その瞳は囚われて

豆狸

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最終話 空の青

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「レオニー先生、さようならー」
「はい、さようなら」

 ルロワ侯爵家を出て数か月後に、母はカミーユ商会の会頭と再婚した。
 いろいろ思うところはあるが、母が幸せになってくれるのなら文句はない。
 私は会頭の……ポール義父さんの紹介で、カミーユ商会で働く人達の子どもに読み書き計算を教える仕事を始めた。自分で選んだこととはいえ環境の変化による疲労は大きく、最初のうちは自分に自信が持てなくて子ども達に舐められたりもした。

「教室は終わったのか、レオニー」
「アレクシ義兄さん、南の大陸から戻るのは明日じゃなかった?」
「良い風が吹いてくれてな、予定よりも早く帰れた」

 学校代わりの商会の建物から出てきたところで、久しぶりにアレクシ義兄さんと会った。
 黒髪に青い瞳。いつも潮の香りを漂わせているのに、アレクシ義兄さんの瞳の青は空の青だ。
 だから風に愛されているのかもしれない。

 アレクシ義兄さんは、夫を亡くした母親が再婚するときに伯父であるポール義父さんの養子になっていた。
 全員で一緒に暮らしているわけではないけれど、ポール義父さんと母、アレクシ義兄さんと私、母が産んだ年の離れた弟が家族だ。
 彼が義兄で良かったと日々思っている。子ども達と上手く行かなかったときに義兄さんが力づけてくれなければ、私はどこに行っても必要とされないのだと落ち込んで絶望していただろう。今は子ども達に舐められない程度には強くなり、教え方が良いと認められて読み書き計算の出来ない大人にも教える仕事を任されている。

「ひと休みしたら大人どもの教室か?」
「ううん、今日はこれで終わりよ」
「今から時間あるか?」
「特に予定はないけどどうしたの?」
「せっかく良い季節だから、あの泉にでも行かないかと思って。……嫌なことを思い出すから嫌か?」
「そんなことないわ。ひとりで行ったら思い出して怖いかもしれないけど、アレクシ義兄さんと一緒なら平気よ」

 私がルロワ侯爵家を出てから、もう三年が経つ。
 母とポール義父さんの間に生まれた年の離れた弟は、先月一歳になった。
 私はカミーユ商会で働く人間のための集合住宅でひとり暮らしをしているのだけれど、弟に会いに母とポール義父さんの家へ行くと実家に戻って来たような気分になる。ルロワ侯爵家での暮らしはただの悪い夢だったのではないかと、たまに思う。

 私の実父だったルロワ侯爵は亡くなったと風の噂──ポール義父さんの部下が集めてきた情報を聞いた。
 事故ということになっているけれど、実際は最愛の娘マルールに刺されたのだという。
 彼女マルールは、父であるルロワ侯爵さえいなくなればオサール公爵令息と復縁出来ると信じていたのかもしれない。残念ながらオサール公爵令息はもう、べつの女性と結ばれている。クラリス様ではないが高位貴族の女性のようだ。マルールは結局ローレン様と結婚したらしい。

「公園の辺りへ行くのなら、学園の生徒向けの商店街に寄ってもいい? エーヴとカンタンの結婚祝いを買いたいの」
カミーユ商会うちで取り扱ってる商品のほうが上等だと思うがな。なんたって元モラン公爵令嬢もお気に入りなんだぞ」

 クラリス様とは、私が平民になってからも親しくしていただいている。
 嫁ぎ先の辺境伯領にカミーユ商会の支店を出さないかという話ももらっていた。

「うちの商品だと私には割引してくれるでしょ? お祝い品を割引で買うのってどうかと思って」
「祝う気持ちがあればいいと思うがな」
「うーん。……アレクシ義兄さんはこれからどうするの?」
「レオニーと公園の泉に行くけど」
「そうじゃなくて、今回の航海に出る前にポール義父さんから辺境伯領の支店の話があったでしょ?」
「俺は船が好きだからなあ」
「……でも、船に乗ってると海賊が出るし嵐になることもあるわ」
「心配してくれてるのか」
「当たり前でしょ!……大事な義兄さんのことなんだから」

 子ども達とのことだけに限らず、アレクシ義兄さんは私がカミーユ商会に来てからずっと助けてくれている。
 私が不安になったとき振り向くと、いつも彼の青い瞳があった。

「支店を任されるとなったら、嫁も取らなきゃいけないんだよなあ」
「いいんじゃない? アレクシ義兄さんは私よりもふたつ年上なんだから、ちょうどいい年ごろでしょ」

 私は二十一歳。貴族令嬢としては問題だが平民女性ならまだ大丈夫、のはず。

「まあ結婚したくないってわけじゃないんだが」
「そうなの? 好きな人がいるの?」
「うん、いるぞ」
「……知らなかった。どんな人?」

 ちょっとだけ胸が痛む。
 付き合いの短い義兄でさえこうなのだから、年の離れた弟が結婚するとなったらどうなるのだろう。嫌な小姑になってしまうかもしれない。
 年の離れた弟は、私にもポール義父さんにも似ている。

「危険な目に遭って怯えてるくせに、助けた俺にお礼を言って侍女の心配をするような女」
「ふうん。さすがアレクシ義兄さんね。私のときみたいにだれかを助けてたんだ」

 アレクシ義兄さんは溜息をついた。

「それから」
「うん」
「これから行く公園の泉みたいに蜂蜜色に輝く瞳の持ち主」
「へえ。……ん?」

 空の青色の瞳を持つアレクシ義兄さんは照れ臭そうに笑って、そろそろ名前だけで呼んでくれないか、と言った。
 私は頷いた。
 ずっとこの瞳に見つめられるなら、この瞳を見つめていられるのなら、きっと幸せになれる。囚われるのではない。アレクシの瞳の空は、私を自由にしてくれるのだ。
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