5 / 10
第五話 愛せなかった少女
しおりを挟む
ロナウドは怒りを胸に帰宅した。
ジュリアナのことは愛していない。
だが、王命の婚約者として結び付けられて十年の月日を過ごしてきたのだ。情はあるし、ふたりでブラガ侯爵家と南部を盛り立てて行こうと考えていたときもある。
彼女が公爵令嬢を引き込んだりせず、素直にクェアダに謝っていればこれまでのことは水に流そうと思っていたのに。
そう思いながら帰った王都にあるブラガ侯爵邸には、領地にいるはずの父、現当主ブラガ侯爵がいた。
応接室のソファに座った父は、不機嫌そうな顔でロナウドを見つめて言った。
「ジュリアナ嬢との婚約を勝手に破棄したそうだな」
「どうしてご存じなのですか?」
「私が王都へ来たのは王太子殿下に呼ばれたからだ。殿下は婚約者のナタリア嬢と密接に連絡を取り合っている。昼休みに起きた椿事など、午後の授業が終わる前には殿下の耳に入っている。……王命で結ばれた婚約だったというのはわかっているのだろうな?」
「申し訳ありません、父上。ですが、ジュリアナはブラガ侯爵家に相応しい人間とは言えません。彼女は私が親しくしているペリゴ男爵家の令嬢クェアダを虐めていたのです」
ロナウドの言葉に、ブラガ侯爵は溜息を漏らす。
「ジュリアナ嬢という婚約者がいながら、ほかの女性と親しくしていた自分を反省する気持ちはないのか?」
「それは申し訳ないと思っています。しかし、だからといって虐めるのは論外です」
「証拠はあるのか?」
「クェアダとピント子爵子息、南部貴族派のもの達が証言してくれていたのですが、ジュリアナがエステヴェス公爵令嬢を利用して圧力をかけたせいで証言を覆されてしまいました」
「……」
しばらくの沈黙の後で、ブラガ侯爵はロナウドに尋ねてきた。
「ロナウド。お前とジュリアナ嬢の婚約が、どうして結ばれたかは知っているな?」
「は、はい。クェアダの実家ペリゴ男爵家が、麦が豊作だったにもかかわらず不作と偽って国庫からの支援金をもらい続けていたからです。けれどそれはクェアダの祖父の代の話ですし、不当に受け取った支援金は少しずつ返済しています。それでも王家の南部貴族派への不信感は拭えず、東部貴族派に監視させるために私とジュリアナの婚約を命じたのだと聞いています」
「それは表向きの理由だ。次の世代に遺恨は残したくないし、子どもには罪はないと考えて、成人前のお前には真実を伝えていなかった私が悪かったのだな……」
「父上?」
「もちろん支援金を不当に受け取っていただけでも大罪だが、男爵家の罪はそれだけではない。不作だと誤魔化していたのだから、豊作で収穫出来た麦を公的に売ることは出来ない。実った麦はどこへ行ったのだと思う?」
「密売ですか?」
「だったら、まだ良かったな」
ペリゴ男爵領は南部貴族派の領地の東北の端にあり、東部貴族派の領地と接している。
王国の東を塞ぐ山脈がちょうど途切れて、帝国南部の平原につながる辺りだ。
「男爵はその麦を平原に住む盗賊団に与えていた」
「……なぜですか?」
「盗賊団が帝国の外れにある小さな村や町を襲って攫った奴隷を受け取る代償だ」
「奴隷、は……」
「我が王国でも帝国でも、ほかの近隣諸国でも犯罪奴隷と借金奴隷以外は認められていないし、無暗に虐待するような真似は禁じられている。……違法の、存在すら知られていない奴隷にどんな扱いをしようと、だれにも知られはしないがな」
男爵の不正は、帝国からの要請で奴隷問題を調査しているときに明らかになったのだという。
「証拠は? 男爵家がそんなことをしているという証拠はあったのですか?」
「証拠は見つからなかった」
「なら冤罪だったのではないですか? 帝国は五年前に今の皇帝が即位するまでは、現皇帝の父親に当たる前皇帝の乱れた女性関係のせいで国内が荒れた状態だったと聞きます。我が国に罪を擦り付けて金をせびるつもりだったのでは?」
「……国にはそう報告したというだけの話だ。実際は父上、お前の祖父が身内可愛さに男爵家を庇って証拠の奴隷達を始末したのだ。私は! 私は何度も父上に言ったのだ! 同じ南部の身内だからこそ罪は罪として受け入れ、ちゃんと処罰するべきだと!」
「……クェアダのせいではありません」
「そうだな。男爵令嬢は婚約者のいる人間に擦り寄っただけだ」
その通りだったので、ロナウドは言葉を返せなかった。
王家は薄々察しながらもそれ以上深入りすることが出来ず、事なかれ主義の国王が東部貴族派に南部の監視を押し付けることで手打ちにしたのだった。
とはいえ東部貴族派が南部を監視出来るようになるのは、ジュリアナがブラガ侯爵家に嫁いで身内となった後のことだ。今の段階では未来の親族としての付き合い以上のことはなかった。
「ロナウド、どうして私が王太子殿下に呼び出されたと思う?……帝国が、ペリゴ男爵家と盗賊団がつながっているという証拠を送って来たからだ」
今の帝国皇帝は病弱で、家臣の前にも滅多に姿を現さないという。
しかし異母弟妹や即位前からの忠臣による情報網を張り巡らせていて、国の内外を問わず知らないことはないのではないかとも言われていた。
ブラガ侯爵は吐き捨てるように言葉を続けた。
「父上に庇われて生き長らえたというのに! あの忘恩の輩はこの十年も盗賊団とつながり続けていたんだ! 今度は売る側に回っていた。麦の不作で生活が苦しくなった自領や他領の民を言葉巧みに騙して! お前が本来の婚約者を蔑ろにして選んだのは、そういう家の娘だ! 婚約者のいる人間に擦り寄る女だ!」
ブラガ侯爵家は南部貴族派の筆頭だ。
ペリゴ男爵家の所業とはいえ、管理責任を問われるのは間違いないだろう。
男爵領は東部貴族派の領地と接しているが、人攫いが出るので東部の人間が男爵領に入ることはない、学園で流れていたそんな噂を思い出す。ロナウドはそれを聞いたとき、ジュリアナがクェアダを貶めるために流した噂ではないかと疑ったのだった。
ジュリアナのことは愛していない。
だが、王命の婚約者として結び付けられて十年の月日を過ごしてきたのだ。情はあるし、ふたりでブラガ侯爵家と南部を盛り立てて行こうと考えていたときもある。
彼女が公爵令嬢を引き込んだりせず、素直にクェアダに謝っていればこれまでのことは水に流そうと思っていたのに。
そう思いながら帰った王都にあるブラガ侯爵邸には、領地にいるはずの父、現当主ブラガ侯爵がいた。
応接室のソファに座った父は、不機嫌そうな顔でロナウドを見つめて言った。
「ジュリアナ嬢との婚約を勝手に破棄したそうだな」
「どうしてご存じなのですか?」
「私が王都へ来たのは王太子殿下に呼ばれたからだ。殿下は婚約者のナタリア嬢と密接に連絡を取り合っている。昼休みに起きた椿事など、午後の授業が終わる前には殿下の耳に入っている。……王命で結ばれた婚約だったというのはわかっているのだろうな?」
「申し訳ありません、父上。ですが、ジュリアナはブラガ侯爵家に相応しい人間とは言えません。彼女は私が親しくしているペリゴ男爵家の令嬢クェアダを虐めていたのです」
ロナウドの言葉に、ブラガ侯爵は溜息を漏らす。
「ジュリアナ嬢という婚約者がいながら、ほかの女性と親しくしていた自分を反省する気持ちはないのか?」
「それは申し訳ないと思っています。しかし、だからといって虐めるのは論外です」
「証拠はあるのか?」
「クェアダとピント子爵子息、南部貴族派のもの達が証言してくれていたのですが、ジュリアナがエステヴェス公爵令嬢を利用して圧力をかけたせいで証言を覆されてしまいました」
「……」
しばらくの沈黙の後で、ブラガ侯爵はロナウドに尋ねてきた。
「ロナウド。お前とジュリアナ嬢の婚約が、どうして結ばれたかは知っているな?」
「は、はい。クェアダの実家ペリゴ男爵家が、麦が豊作だったにもかかわらず不作と偽って国庫からの支援金をもらい続けていたからです。けれどそれはクェアダの祖父の代の話ですし、不当に受け取った支援金は少しずつ返済しています。それでも王家の南部貴族派への不信感は拭えず、東部貴族派に監視させるために私とジュリアナの婚約を命じたのだと聞いています」
「それは表向きの理由だ。次の世代に遺恨は残したくないし、子どもには罪はないと考えて、成人前のお前には真実を伝えていなかった私が悪かったのだな……」
「父上?」
「もちろん支援金を不当に受け取っていただけでも大罪だが、男爵家の罪はそれだけではない。不作だと誤魔化していたのだから、豊作で収穫出来た麦を公的に売ることは出来ない。実った麦はどこへ行ったのだと思う?」
「密売ですか?」
「だったら、まだ良かったな」
ペリゴ男爵領は南部貴族派の領地の東北の端にあり、東部貴族派の領地と接している。
王国の東を塞ぐ山脈がちょうど途切れて、帝国南部の平原につながる辺りだ。
「男爵はその麦を平原に住む盗賊団に与えていた」
「……なぜですか?」
「盗賊団が帝国の外れにある小さな村や町を襲って攫った奴隷を受け取る代償だ」
「奴隷、は……」
「我が王国でも帝国でも、ほかの近隣諸国でも犯罪奴隷と借金奴隷以外は認められていないし、無暗に虐待するような真似は禁じられている。……違法の、存在すら知られていない奴隷にどんな扱いをしようと、だれにも知られはしないがな」
男爵の不正は、帝国からの要請で奴隷問題を調査しているときに明らかになったのだという。
「証拠は? 男爵家がそんなことをしているという証拠はあったのですか?」
「証拠は見つからなかった」
「なら冤罪だったのではないですか? 帝国は五年前に今の皇帝が即位するまでは、現皇帝の父親に当たる前皇帝の乱れた女性関係のせいで国内が荒れた状態だったと聞きます。我が国に罪を擦り付けて金をせびるつもりだったのでは?」
「……国にはそう報告したというだけの話だ。実際は父上、お前の祖父が身内可愛さに男爵家を庇って証拠の奴隷達を始末したのだ。私は! 私は何度も父上に言ったのだ! 同じ南部の身内だからこそ罪は罪として受け入れ、ちゃんと処罰するべきだと!」
「……クェアダのせいではありません」
「そうだな。男爵令嬢は婚約者のいる人間に擦り寄っただけだ」
その通りだったので、ロナウドは言葉を返せなかった。
王家は薄々察しながらもそれ以上深入りすることが出来ず、事なかれ主義の国王が東部貴族派に南部の監視を押し付けることで手打ちにしたのだった。
とはいえ東部貴族派が南部を監視出来るようになるのは、ジュリアナがブラガ侯爵家に嫁いで身内となった後のことだ。今の段階では未来の親族としての付き合い以上のことはなかった。
「ロナウド、どうして私が王太子殿下に呼び出されたと思う?……帝国が、ペリゴ男爵家と盗賊団がつながっているという証拠を送って来たからだ」
今の帝国皇帝は病弱で、家臣の前にも滅多に姿を現さないという。
しかし異母弟妹や即位前からの忠臣による情報網を張り巡らせていて、国の内外を問わず知らないことはないのではないかとも言われていた。
ブラガ侯爵は吐き捨てるように言葉を続けた。
「父上に庇われて生き長らえたというのに! あの忘恩の輩はこの十年も盗賊団とつながり続けていたんだ! 今度は売る側に回っていた。麦の不作で生活が苦しくなった自領や他領の民を言葉巧みに騙して! お前が本来の婚約者を蔑ろにして選んだのは、そういう家の娘だ! 婚約者のいる人間に擦り寄る女だ!」
ブラガ侯爵家は南部貴族派の筆頭だ。
ペリゴ男爵家の所業とはいえ、管理責任を問われるのは間違いないだろう。
男爵領は東部貴族派の領地と接しているが、人攫いが出るので東部の人間が男爵領に入ることはない、学園で流れていたそんな噂を思い出す。ロナウドはそれを聞いたとき、ジュリアナがクェアダを貶めるために流した噂ではないかと疑ったのだった。
247
あなたにおすすめの小説
幼い頃、義母に酸で顔を焼かれた公爵令嬢は、それでも愛してくれた王太子が冤罪で追放されたので、ついていくことにしました。
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
設定はゆるくなっています、気になる方は最初から読まないでください。
ウィンターレン公爵家令嬢ジェミーは、幼い頃に義母のアイラに酸で顔を焼かれてしまった。何とか命は助かったものの、とても社交界にデビューできるような顔ではなかった。だが不屈の精神力と仮面をつける事で、社交界にデビューを果たした。そんなジェミーを、心優しく人の本質を見抜ける王太子レオナルドが見初めた。王太子はジェミーを婚約者に選び、幸せな家庭を築くかに思われたが、王位を狙う邪悪な弟に冤罪を着せられ追放刑にされてしまった。
いいえ、望んでいません
わらびもち
恋愛
「お前を愛することはない!」
結婚初日、お決まりの台詞を吐かれ、別邸へと押し込まれた新妻ジュリエッタ。
だが彼女はそんな扱いに傷つくこともない。
なぜなら彼女は―――
心を病んでいるという嘘をつかれ追放された私、調香の才能で見返したら調香が社交界追放されました
er
恋愛
心を病んだと濡れ衣を着せられ、夫アンドレに離縁されたセリーヌ。愛人と結婚したかった夫の陰謀だったが、誰も信じてくれない。失意の中、亡き母から受け継いだ調香の才能に目覚めた彼女は、東の別邸で香水作りに没頭する。やがて「春風の工房」として王都で評判になり、冷酷な北方公爵マグナスの目に留まる。マグナスの支援で宮廷調香師に推薦された矢先、元夫が妨害工作を仕掛けてきたのだが?
完結 愛人さん初めまして!では元夫と出て行ってください。
音爽(ネソウ)
恋愛
金に女にだらしない男。終いには手を出す始末。
見た目と口八丁にだまされたマリエラは徐々に心を病んでいく。
だが、それではいけないと奮闘するのだが……
ただ誰かにとって必要な存在になりたかった
風見ゆうみ
恋愛
19歳になった伯爵令嬢の私、ラノア・ナンルーは同じく伯爵家の当主ビューホ・トライトと結婚した。
その日の夜、ビューホ様はこう言った。
「俺には小さい頃から思い合っている平民のフィナという人がいる。俺とフィナの間に君が入る隙はない。彼女の事は母上も気に入っているんだ。だから君はお飾りの妻だ。特に何もしなくていい。それから、フィナを君の侍女にするから」
家族に疎まれて育った私には、酷い仕打ちを受けるのは当たり前になりすぎていて、どう反応する事が正しいのかわからなかった。
結婚した初日から私は自分が望んでいた様な妻ではなく、お飾りの妻になった。
お飾りの妻でいい。
私を必要としてくれるなら…。
一度はそう思った私だったけれど、とあるきっかけで、公爵令息と知り合う事になり、状況は一変!
こんな人に必要とされても意味がないと感じた私は離縁を決意する。
※「ただ誰かに必要とされたかった」から、タイトルを変更致しました。
※クズが多いです。
※史実とは関係なく、設定もゆるい、ご都合主義です。
※独特の世界観です。
※中世〜近世ヨーロッパ風で貴族制度はありますが、法律、武器、食べ物など、その他諸々は現代風です。話を進めるにあたり、都合の良い世界観となっています。
※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。
愛しい義兄が罠に嵌められ追放されたので、聖女は祈りを止めてついていくことにしました。
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
グレイスは元々孤児だった。孤児院前に捨てられたことで、何とか命を繋ぎ止めることができたが、孤児院の責任者は、領主の補助金を着服していた。人数によって助成金が支払われるため、餓死はさせないが、ギリギリの食糧で、最低限の生活をしていた。だがそこに、正義感に溢れる領主の若様が視察にやってきた。孤児達は救われた。その時からグレイスは若様に恋焦がれていた。だが、幸か不幸か、グレイスには並外れた魔力があった。しかも魔窟を封印する事のできる聖なる魔力だった。グレイスは領主シーモア公爵家に養女に迎えられた。義妹として若様と一緒に暮らせるようになったが、絶対に結ばれることのない義兄妹の関係になってしまった。グレイスは密かに恋する義兄のために厳しい訓練に耐え、封印を護る聖女となった。義兄にためになると言われ、王太子との婚約も泣く泣く受けた。だが、その結果は、公明正大ゆえに疎まれた義兄の追放だった。ブチ切れた聖女グレイスは封印を放り出して義兄についていくことにした。
欲しがり病の妹を「わたくしが一度持った物じゃないと欲しくない“かわいそう”な妹」と言って憐れむ(おちょくる)姉の話 [完]
ラララキヲ
恋愛
「お姉様、それ頂戴!!」が口癖で、姉の物を奪う妹とそれを止めない両親。
妹に自分の物を取られた姉は最初こそ悲しんだが……彼女はニッコリと微笑んだ。
「わたくしの物が欲しいのね」
「わたくしの“お古”じゃなきゃ嫌なのね」
「わたくしが一度持った物じゃなきゃ欲しくない“欲しがりマリリン”。貴女はなんて“可愛”そうなのかしら」
姉に憐れまれた妹は怒って姉から奪った物を捨てた。
でも懲りずに今度は姉の婚約者に近付こうとするが…………
色々あったが、それぞれ幸せになる姉妹の話。
((妹の頭がおかしければ姉もそうだろ、みたいな話です))
◇テンプレ屑妹モノ。
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい。
◇なろうにも上げる予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる