お見合い相手が改心しない!

豆狸

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第一章 狐とウサギのラブゲーム?

13・狐と歩けば犬に当たる。①

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 駅前の広場、雑踏の中に立って、わたしこと兎々村璃々は深呼吸をした。
 街角を行く人々は、相変わらず黒い影や霧に覆われている。
 思わず手を伸ばしたくなるのを我慢して、わたしは広場の中央に立つ時計のスタンドを取り囲む石の椅子に腰かけた。今日は待ち合わせなのだ。
 まだ復学はしていないが、近所のコンビニへ買い物に出られるくらいにはなってきた。
 梨里ちゃんと豆田少年の尾行を始めた時点で吹っ切れてたんだと思う。
 それに千羽さんのとき、いくらわたしが黒い影を消したところで、それがその人の心からあふれ出しているものなら再び現れるとわかったし。
 以前は怪訝そうに見られるのがイヤで……まあいくらわたしが女性でも、いきなり触られたら向こうもイヤだろう……黒い影を消したらすぐ離れてたから、そうなる可能性があるかもしれないと思いつつも、はっきり確認はしていなかったのだ。
 そっと、自分の胸に手を当てる。
 狐の女神さまも守ってくれているのだ。
 自分にできることとできないこと、ちゃんと見極めて生きていかなくては。
 凛星女学院にも戻りたいけれど、もう三か月も休んでいるから次の学期からかな。

 ……鹿川さんはどうするんだろう。

 秋とは思えないほど暑かった気温は、ここ数日で一気に冬へと変わっていた。
 わたしは先日奇妙な関わり方をした同級生のことを思い出しながら、両手を擦り合わせる。家を出たときは手袋をしていたのだが、電車の車内が暑かったので外してバッグへ入れているのだ。
 手袋出そうかな、なんて思っていたとき、

「璃々さん」

 柔らかく澄んで、ほんのり甘い声が聞こえて、わたしは顔を上げた。
 冬の弱弱しい日差しが彼の栗色の髪を煌めかせている。
 薄い色の髪が似合う白い肌を彩る顔立ちは純和風で、彫りは深くないものの端正だった。
 わたしは立ち上がり、彼を見つめた。

「信吾さん、今日は着物なんですね」
「はい、この前少しそんな話が出たでしょう? もっとも十五年前璃々さんとお会いしたときは、こんな感じではなかったですが」

 彼は狐塚信吾さん。
 先日お見合いした相手で、十五年前会ったときからわたしを愛しているという奇特な男性だ。
 その頭上には、わたしの中にいる狐の女神さまと夫婦に当たる狐さんが浮かんでいる。
 普通の黒い影がたまたま狐の形をしているようにも見えるし、ところどころ溶けたようにもなっているのだけれど、頑張って維持している立体感で元神の矜持を保っている。

「そうですね。前のときは座敷童みたいでしたけど、今日は明治大正の文豪のようでとってもカッコいいですよ」

 いつも少年漫画の最強糸目キャラのような仮面の笑みを浮かべている信吾さんなんだけど、わたしのちょっとした言葉で自然で温かい本当の笑顔になってくれる。──なってくれるのはいいんだけど。
 彼は着物の袖口からタオルを出して、自分の顔の下半分を覆った。

「……大丈夫ですか?」
「……なんとか持ちこたえました」

 信吾さんはわたしが好きだ。
 わたしの自惚れでもなんでもなく、本当に好きで好きでたまらないらしい。

 ……ぶっちゃけ病んでいる。

 普通の人は十五年前に会っただけの異性をずっと思い続けて、元神の狐さんや興信所に探させたりしない。
 いきなり好きだと告げたらドン引きされるからといって、シスコンを自称したりしない。
 ちょっと気持ちが盛り上がっただけで、鼻血を出したり心臓が止まりそうになったりしない。
 まあでもそんな人でもなければ、黒い影を見て消して体調不良になるわたしみたいな引き籠りニート女子大生を選んでくれなかっただろう。
 破れ鍋に綴じ蓋ってヤツよね。

「正式な婚約もまだなのに、わたしを置いて亡くなったりしないでくださいね。この前のお部屋では驚きました」
「あのときはすいませんでした。璃々さんがあまりに可愛すぎるから、つい自分の状態も弁えずにキスしようとしてしまって……」

 わたしの肩をつかんで顔を近づけてきた信吾さんは、そのままふたりで座っていたソファに倒れ込んでしまったのだ。
 慌てて抱き起こしたけれど、彼の心臓は止まっていた。
 普段から白い顔がさらに紙のように白くなって、頭上の狐さんも慌てていたっけ。

「梨里ちゃんが学校で習ったっていう心臓マッサージをしてくれて良かったですね」
「ええ。……璃々さんが帰った後で、滅茶苦茶キモいって言われましたけどね」
「あー……」

 そりゃ実の兄が、つき合っている女性が好き過ぎるあまりキスしようとしたら心臓が止まった、なんて言われたら引きますよ。
 梨里ちゃんは中学生で、ただでさえ敏感なお年ごろなんだし。
 わたしにも、お姉ちゃんになってくれるのは嬉しいけど、お兄気持ち悪いから無理しなくていいよ、とメールを送ってくれたっけ。

「信吾さん」
「はい、璃々さん」
「わ、わたしもあまり男女関係は慣れていませんから、そんなに焦らなくても大丈夫ですよ。ふたりでゆっくり進んでいきましょう?」
「璃々さん……そういう可愛いことをおっしゃるから僕が暴走してしまうんですよ?」
「わたしは黒い影を触らないように気をつけますから、信吾さんも暴走しないよう気をつけてください。狐さんもちゃんと止めてあげてくださいね!」

 信吾さんの頭上の狐さんは、わたしの言葉に絶望に満ちた表情を見せた。
 泣きそうな顔で首を横に振る。
 いや、まあ、うん、わかってはいるのよ。
 信吾さんは狐さんの制止なんか聞くような人じゃないって。
 小学校のころから株式投資で稼いできたのは本人の実力だし、そもそも白く輝く神さまだった狐さんが、人間の悪意や呪い、悪霊や怨霊であるだろう黒い影とそう変わらない姿になってしまったのも──

「璃々さん」
「ひゃいっ?」
「僕が声をかける前、手を擦ってらっしゃったでしょう? 寒いんじゃないですか?」

 信吾さんはわたしに、自分の手を差し出してくれていた。

「大丈夫ですか?」
「少しずつ慣れていかなければ、ちゃんと結婚できないじゃないですか。今日は僕たち、婚約指輪を注文しに行くんですよ?」
「そうですね」

 そっと伸ばしたわたしの手が待ちきれなかったかのように、骨ばった長い指が絡みついてくる。
 白くすべすべした肌から体温が伝わってきた。
 幽かに震えているのがわかる。
 好きだと打ち明けられる前は結構接触があった気がするけど、意識するとダメなのかな。

「信吾さんの手、温かいです」
「それは良かったです。ところで璃々さん、婚約指輪を注文する店はこの前話していたブランドでいいですか? ほかの店に変えてもいいんですよ?」
「……予約もしてるしあの店でいいです」

 本当は、信吾さんの提示するどの店でも抵抗があった。
 どこも世界的に有名なブランドなのだ。
 婚約指輪ひとつ取っても十万二十万は平気で越えている。
 一緒に雑誌やネットを見ていて、百万以上の婚約指輪があったのに驚いていたら、気に入ったのならそれにしますか、と聞かれてしまった。
 慌てて安価なべつの店を選んで、今日実際に訪れることになったわけである。

「それに、あの、そんなにお金を使わなくてもいいんですよ? 結婚指輪や結婚式の準備もあるし、わたしと両親の生活の面倒さえ見てくださるなら、ほかのお金はご家族のために使ってあげてください」
「気にしないでください、璃々さん。先日の件で父の個展が大成功して入ったあぶく銭ですから。もちろん仲介役としての配分だけですし」
「せ、先日の件……」

 信吾さんが最強キャラの笑みを浮かべる。

「……復讐を望んでいる人って、世間にはたくさんいるんですねえ……」

 わたしは聞かなかったことにした。
 結婚を前提にお付き合いしているお見合い相手だけど、信吾さんには深入りしないほうがいい。人が深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを見ているのだ。

「あ、でも璃々さんがアクセサリーをお嫌いなら、無理に付けてくださらなくてもいいですよ。金属アレルギーとかは大丈夫ですか?」
「はい。昔はよく護符になるっていうネックレスとか使ってました。……わたしが何回か黒い影に触ると黒く錆びてボロボロになっちゃったんですけどね」

 うん、わたしも普通とは違うもんね。破れ鍋に綴じ蓋!

「黒い影には近寄らないでいてくれるのが一番ですが、婚約指輪や結婚指輪がボロボロになっても新しいものを用意するので気にしないでください。僕、男なのにアクセサリー好きなんです。璃々さんがつけてくださるなら購入し甲斐があります」
「アクセサリーお好きなんですか?」
「はい。資産価値があって担保になるし……璃々さんは根が真面目だから、ボロボロになったアクセサリーはそのまま璃々さんを縛る拘束になるでしょうし……あ、なんでもないですよ?」

 わたしは聞かなかったことにした。
 信吾さんとお付き合いしていくのに、一番必要なのはスルー技術だ。
 どうせ逃げられないし、逃げるつもりもないのだから。
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