく。
底が見えるほど透明の水だ。川や湖のように水草や魚が揺蕩うこともない。
鳥の羽音、虫の足音、風の動きさえ感じ取れる。動くものの気配が伝わってくる。
「……っ!」
突然現れた気配に手刀を叩き込みかけて、私はギリギリで止めた。
莫迦なことを。アイツの気配とはまるで違うのに。
そこには、青い瞳を丸くしたベニアミーノ王太子殿下の姿があった。
「アンドレア」
「申し訳ありませんでした、殿下」
「い、いや、声をかけずに近づいた私のほうが悪かった。しかし……君にそんな才能があるとは知らなかった。先ほどは辺境伯と話していたし、いつから武術を学んでいるのかい?」
「……今日からです」
九十九回繰り返して、今が百度目でも今日は今日だ。
私は明日を知らない。
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