私の名前を呼ぶ貴方

豆狸

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第六話 ユタン伯爵の訪問

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 セパラシオンがヴァンサン侯爵領へ戻って数日が過ぎたとき、王都から新しいユタン伯爵トマがやって来るという連絡があった。
 自分がデロベだと言い張るジャンヌの対応に疲れたセパラシオンが義弟である彼を呼んだわけではない。
 トマのほうから訪問したいという申し出があったのだ。

「ジャンヌ」

 トマが館に着いたので、セパラシオンは中庭にいたジャンヌを呼びに来た。
 もちろんそう呼んでも彼女は振り返らない。
 デロベは庭で花壇を眺めたり園芸に興じたりはしていなかったが、ジャンヌがそうしていたときの姿とも少し違う。彼女は、魂が抜けたかのように虚ろな瞳をしていた。

「……デロベ」
「なぁに、セパラシオン」

 振り向いたときの幸せそうな微笑みも少しデロベとは違う。

「トマが……君の義弟が館へ来た」
「あの子が?」

 不機嫌そうに歪めた顔はデロベのものだ。瞳の色さえ青灰色でなければ。
 トマとデロベは仲が悪かった。
 親しくなろうと近寄っていくデロベをトマが相手にしなかったのだ。デロベはジャンヌとも親しくなりたいと言って、セパラシオンに彼女の話を聞いて来た。ふたりが近づいたのはそれがきっかけだ。

「雑草を間引いていたのかい?」
「いいえ、この白詰草は雑草除けに植えられたものよ。幸運の四つ葉を見つけたわ。セパラシオン、貴方にあげる」
「あ、ああ、ありがとう」
「昔もこんなことがあったわね。……違う。これはの記憶じゃない」
「デロベ?」

 彼女はセパラシオンに一度渡した四つ葉の白詰草を奪い取り、踏み躙った。
 ああ、そうだ。と、セパラシオンは思い出す。
 幸運のお守りだという四つ葉の白詰草をくれたのはジャンヌだった。婚約を結ぶよりも前の思い出である。お互いに貴族家の当主として頑張ろうと約束したときにくれたのだ。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 トマは神殿の大神官を同行していた。
 大神官とは結婚や離縁などの契約を取り扱い、生まれたばかりの赤ん坊に祝福を与え、生者の世界にしがみつく死霊を冥府へと送る存在である。
 セパラシオンとジャンヌがふたりを待たせていた応接室へ入ると、なにが見えたのか大神官が少し驚いたような顔をした。その隣のトマがセパラシオンに言葉をかける。

「ジャンヌの結婚式以来だから三年ぶりですね、セパラシオン殿。ジャンヌの父親と会う時間があるのなら、私にも連絡してくれれば良かったのに」
「……」
「今日は会ってくださってありがとうございます。ジャンヌは元気ですか?」
「その……」

 セパラシオンの隣に座ったジャンヌは、庭で花壇を眺めたり園芸に興じたりしているときと同じ虚ろな瞳をしている。
 ちらりと大神官を見て、向かいの長椅子に腰かけたトマが言う。

「今日はみっつの用事があって来ました。ひとつはセパラシオン殿とジャンヌの離縁。白い結婚であることを証明してもらうため大神官様にご同行いただきました」
「……」
「ふたつ目はセパラシオン殿にご報告です。デロベの両親が殺されました」
「は?」
「父さんと母さんが?」

 言葉を発したジャンヌにトマが視線を向ける。
 セパラシオンは違和感を覚えた。
 ジャンヌにとって、デロベの母親は母ではない。ジャンヌの父は王都の伯爵邸へ愛人親娘を連れ込んだが、正式に再婚したわけではないのだ。正式に再婚していたとしても、先代伯爵を慕うジャンヌはデロベの母親を母さんとは呼ばなかっただろう。

「犯人はもう捕まっています。下町にいたころからのデロベの恋人でした。彼は十五歳で孤児院から出て行く直前に、慰問で来ていた先代ユタン伯爵を殺しました。デロベの命令で、です」
「違うわっ! アイツが勝手にやったことよ!」
「彼はデロベ本人も殺しています。異母姉の婚約者の妾になるのが確定したと思ったデロベに口封じされそうになって、反撃で殺してしまったのだそうです」
「……なにを言ってるの? アタシ、死んでないわよ?」

 怪訝そうなジャンヌの姿は演技には見えなかった。
 セパラシオンは背筋に冷たいものを感じた。
 本当にジャンヌはデロベの真似をしているだけなのだろうか。隣にいるこの女性はなのだろうか。そんな考えても答えの出ない問いが頭の中を駆け巡る。

「デロベの恋人にあの女を殺すつもりはありませんでした。あんな女でも彼は愛していたのです。だからデロベ殺害が物取りの仕業とされているのを良いことに、三年かけて準備をして、あの女の元となったふたりの男女を生贄にした邪悪な禁忌の儀式をおこなって、あの女に一番近い血筋の人間に呼び戻した魂を宿らせたのです。儀式がおこなわれたのは……」

 トマが口にした日付は、ジャンヌの髪が黄金色になった日のものだった。

「みっつ目の最後の用事にも大神官様のお力添えが必要になります。僕は悪霊デロベをジャンヌの身体から追い出しに来たのです」
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