悪夢に狂う

豆狸

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第一話 狂う女

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 金の髪に緑の瞳、私の婚約者だった美しいシャルル王太子殿下は冷たい声で拷問官に告げました。

「この女は私を殺そうとした。なんとしても自白させろ」

 苔むした拷問室の石床に私を転がして、彼は去っていきました。
 拷問官達は革の仮面をかぶっていますし、拷問が始まってすぐ私の両目は焼けた鉄串で潰されました。
 私の瞳に最後に映ったのは、シャルル殿下のご尊顔となったのです。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 いつもの魔導学園の登校風景、卒業までは残り一ヶ月ほどです。
 馬車を降りて校舎へ向かっていた私の瞳が愛しい方を捉えました。
 金の髪に緑の瞳、美しいシャルル王太子殿下。彼は私の婚約者ですが、学園に入学してからずっと彼の隣にはピンク色の髪をした女の子の姿があります。平民出身の特待生、ディアーブラ様です。

 彼女に嫉妬して冷たい言葉を浴びせてしまった私は、すっかりシャルル殿下に嫌われてしまいました。登下校も昼食も別々ですし、夜会にもエスコートしていただけません。
 それでも、形だけの関係でも私は彼の婚約者です。
 挨拶だけでもしようと開いた唇から、私自身にとっても思いがけない叫びが迸りました。

「いやあああぁぁぁっ!」

 恐怖が全身を包み、止めどなく涙が溢れます。
 足に力が入らなくなって、私はその場に膝をつきました。
 同行していた侍女と護衛騎士が真っ青になって尋ねてきます。ふたりは双子で、幼いころから私に仕えてくれています。

「どうなさったのですか、お嬢様!」
「いやっいやっいやあああぁぁぁっ!」

 叫びながら私は、侍女の胸に顔を埋めました。
 瞼を降ろし、さっきの一瞬で目に焼き付いた光景から意識を逸らそうとしますが、どうしてもできません。
 シャルル殿下の隣にディアーブラ様が立っていたことに嫉妬しているのではありません。金の髪に緑の瞳、私の美しい婚約者の姿が恐ろしくてならないのです。心臓がバクバクと音を立てています。

「アリス、ジュベル公爵令嬢ともあろうものが朝からなにをしている。そんなことで私の気を引くつもりか」

 冷たい声に背筋が凍ります。
 私は侍女の腕を掴んでいた指に力を込めました。
 怖い怖い怖い怖い怖い──

「お父様お父様お父様、助けてお父様、お父様」

 私の呟きに義兄のダニエルが鼻を鳴らす音が聞こえました。
 母の死後、父が後添いを迎える代わりに引き取った養子なので直接の血のつながりはありません。
 王家の傍系であるジュベル公爵家の遠縁にあたる人物らしく、シャルル殿下とよく似た金の髪に緑の瞳の青年です。殿下よりも身長は高いでしょうか。

「父上は王宮で公務中だ。婚約者の殿下にも見限られた出来損ないのためにいらっしゃるはずがないだろう?」

 義兄はそう言いますし、これまでは私もそう思っていました。
 私は出来が良いとは言い難い娘でした。どんなに公務や勉学、未来の王妃としての教育を頑張っても、褒めてくださるのはお優しい王妃様だけです。
 父は、母の命と引き換えに生まれて来た私を憎んでいるのかもしれません。ですが耳に蘇るのです。父の低く優しい声が。

 ──一緒に逃げよう、アリス。
 こんな国どうなったってかまわない。
 大切なのはお前だけだ。私の愛する妻が命を懸けて産んでくれたお前だけなんだ。

 覚えているのは声だけです。
 だって父の赤毛は見ることが出来なかったのです。あのときはもう眼球がどちらも潰されていましたもの。
 体もボロボロで……あのとき? あのときとはいつだったでしょうか?

「いつまでそんな見苦しい真似を続ける気だ。早く立ち上がれ!」

 シャルル殿下の叱責に体が震え、さらに侍女の腕を掴む指に力が籠もります。
 痛かったのか、彼女が低く唸りました。

「……ご、ごめんなさい。痛いわよね。わかっているの。わかっているのに、どうしても手から力を抜けないの」
「かまいませんわ、アリス様。ご安心ください、弟を王宮へ向かわせました」
「アリスっ!」

 殿下の声に怯えているのを気づかれていたのでしょう。
 侍女が両手で私の耳を塞いでくれました。
 耳を塞ぐ指の隙間を縫って、授業開始を告げる鐘が鳴り響きました。人の気配が周りから去っていきます。きっとこれまで以上にシャルル殿下のご不興を買ってしまいましたわね。でもどんなに頑張っても殿下は、魔導学園の卒業パーティで私との婚約を破棄なさるのです──まだ在学中だというのに、あるはずのない記憶が頭をぎります。

 ……この記憶はなんなのかしら?

 侍女の腕の中で震えているうちに、どれほどの時間が経ったのでしょうか。
 馬の蹄の音が近づいてくるのを感じて、私は顔を上げました。
 燃え盛る炎のような髪と口髭が美々しいジュベル公爵。武人としても文官としても優れた手腕を見せ、国王からの信頼篤い宰相の姿がそこにありました。気難しい顔をして眉間に皺を寄せていますが、私はなぜか父からの愛情を疑う気にはなれませんでした。

「お父様……っ!」
「アリス!」

 馬上から降りた父の腕の中に飛び込みます。
 侍女の腕は大丈夫でしょうか。私の指の痕が残らないと良いのですが。
 額を当てた父の胸は広く温かく、私はようやく安堵することが出来ました。ずっとずっと怖くてたまらなかったのです。

 侍女は先ほど父を呼びに行ってくれた護衛騎士と馬車で帰るというので、私は父と馬に跨りました。
 魔導学園の校舎から数多の視線を感じるものの、振り返る気にはなれません。
 もしそこにシャルル殿下のご尊顔があったら、私はまた恐怖に包まれて叫び出していたでしょうから。幼いころからの愛情が消えたわけではありません。ですが、この恐怖は永遠に消えない、そんな気がしていました。
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